政治経済を語るNo.17・プーチン大統領来日のときの私の発言公開(付録編)

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政治経済を語るNo.17・プーチン大統領来日のときの私の発言公開(付録編)



「以下《◇―5》は明後日(水曜日)頃掲載」と、2017年2月20日に記載があり、慌てて今回掲載する。
 多分、トラブルブログ情報公開№4(02)や気が向けば戯言(たわごと)№37の私的情報公開などとダブり多忙となったためか、これらと掲載時期を勘違いし、逆になったかのいずれかであろう。


《◇―5・私のバー問題に関する真相―一切問題ない、回答すら必要としない話。私の勘違いならば笑い話にすぎない話である。だが、誰かが誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)しているならば、問題は大きい》

税金が絡んでいないお金で、政治家でもない私人間では、私が請求したお金で、駿台担当者・係長・課長・部長の誰もが一切何も言わなかった(問題ないとした)事項は、他人に解説する必要は一切ない。
 以上。

 これで回答打切りが本道であり、それが常識でもある。

下記は催眠で無理矢理書かされた文を、場合によればつけるし、場合によればここで打ち切る。

本来は打ち切るべきであるが、(リモートコントロールされている人間)・私にはどうするかは分からない。

(一応掲載のようである。)


前回記したように、関西学院大学を撮影し、2016年12月19日22時頃、家に戻った。疲れ切った中で、テレビをつけると、ニュースチェック(NHK)という番組をやっていた。

帰宅時は躁(そう)的状態で、大変気分がよかった。
 (今思うと、気分のよい出来事は2016年12月19日にはなかったので催眠状態が疑われる。)

この番組で、既述の如く、麻生氏が「黒い服を着て黒ずくめの服装でバーで酒を飲み、それを政治資金として処理していた」という記事を思い出させられた。

☆☆☆引用開始☆☆☆
「…朝日新聞の集計では、麻生氏が代表を務める政治団体の支出は、この2年間で3873万円。そのうち1670万円を費やしたのが、東京・六本木にある会員制のバーだ。

 今月21日午後9時過ぎ、麻生氏はその店に現れた。

帽子とマフラー、コート一式を黒色で統一し、少し離れた場所に止まった車を降りて、4階建て雑居ビル2階にある店に入った。…」
http://www.asahi.com/articles/ASJCT3W2SJCTUTIL015.html
麻生氏、会員制バー通い1670万円 黒ずくめで店へ
光墨祥吾、矢島大輔2016年11月28日11時55分

☆☆☆引用終了☆☆☆


私は躁的状態であったが、催眠型で、駿台講師時代のことを思い出させられた。
というのは、私が本格的に撮影するときの服装は黒ずくめだからである。
そこで、恰(あたか)も、「麻生氏は、あなた(私=浜田)に絡めて、言っているのだ。駿台時代にバーに行ったであろう。その金は誰の金か」、こうした誘導を受けた。
私は全く忘却していた事項のため、催眠的挑発としか思えなかった。

躁的に気分が良かったので、テレビに向かって言った。
(若しくはリモート型で事実に一部反することを言わされた。下記は一部事実に反している言動)

「ああ、あのことか。
あれは違うんだ。笑い話みたいな物なのだ!
駿台との口頭契約で、駿台が斡旋(あっせん)したホテル内で何を食べても駿台持ちとなっていたけれど、私はほぼ全部自腹とした。

ホテル内朝食千円、ホテル内夕食三千円余りとすれば、六年合計で三百万円以上、自腹なんだ。

また、バーとは名ばかりで、大阪校時代のホテルでは、アネックスホテルでいう軽食堂みたいなものがあり、そこでピアノの生演奏があったので、トラブルを癒やすときなどに、軽食を食べ、ついでに飲んだときには、(食事代金は駿台、アルコール類は原則私が自腹で現金で支払ったと思う。しかし)、ごく一部を回したかもしれない。


2年合計数千円程度か、1万円…2万もいっていない。
勿論、請求書の明細はカクテルならばカクテルとしており、一切別の項目に置き換えていない。

そして、その請求書は担当者・係長か課長、部長が目を通し、問題ないとされていた事項なんだ。
丁寧(ていねい)に話をすれば、駿台時代に仲のよかった人達が笑っているような話なんだ」


こうしたことを催眠状態で喋(しゃべ)らされた。
じっくり思い出すと、かなり記憶間違いがあった。

若しくはリモートで言わされたことであり、一部事実と異なり、私に不利になるかもしれない嘘(うそ)を言わされていた。

油断も隙(すき)もあったものではない。事実は、下記のように、更に一切問題はない。
問題は、そうした私人間のことを犯罪に該当する手段で探し、ねつ造し、誹謗(ひぼう)中傷をしたことである。

次に、催眠類を使用し、警察の取調べの如く状態にNHK23時15分(ニュースチェック)の番組を通じて行った疑惑である。
いずれも刑事犯罪である。


その後、今度は夜から怒り心頭となってきた。
そして、じっくり思い出してきた事項を記しておく。

ただし、些細な次元であると同時に、駿台内で問題なしと当時されており、法律にも一切抵触せず、税も絡んでいない事項であり、公職に就いてもいないため、記述の必要性は客観的に考えて一切ない事項であることを再度記しておく


(1)岡山から通勤していることもあり、食事に関してはホテル内で駿台持ちで朝食・夕食を食べて良いという口頭契約があった。しかし、ほぼ全部外食とし、六年合計推定300万円以上自腹とした。(1984年頃などは、質問日を含めて、毎週月曜から金曜まで駿台京都にいた。)


(2)斡旋(あっせん)されたホテルは、京都のホテル(合計4年約600日)であり、大阪のホテル(合計2年約200日以上)である。
両ホテルともレストランの食事は高いため昼食・夕食利用はしていない(大阪では朝食でも一切利用していない)。

軽食では先の日数では体が持たないため、食事はホテル外とし自腹とした
ただし、超多忙時などはホテル内のレストランではなく、値段が安い軽食堂での軽食とした。

京都のホテルでは一階の軽食堂、大阪のホテルでは遅い時間に軽食を食べられるのは地下一階かどこかにあった食堂(バーと名付けられていたかもしれない)箇所であった。


(3)食事内容によれば、ついアルコールの誘惑に駆られることもある。

そのときの原則は、明細を分割してもらい、アルコール類は私がその場で現金で支払い、食事部分のみは駿台に回すである

しかし、アルコール抜きですら、軽食堂利用はごくまれで、ホテル外での食事がほぼ全てである。

大阪校時代は、駿台内での授業妨害トラブル、あらゆる箇所での刑事犯罪被害の連続で、精神が緊張しており、先のバーなる箇所ではピアノの生演奏がときどきあったため、軽食のついでにカクテル二杯程度を二度程度?飲んだ記憶がある(一杯千円程度か?翌日は授業のため、きついアルコールは多量は飲まない)。


 軽食部分のみは駿台に、カクテルなどのアルコールは私がと分割し現金で支払っていると思う。

しかし、大阪校時代に、授業妨害、刑事犯罪被害の連続のため、授業妨害への責任・抗議問題からか、面倒なためからか、アルコール部分該当の中のごく一部を回した可能性はゼロではないかもしれないあくまでこれは理論であり、記憶にはない)。

その場合でも、アルコール該当の(大半は私が支払い、理論上は授業妨害への駿台への抗議的意味ですら)駿台負担額はせいぜい二年合計で千円から二千円程度ではなかろうか。

性格から言って、また下記のタクシー券問題から考えて、アルコール2年合計全額でも1万円を超える額を回すことは過去前例がない。

悪まで理論上、上記も可能ということでしかない。記憶には分割し、食事代分は契約上駿台、アルコール分は私という記憶しかない。

だから、原則通りに回さず、アルコール部分は全額支払っている可能性も高い。

 


なお、アルコール抜きでも、大阪校講師時代は先の食堂(自称バー)に行ったのは二年合計で二、三度程度ではないかと思う


(4)駿台に対して明細の偽造はしていない。食事代金を駿台に回すときは、カクテルならばカクテルとし、ソフトドリンクなどに偽造はしない。

これらの明細は駿台担当者・課長・部長が目を通している。しかし、苦情も注意も当時一切なかった。
総論として、問題がなかったということである。問題があれば、やや敵対的な関係の大阪校のため、必ず、直(じか)に部長か課長から注意されている。

再度言えば、先の軽食も含めて、大阪校二年間は京都校とは比較にならぬくらいに利用していない。軽食ですら、数度ではなかろうか。よって、記述には値しない。


※大阪のホテルでは、拙著『閉じた窓にも日は昇る』に記述した如く、ホテル内で刑事犯罪被害をうけた疑惑がある。

よって、支払明細は、駿台内でもトラブルがあったとは言え、当時の駿台大阪校責任者や、京都ならば京都校責任者の方が事実を言う確率が高い。


蛇足ながら、総理宛文書で、大阪のホテル内で何があったかを書きかけ小渕総理のときは中断し、小泉総理のときも結局ださなかった。しかし、小泉総理のときに、そのメモを書いたのが2004年であり、その年に大阪のこのホテルは外資系企業に身売りした。次に『閉じた窓にも日は昇る』で2007年から2011年頃に書き始めたが、それを世に問おうとするや、そのホテルが急遽(きゅうきょ)営業をやめた。創設当時は大阪御三家と呼ばれ、廃業時でも営業はまだ黒字だったはずであるのに。詳細は後日調べる。


(5)食事問題で駿台勤務6年間で注意されたのは二度のみである

それも、京都校で、部長から直(じか)に、「先生は、なぜホテル内で食べないのか。ホテル内で食事をすれば駿台が持つ」であった
一度言われても無視し、外食・自腹をし続けると、再度、関西地区最高責任者から、「既に言ったと思いますが、なぜ、ホテル内で食事をしないのか」と再度注意を受けたのみである。これが全ての事実である。


(6)参考記述。
参考までに記せば、駿台京都校1年目は接待ずくめで、毎週クラブ類に接待されていた。

私の方は授業に専念するため、気乗りはしなかったが情報を得るためついていった。

駿台を辞めるかで迷った1983年でも、また大阪校ですら寿司屋で接待をうけたほどである。

(東京からきた)駿台文庫職員などにも接待されている。

駿台、ベネッセ共催模試は、実は、私が双方の仲人をしたのが発端である。

誰も知らぬが…これから出す予定の拙著『日本のフィクサーME・パート2』の下書きに記している。

ささいな件のため記憶にはないが、万一先の如く、授業妨害への抗議も兼ね、わずかまわしていた場合ですら話にならない。

ネッセ・駿台文庫接触(ベネッセ駿台模試など)のきっかけを私がつくった、経緯はいずれ記すが、私はその代価は一円ももらっていない。
事実は駿台に回した伝票類は一切改ざんせず、同時に、当時何の注意もされていないことだけである。

また、京都で会議があり、大阪に帰る際に、タクシー券一万円分を渡されたが、まだ電車が走っている時間のため、私は電車で帰り、そのタクシー券はいまだに家にある。
ちなみに、亀岡から大阪校に通っていた教師に、駿台大阪校の管理職が、亀岡までのタクシー券を何度か渡していた。私は個人的には一切、駿台の金で一人でタクシーに乗っていない。
大阪校の夜のクラス生徒十数人を連れてのみに行ったことがあるが、その金はすべて私の自腹であり、当然駿台などに請求はしていない。

「もはや何をか況(いわ)んや」、である。

明細を偽造せず、駿台に渡し、一切苦情がでていない以上、赤の他人が口を出す事項ではない。

それが全てである。

税金の絡んでいないお金であり、私は議員などの公職でもないことを考えると、今回の挑発は計画的ならば刑事犯罪といえる。

上記のいきさつより、駿台が何かを言ったとは思えぬし、私も完全に忘却していた。では誰がこうした情報を、どのような形で仕入れ、何の目的で脅しに使おうとしたのかを知りたい。

税金が絡んでいないお金で、両当事者で問題ないという事項に国家権力が介入した場合はゆゆしき事態となる。

権力の乱用どころか民主主義への挑戦、暗黒政治時代と同様の横暴さとなる。




《◇―6・こうした挑発の原因について》

昨年、G7サミットで、催眠型で「協力してくれ…」という暗示があった。
そして、「世界平和のためになるなら」で共催した。

その後、世界の首脳が余りに私に注目をした。

そこで、私のイメージダウンのため、プライバシー侵害をし、その上で誤解か、ねつ造し、誹謗(ひぼう)中傷を飛ばされたのであろう。


恰(あたか)も、日本の指導者の一部は北朝鮮の指導者が何かを警戒した如くに。
アメリカなどの指導者の一部は、次に総理大臣になるのは「あなた」というジェスチャーをしたので、尚更、日本の指導者が焦ったのであろう。


だが、一つだけ言っておこう。
「政治家になりたがるのは政治家だけである」ということを。

「もし、私に経済の自由・職業選択の自由・人身の自由があれば、政治家になることは百パーセントない。なぜならば、私には別の才能があり、そして別にしたいことがあるのだから。」

吉永小百合さんが、中選挙区制、参議院全国区制度の頃、立候補していれば、確実に議員になっていた。歴史が変わったかもしれない。だがそれはなかった。

王さんも同様である。

黒澤明監督も。チャップリンもピカソも、ベートーベンも誰も政治家になろうとはしなかった。


そう言えば、後藤田正晴氏が生きていた頃、「君は総理を狙っているのであろうが、まだ早い。君は大臣程度だ」と、テレビから私に言ったように思われたのが2000年か2002年のことである。その後15年間、私が政治家を目指したことはない。

政治家以外の職業選択の自由と人身の自由を奪われ、政治家にならねば餓死するという危険がない限り、政治家への道は選択肢として、今の私には興味はない。

日本の政治家の一部が少しうろたえすぎたのではあるまいか。


今後、これらの問題は『日本のフィクサー〝ME〟』シリーズで記すことにする。

それはこの書物には5~10パーセントほど嘘(うそ)を入れフィクションにしているため、誰にとっても都合が良いと思うからである。

何故ならば、どこか嘘でどこが事実か分からないようにしているからである。
そのときに、「安倍総理か福田総理か」どちらが先かで私が言った言動や、その他の話を記すことにしよう。


ただし、『日本のフィクサー〝ME〟パート2』の対象時期は2012年頃から2014年末頃、『同上パート3』は2015年から2017年1月20日までとし、それを持ち、このシリーズは打切り予定でいる。

各政党がどうだ・こうだからも、2017年1月20日で打ち切ると宣言していたのに。

理由は他にしたいことが山積しているからである。

そういえば、昨年も、丸山和也氏の件で悪質な挑発があり、仕事に支障を来した。本年は、昨年以上にテレビを見るのをやめている以上、もはや私の仕事妨害はしてはならない。


今回の《◇―5》などは記述すること自体が馬鹿馬鹿しかった。現在も超多忙であり、今後、《◇―5》などの誹謗(ひぼう)中傷類に対応する時間はない。

同時に、それらの誹謗中傷は犯罪・営業妨害でもある。


政治経済関連では、2017年1月20日(オバマ大統領の引退)を契機にフェードアウトすると、一年前から公言しているが、それでも公開するならばもっと重要な次元の内容が山積してもいる。


例えば、最近では2016年4月に「岩国に行った経緯と謎」(前日は足の怪我と疲れから中止としていたはずだが)、また長崎・水俣訪問を同年11月に延期した経緯、さらにこのとき、最後の日は、頭に宇部に泊まれという暗示があり(宿も一応調べ、連絡先所有していた)、私もその方向に相当傾いていた。

(水俣~宇部泊~我が家と。これならば鈍行でも帰られるではないか。安くつくよ、と。おまけに宇部には安い宿が該当日にあった。)


 しかし、田舎の冠婚葬祭問題が気になり、宇部泊をやめた経緯などである。

なお、上記の直後、岩国空港にはケリー国務長官が、次にオバマ大統領が、宇部空港にはプーチン大統領が降り立っている。

これらは後で分かったことである。
私と北朝鮮問題は無関係であるが、いっとき勘違いがあったことなどなど。


よって、今回の件などを記す暇はない。

だが、万一、こうした次元の低いことを追加する場合には、『日本のフィクサーME・パート2』か『パート3』の中で一部記すかもしれない。

しかし、次元が余りに低いため、作品の質を劣化させることになり、現時点では記す気はない。