【💁】⚔人権回復:(人間違い問題解決に向けて)同一住所番地二軒問題:私とZ3氏実名…での比較図:💁正式公開:21:21追記

⚔人権回復:(人間違い問題解決に向けて)同一住所番地二軒問題:私とZ3氏実名…での比較図:💁正式公開+21:21追記


【更新履歴】

2023/11/15 23:39からメモを添付開始~2023/11/16 3:17まで連続作業。就寝のため中断して、明日再開予定

2023/11/16 12:00から徐々に掲載中。18:16も補足。同時にSNSに案内を

2023/11/17 10:30頃から整理及び追記作業中。23:18で本日分は終了。続きは翌日から。

2023/11/18 午前中から作業中

2023/11/19 2:47作業を打ち切り寝る。起床後清書作業で 清書を完了し公開が2023年11月20日を予定している。15時頃から清書作業

2023/11/19 18:57 一応清書は終了。ただし念をいれて正式案内は明日(2023年11月20日)とする。

2023/11/20 12:35 (2)番の(B)(b)と(5)番の最後に追記をして、正式公開。

同上 15:47 更に最後に大きく追記。最後は教育行政・学校論となっており、今回の原稿とは全く無関係である。誰かが催眠悪用して、村人対立を起こし、今回の私(浜田隆政)とZ3(浜田正典)との人間違い対策原稿を台無しにしようとしたのであろう。一番下の追記内容を読めば分かろう。全く今回の目的と無関係な内容である。

 

2023/11/20 19:34 最後に、多数の灘高校などへの進学実績を誇った入江伸氏(関大哲学卒)を例に職業としての勉学の話を書いて、あまりにしつこい学問論挑発への怒りを追加した。21:21更なる奨学金問題の追記。

 


(表紙の写真)

鍵を握る姫路

(序)全体の概略図(クリックで拡大:ダウンロードできるためZ3および住所はここでは実名とせず、HPの方で徐々に実名検討)

私(浜田隆政)と(我が家の住所を1954年以来使用の)Z3氏

 

【構成予定】

(序)私(浜田隆政)とZ3氏(浜田正典)の比較概略―上に掲載

(1)公開に至った経緯と公開可能な理由。

(2)詳細な比較資料(実名・実際の番地名で表記)

(3)相違点が同一化されていった謎

(4)我が家の住所番地を使用された見本のごく一部資料を添付

(5)関連資料

我が家の祖先図

人間違い被害をとくのを妨害された謎

浜田正典家をインタネットの地図でクリックすると谷本・元美作市議会議員の家が表示された謎

 

(1)公開に至った経緯と公開可能な理由。

 

各種個人情報が出てくるが、

(A)我が家の住所(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、

更に、

(B)我が家住所番地使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、

(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、

(D)生活に支障を何度もきたしたこと(例:嘘の死亡の疑いが高いが浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、

(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑であること、(交通事故を装って殺されそうになる被害をはじめ、長期の業務妨害被害…)

(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと

(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、

(H)美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、

等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った

 超法規的措置と言っても、美作市位田646は我が家の住所番地であること、浜田正典氏が司法書士事務所の関係で使用住所の一つとして使用している位田648-5は各種ホームページで公開されていること、谷本有造氏も議員であったことから公開されていること…で、彼らの住所はCM扱いとなっているため、私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

(※1)(2023/11/16 20:28)谷本議員の箇所削除理由は、上記は下記(地図で浜田正典氏の「あすと法務事務所」をクリックすると全然無関係な谷本議員の家がでた意味は何かを掲載した下記Blog)から抜粋に若干の修正文書のため、ここでは意味不明となることから訂正線をいれた。

☆☆☆☆☆☆

下記公式Blogの中のⅡを参照。 

私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006

☆☆☆☆☆☆

死者に関する不可解なことが多すぎること。

2021年に我が家の土地(祖父・浜田良一)・家屋(父・浜田耕治)家の名義を浜田隆政にするようにと営業電話を浜田正典(我が家の住所番地を60年以上使用していた司法書士)が姉に電話をしたそうである。そして、突如名義変更の手続きが開始され(私が迷っており委任状の手続きをする司法書士に送付前に、姉に聞くと姉も委任状を提出前に)松本司法書士事務所が手続きを開始していた。

 

やむなく、手続き書類を記載し終わると、即、近所のボス(我が家の別れ屋=我が家の枝番地使用の家=位田646ー●が死亡した(2021年9月17日死亡、9月19日お通夜、9月20日葬儀

翌日、(祖父の名義のため)近所の🚹(男性)従兄弟の郵便受けに書類をいれた。即、姉から電話があり、その🚹従兄弟が死亡したと連絡があった(2021年9月18日死亡、9付き21日お通夜、22日葬儀)。

更に、住所二軒問題の真相に迫りかけると、(我が家住所番地を1954年以降使用していた)Z3こと浜田正典氏が死亡したと連絡が2022年6月17日にあった(死亡=6/16、通夜=6/18、葬儀=6/19。この時は、葬儀屋は我が家へ来た。二階から見ていると、霊柩車も我が家へ来て、我が家前の張り紙(「浜田正典は我が家の住民ではありません…」の張り紙)を見て移動したように見えた。

※浜田正典(まさのり):浜田=濱田=濵田は同一である。本来は我が家も全員が濵田であるが、ワープロフォントになかった関係で似たような濱田が使用されたにすぎない。浜田は単に濵田の簡略系文字に過ぎない。どこの家も同様と思う。要するに同じである。

こうして、謎の死者が多数でている以上、もはや、法律云々があったとしても、超法規的措置で公開しなければまた別の死者がでる危険もある。更に、私自身が何度も交通事故を装い殺されかけた。一部は、新免美作市議会議員に遺書該当を送付した。その後、交通事故を装っての殺害の危険から脱却をしたようである。新免元議員宛手紙は下記T21-03である。

☆☆☆☆☆☆

T21-03🚕計画的な車接近危険運転被害―状況証拠からは殺人未遂被害を連続うけた報告文

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=34145

☆☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆☆(それ以前でも幾つもの危険があった)☆☆☆☆☆

【事例3】96年6月7日の事例(事故死と思った日の覚書)
「本日、雨の中、対向車が故意にセンターラインをはみ出し、危険行為を受ける。それを機に、再度完全催眠下におかれ完全に操られ、ほとんど最後まで危険状態となる。……何よりも自分の人格に反することをし、人格を汚されるよりは即死の方が良い。……本日一度だけ、大事故、即死の危険性というより、ぶつからなかった方が不思議という場面あり。何故ぶつからなかったのか、後で不思議に思った……」

☆☆☆☆☆☆

「恐るべき労基法違反」第三節:精神の疲弊から死の危険への遭遇:79~80ページ参照。

第6回配本:『恐るべき労基法違反』第3章(1):公開日2016年7月28日→ページ数29頁。PDF=(2.1MB)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/wp-content/uploads/2016/07/529357ad65ee605588431010dd4571e1.pdf

拙著『恐るべき労基法違反』全章のPDF無料配布案内は下記

http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html

☆☆☆☆☆☆

※必要時には近所のボス、従兄弟の氏名も実名とする。現時点では浜田正典氏と異なり、具体的な金銭被害を受けていないため、しばらく匿名としておく。


🤡(私)も何度も車に殺害される危機に遭遇した。
新免美作元市議に遺書該当✉を送付して危害は相当やむが…
Z家(浜田正典・浜田稔家)の件で我が家の金銭損失も激しいが、命の問題でやむを得ず情報公開を行わざるを得なくなった。

更に、Z家(浜田正典家)関連で葬儀屋・霊柩車が我が家へ来たり…で、日常生活が困難となった問題もある。

要するに 超法規的措置 の面からも 緊急避難上、公開はやむを得ないと判断したものである。

(2)浜田隆政と浜田正典の詳細比較

※岡山県英田郡美作町位田(いでん)646は2005年以降、合併に伴い自動的に岡山県美作市位田646に変更されたことを念頭に読んでもらいたい。

(A)住所関連:

(a)郵便受けと電話帳の住所
浜田隆政(たかまさ)家(父=浜田耕治)→岡山県英田郡美作町位田646

{後に美作市位田646}

🆚

浜田正典(まさのり)家(父=浜田稔)→岡山県英田郡美作町位田646

{後に美作市位田646}

電話帳は長期同一の位田646であったが、我が家が電話帳掲載をやめるや即、2012年頃、浜田正典家は美作市位田646-2(岡山県民局の土地というよりも県道の一部)を掲載して、その翌年頃から電話帳掲載を中止する。また、2020年頃から別の電話を家にとったようである(電話を二台としたのか、電話番号を変更したのかは不明であるが多分前者と思う)。

(b)各種地図上の住所

浜田隆政(耕治)家→岡山県英田郡美作町位田646

浜田正典(稔)家→岡山県英田郡美作町位田646

{電話帳およびJA勝英の給油所が持参した地図}

最近の地図

浜田正典家(稔家)→非表示となっている。

※ただし、浜田正典(稔)家→非売品の美作市の地図(2007年コピー)では美作市位田648-5と表示されていた。

(c)JA・市役所関連営農関連書類及び(ノウサイの)火災保険上の住所

浜田隆政(父・浜田耕治)→美作市位田646

浜田正典(父・浜田稔)→美作市位田646

(d)配達物

大半は、浜田正典家の郵便物類は我が家へ来ないが、それでも結構くることがある。我が家用宛のものが浜田正典家に入ったときには浜田正典(稔)家が持参すれば分かるし、持参せねば分からない。ただし、昔は、配達時間以外に、我が家の郵便受けに浜田隆政家宛の手紙などが入っていたことがある。理由は未だに不明である。

それでも我が家へ来た、浜田正典家宛の配達関連は以下の通りである。

郵便物(2020年頃ですらNHKの受信料の通知郵便物)、佐川急便、ヤマト宅配、トマト館、…と多数きたときがある。

人権擁護協会の封筒には美作市位田646・「浜田正典」と明記あり(2017年)。

(e)登記簿上の住所

浜田隆政(父・浜田耕治)→美作市位田646

浜田正典(父・浜田稔)→美作市位田648-5

(f)住民票

浜田隆政(耕治)家→美作市位田646{←一貫して}

🆚

浜田正典(稔)家→美作市位田646(2013年、2021年は明言あり。その他は不明。下記参照)

2013年と2021年以外は、私は調べていないため不明である。

2013年は浜田正典氏が明言した。2021年は、Z3こと浜田正典氏が死去(多分嘘の死と思う)したときに葬儀会館の人は住民票および死亡届は美作市位田646となっていると言っていた(電話確認して対処を要請した)。

 しかし、2007年美作市役所の地図では浜田正典(稔)家は位田648-5となっていた。また、浜田正典氏が上記の家に、(岡山県)津山市から「あすと法務事務所」を移動した際には位田648-5とHPなどには記載していた。

※岡山県英田郡美作町位田646=(合併後)岡山県美作市位田646

(g)戸籍

浜田隆政(耕治家)→岡山県英田郡美作町位田646(←一貫して)

浜田正典(稔家)→岡山県英田郡美作町位田646{1954年以降。それ以前は不明}

上記は浜田正典氏が明言。

※岡山県英田郡美作町位田646=(合併後)岡山県美作市位田646

それ以前は、私は他人の戸籍調べは一切しない方針のため不明である。美作市役所職員が2021年に臭わした「正典家が昔、我が家の一部だったので…」は江戸時代はそのようである。しかし、明治の終わりや大正時代以降は絶対にあり得ない。明治の前半頃は不明であるが、それでも後に述べる多数の疑問がでてくる。詳細は後で記す。なお、住所に番地が打たれ出したのは、私の記憶では壬申戸籍(1872年)からだと思う。家系図に関しては以下参照願いたい。

浜田正典氏は私に「おふくろが(浜田千代子=浜田正典氏の母)が1954年(昭和29年)に申請をし、Z3家の戸籍を位田646のままとした」(2013年)と言った。彼がそう語った当時、30分後に彼の言動をメモしたが、後に誰かが改竄(かいざん)していれば、正確な文言は不明である。特に「位田646のままとした」か「位田646とした」かは疑問(改竄被害疑惑)がある。私自身は記録の通りに記載している。

浜田正典氏が2013年に私に解説したときには、我が家から稔家の祖先に誰かが嫁いだと言っていた。嫁いだ女性の名前も言っていたが、「キク」であったような覚えもあるが、記録に残っていないため不明である。ただし、「嫁いだ」のため、女性であることは間違いないと思う。

☆☆☆☆☆

第18回私文書公開:Z家側から我が家の番地を使用した理由の解説・2013年9月28日のメモ:

http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/450/

☆☆☆☆☆

我が家の系図を仏壇に記載してある記録から調べると、我が家(浜田隆政・耕治家)の(私の曾祖父)浜田亀吉{1858年(江戸時代の安政5年)年頃~1939(昭和14年)}以降は、明白に、浜田稔(正典家)は我が家とは無関係である。浜田亀吉の子孫には浜田稔(正典家)の人間はいない。

浜田重蔵{1768年(江戸時代の明和5年)?~1844年(天保15年)}か浜田磯吉{1804年(江戸時代の享和4年若しくは文化元年)~1894年(明治27年)の頃の子孫か、どんなに遅くても浜田長蔵{1828年(江戸時代の文政11年)?~1906年(明治39年)の子孫なのだろうか。

 

☆☆☆☆☆(浜田家の祖先系図)☆☆☆☆☆

新一言№18:同一住所同一番地が二軒解決のため、我が家の祖先を調べる

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/2022/12/09/2103/

☆☆☆☆☆

だが、疑問が三点ある。

一点目は同じ頃、我が家から分離した裏の家(墓は現在もほぼ同一場所)は全く別番地となっている。

二点目は、浜田正典氏は我が家から誰かが浜田稔家の祖先の家に嫁いだといっていたが、昔は今以上に、家制度が厳しく、嫁いだ場合には我が家の戸籍からは抹消(除籍)されているはずである。

三点目、戸籍と現住所は同一でなくてもよいのであり、登記簿が位田648-5(美作市の2007年の地図でも位田648-5)ならば、住民票の現住所や、郵便物などは位田648-5とすべきである実際に、私が「美作市位田648-5 浜田正典様」宛の手紙を追跡確認の手続きをして、湯郷郵便局から送付したが、浜田正典家に確実に届いていた。

ちなみに、浜田正典(まさのり)氏の職業は司法書士である。なお、彼が2013年に言った次の言葉が気になっている。「思ったよりも根が深い。簡単ではない…」と。

 また、浜田正典氏宛のメールを我が家へ配達してきた人が、私に因縁をつけるが如(ごと)く対応{極論すれば暴力団とも思える対応}であったため、「次から悪質な場合には(配達人の)写真を撮るぞ」と正典氏に告げた。すると、正典氏が「(写真を)撮って、撮って。僕も困っているのだ」と言った謎がある。

位田646に絡めて3人死亡…と呪(のろ)われた「美作市位田646」の如(ごと)しであるが、理由はさっぱり分からない。なお、正典氏が私が昔教壇に立っていた駿台予備学校を暗示した謎もある駿台予備学校及び辞職後の被害については、39年(2023年現在)経っても意味不明の謎もある。亡き友人は「人間違いが原因」と明言したが、未だに十分に意味は分からない

こうした謎があるが、後は、この詳細資料では感想抜きで、淡々とデータだけを記そう。

 

(B)浜田正典氏と私の家族および関連データ。

(a)生誕年

浜田隆政(たかまさ)→1952年

浜田正典(まさのり)→1951年

※何故か、HPに掲載していたメモの数値が逆(浜田隆政が1951年生誕、浜田正典が1952年生誕)となっていた。2023年11月17日発見して訂正した。駿台事件関連は(我が家に保存していても)保存記録が随時改竄(かいざん)され続けた謎もある。

(b)出身学校

小学校・中学校・高校

浜田隆政→湯郷(ゆのごう)小学校・林野(はやしの)中学校・林野高校

浜田正典→湯郷(ゆのごう)小学校・林野(はやしの)中学校・林野高校

受験合格大学(桃色が進学大学)

浜田隆政→関西大学・関西学院大学(法学部)

浜田正典→関西大学・立命館大学・関西学院大学・同志社大学(法学部)

所が、その後で大学院(受験合格大学院)が…

浜田隆政→同志社大学大学院(法学研究科)早稲田大学大学院(政治学研究科)

☆相違は立命館大学と早稲田大学のみとなる。私は立命館大学は受験教科の関係で大学も大学院も受験していない。更に、我が家に人が不法侵入を繰り返した跡があったが、私の同志社大学大学院合格通知のみならず、授業料…納入通知が置きっぱなしとなっていた。早合点すれば、私が同志社大学法学部に進学したと誤解する人もいよう。

☆☆☆☆☆

私の逸失利益計算について(駿台講師の事例):同志社法学研究科・早大政治学研究科・関学法学部卒業資料

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=35955

☆☆☆☆☆

 想像であるが、浜田正典氏も同志社大学大学院法学研究科を受験した可能性もあるため尚更上記書類を強調しておいた。

 根拠は、彼が神戸市で、(大企業にいってもどうなるか将来不明のため、将来には副社長か何かを言われて)彼の友人の会社で働いていたが、そこを辞めて外務省などの試験を受けていたことがあったと聞いている。その頃に同志社大学大学院を受けた可能性を否定できないからである。

その後、別の道を歩み、司法書士になったと母か誰かに聞いた覚えがある。ただし、大学院の箇所は私の憶測にすぎない。

(2023/11/20 11:58・13:12追記:14:07大幅修正: 15:47微修正)

「当時は国語が出来なかった」私が関西大学にも合格した秘密は、関西大学経済学部を受験しており、当時の入試教科は数学(数学Ⅰ)・英語・国語・世界史であり、数学が満点だったからである。関学法学部も、私の入試教科が当時は数学(数学Ⅰ・数学Ⅱ)、英語、世界史で受験しており、数学が満点だったからだと思う。

岡大等の国立大学数学科断念の理由は、当時の入試教科が「英語、国語、数学(数学Ⅰ、数Ⅱ、それ以外に数Ⅲが必須)、物理・化学、世界史」となり、民主主義活動とは両立せずに、物理・化学・数学Ⅲなどを放棄したからである。私立大学が国公立大学に劣るのではないが、今のセンター試験や共通一次試験がない頃は、入試教科が異なっており、本当は偏差値などで大学の難易度は比較できないのである。昔の大学院入試も同様である。

この後、授業料問題を催眠で書かされたが、突如であることのみならず、テーマが教育行政・学校論となっており、この原稿の流れを台無しにするため、一番下の付録{補足解説(2)の(B)の(b)}へ移動する。常に、正式公開前にトラブル目的に催眠類で書かされた物が多かったことを強調しておく。

――追記終了――

(c)高校・大学時代の身長と体重

浜田隆政→169~70センチ:体重 60~62キロ

浜田正典→(推定)169~70センチ:体重 60~62キロ

(d)中学・高校時代の体育系クラブ歴

浜田隆政→(中学1年のみ)テニス部、(高校)半年程度柔道部

浜田正典→(中学)剣道部、(高校)テニス部

ただし、文系クラブはかなり相違

浜田隆政→(高校)友の会、部落問題研究部。(大学1年余り)婦人問題研究部、(各地で)子供会活動などに参加。

浜田正典→(大学)能楽

(e)家族構成

浜田隆政→三人兄弟の末っ子(姉二人と私:正確には生後即死亡した姉がいるので四人兄弟ともいえる。私も三人兄弟と勘違いを長期していた)

浜田正典→三人兄弟の末っ子(兄二人)

家族構成(父母のみ実名)

浜田隆政→父・浜田耕治(元教師)、母・浜田誠(浜田千代子の一歳年上)+2人の姉(正確には3人)+祖父母+下記従兄弟とその母

浜田正典→父・浜田稔(旧国鉄)、母・浜田千代子(鍵を強調する女性)+2人の兄+祖母+下記従兄弟とその父母

同一敷地内の伯母と従兄弟と、更に(謎の強調)姫路関連の従兄弟の共通性

浜田隆政→同一敷地に(父系)伯母と従兄弟の🚺(女性)MEがすんでいた。

🚺父系(女性)従兄弟(いとこ)は神戸市に嫁ぐ。🚺従兄弟の義母が芦屋の高級老人ホーム。同一老人ホームに(私の)母系叔母がいた。その母系叔母の息子(私の従兄弟)が姫路に移動。私の🚹(男性)従兄弟が姫路にいるとなる

名字は私が教壇に立っていた当時の駿台理事長山﨑春之(やまざき はるゆき、1926年2月4日 – 2010年1月13日)と同姓である。また何故か、その従兄弟が、母の一周忌の際に来るはずが来なかった。噂では中国縦貫道路の 山崎インターチェンジ付近 で行方不明となったとのことであった。

 なお、この叔母(ヤマザキ)の同窓生の人と娘さん二人と汽車で偶然一緒となった。そのときに妹さんが私に好きな振り目線をした。姉の方は後で笑いを抑えきれずの表情であった。この姉の方は私の同級生で、京都女子大卒業であった。後の駿台講師室係🚺NM(催眠類は傷害罪であり、その共犯のため実名表記=西山美千代)と同一大学であり、駿台事件の発端が示唆されていた謎もある。

🆚

浜田正典→同一敷地に(父系)伯母か叔母(多分伯母)とその夫M、そして従兄弟が4人すんでいた。

夫M🆚千代子でM家は姫路へ。正典の父系🚹(男性)従兄弟が姫路にいるとなる。{当初は🚹従兄弟2人姫路も一人が単車事故で死亡}、あと二人は🚺(女性)従兄弟で、一人は今は岡山県倉敷市、一人は岡山市だったと思うが、昨年(2022年)聞くと、後者の方は既に死亡とのことであった。

※2022年秋に、正典氏の上記の従兄弟2人(女性一人と男性一人)が我が家へ来られたときにご家族の消息を聞いた。なお、両者は正典氏が死亡したことは全く知らなかったと言っていた。正典氏と同じ敷地内で生活していたため、尚更、正典氏の死亡は嘘ではないかと思っている。

人命がかかっているため、申し訳ないが実名とさせていただく。姫路に移動したM家とは皆木家である。

浜田正典家・浜田隆政家の地図

我が家界隈の地図(美作市作製地図を2007年にコピーしたものである)。正典家は位田648-5となっているが、何故か、我が家の住所番地位田646に固執した謎がある。

☆2023年春に不可解な謎解き催眠が。

皆木の小父さんは姫路で金融機関の宿直をされていた。本年・2023年春に姫路に行ったとき、夢遊病の如く歩かされ二つの建物が突如目に入った。「百十四銀行」(本部は香川県高松)と「播州信用金庫」(代表者理事長・和田長平)である。小父さんの宿直されていた金融機関名は忘れたが「播磨信用金庫」か「播州信用金庫」に近い名称だったような感じもある。

 夢遊病状態で見た金融機関を後で思い出したのは播磨信用金庫であるが、地図で確認すると播磨信用金庫は存在していないので、「播州信用金庫」と上記には訂正した。今(2023年11月18日)調べると姫路には他に「姫路信用金庫」と「兵庫信用金庫」があり、覚え間違いがゼロとは言えない。なお、播州信用金庫代表理事の和田長平氏の和田を赤字にしたのは、我が家付近の村人ならばその意味は分かろう。簡単に言えば、現在、🐶お犬様が駆け回っている空き地が、我が組合に所属していた和田さん宅の跡地である。

他方、駿台事件で工作をしたのは全員1983年度入社組の京都校講師室係女性である。

京都校1号館は西山美千代、武内であり、二号館は横家幸子と後藤である。西山、横家、後藤の使命は分かったが、(既婚女性)武内の使命は何だったのか。本年の姫路で分かった。武内なる女性がしきりに、私が聞きもしないのに「父が百十四銀行で…」を強調した。

百十四銀行(本店は香川県高松市:114銀行とも書く)とは、1983年入社四人組トリオが金融機関に絡めて何かをするという意味で暗示したのか、それとも、我が家の犬が10月14日生まれで「14(ジューシー)」という呼び名であり、催眠悪用を示唆する役目だったのかは現時点でも解明できていない。

※最近、香川県が強調される謎もある。上記の講師室係も一人は香川県出身と言っていたような覚えもある。先日、YouTubeで久々に対面した福崎伍郎君(駿台講師時代の同僚)も香川県出身と、関学後藤ゼミでかけつけた友人も香川県出身、後藤先生も確か香川県出身であった。

唯一の事実は、本年(2023年)春、夢遊病の如く、姫路を夜歩いていると、突如、先の二金融機関が目に飛び込んだが、それ以外の見た物は覚えていないという不思議な事件である。本年か来年、現場を再検証してみよう。

香川県以上に大きなキーワードが姫路となっている謎がある。最初の方に掲載した、私が轢(ひ)かれそうになった車は姫路ナンバーの車であった。

2007/5/3 16:10頃:美作市 湯郷の手前(岡山市側の橋付近):写真№ 07-007-26-f

同時に、車関連の挑発は、先の皆木家前に止めてあった姫路40の車(2000年)を見てから開始している謎もある。この車の持ち主は家間違いを強調していた。

浜田正典家横の皆木家跡前に止まっていた車:00-017-22A-f:必要時にはナンバープレード全体を掲載しよう。

 

(f)その後の住まい(桃色が気になる場所)

浜田隆政→

(大学時)兵庫県西宮市仁川五箇山町→西宮市上ヶ原山手町→(西宮市教育委員会時代)西宮市櫨塚町(JR西宮駅近くアパート名は西国ハウス、亀田畳店の横:地図添付)→(大学院浪人)実家=美作町位田→(大学院)東京雑司ヶ谷(引っ越しも同一雑司ヶ谷)→岡山の実家→(中継点)岡山市(北区)高柳西町→(ポリ手カレッジ岡山講師の関係で)岡山市(北区)庭瀬庭瀬807-2・グリーンハイツ(駿台辞職後)実家=美作市位田646に監禁される。

🆚

浜田正典→

(大学時)多分京都→(大学卒業後)神戸市長田区細田町2丁目6-5(西宮市櫨塚町と大変似ている場所:両方近くに亀田…あり下記に地図添付)→?→兵庫県尼崎市→2011年末から実家=美作市位田へ(事務所は最初は津山市)

大学卒業直後の住まい住所地図

浜田隆政

大学卒業後の浜田隆政住居-1:兵庫県西宮市櫨塚町(枦塚町):アパートの横は亀田畳店である。

大学卒業後の浜田隆政住居-2

🆚

浜田正典(大学卒業直後と思われる住所)

浜田正典大学卒業直後頃の住所:神戸市長田区細田町2丁目6-5;拡大時はスクロールすれば左下にZ3とある場所。なお、左上に亀田歯科がある。

(g)京都在住期間

浜田隆政→駿台京都校講師時代・4年間:

ニュー京都ホテル中心(毎年週4~5日が京都か?1984年等は4泊5日京都に宿泊)であり、4年間が京都中心ともいえる。

🆚

浜田正典→4年間+α(同志社大学時代の4年間+αか)

(h)両者の専門と職業

浜田隆政→(関学)法学部政治学科、(早大大学院)政治学研究科→(主として)政治経済学

尚、(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現厚労省所管・能開大中国)で当初法律学と経済学担当で招聘された話は既に記した。

🆚

浜田正典→(同志社大学)法学部→(主として)司法書士

(i)相違点

浜田正典氏と私・浜田隆政の相違点として、概略表に以下を掲載した。

①容姿:私=小学校時代肥満児🆚正典=容姿端麗
②女性:私=無関係派🆚正典=アイドル風の人気
③勉学(学校の勉強):私=勉学無視派🆚正典=学業優等生
④スポーツ:私=運動音痴🆚正典=運動神経抜群に良い
⑤男性友人:私=梯子(はしご)の付き合いが必要なほど🆚正典=敵だらけ
⑥差別:私=差別解消運動参加🆚正典=従来は?としておこう
⑦部落問題←高校時代:私=部落問題研究部🆚正典=無関心派
⑧バイト:私=苦学生🆚正典=坊ちゃん派
⑨性格=真逆(真反対に近い)

②について言えば高校時代2年間の私のクラスは理数科系クラスで事実上男子校の如くであった。

③④が児童期において大きな相違であった。特に③学業優等生の箇所である。

児童期の学業優等生は浜田正典氏であり、私ではない。

所が、途中からパチンコ感覚で勉学に足を突っ込みかけ、後に教育産業を商売としたため、今見ると全く分からないであろう。それが、私が、小中学校時代では勉学無視派であったことを強調している理由である。人間違い被害から逃れる最大のポイントだからである。

浜田正典氏は小学校から中学校までは成績はトップかトップに近かった。運動神経がよく、小学校・中学校時代は生徒会役員を始め優等生と教師からは見られていたように思えた。一部の女子生徒にはアイドル型の人気があったかもしれない。ただし、小学校から高校までは敵も多かったように見受けられた。と言うのも、その趣旨の言動を何人もの人から直に聞かされたからである。


私は児童期は真逆に近い。

中学時代などは問題が多いと教師に思われていたグループに友人が多かった。同時に、私も悪戯をよくしていた。それも授業中である。後に西宮市大社中学校に派遣されたときに電話で悪戯をしていた中学生よりは悪戯という点では遙かに上であった。

後に教壇に立った真備高校(当時は女子高校)などとは範疇(カテゴリー:類似言葉で言えばレベル)が違っていた。真備高校では担当した3クラスは授業中はシーンとしており静かであり、寝る生徒もおらず、何一つ苦情はなかった。仲が良かったクラスも数クラスあった。ただし、別の2クラスは元気が良いと言われていたが、せいぜい授業中に寝るか・私語か・内職をするか、授業中に私に(からかい目的か何かで)話しかけてくるか程度であった。

 もっとも、私は塾の生徒がなついて、授業中に喋りかけられて参ることが多かったという意味で手を焼いただけである。当時の塾長(小岩の塾)は「それでよろしい。だからこそ、塾を辞める生徒が減るので…」と逆の見方をしていた(しかも、「君が担当しているクラスは全員成績が上がっている…」と)。しかし、私はどうも苦手であった。原因は私が若かったことと冗談好きその他にあったかもしれない。それ以上に面白い性格をしているので、…と。

真備高校は比較の範疇(はんちゅう:カテゴリー)が異なるため、大社中学校に派遣されていたときと比較をしよう。私が見た生徒と比べても、私と仲が良かった中学生当時のグループは格上であった。

私ですら、音楽の授業中に(面白半分にバレないように)机をこわして…と。別に、空手で学校の器物…もいつか書こう。

後にバレて説教三昧に…。最後に、教師数人に囲まれ説教されたのが、1966年か67年である。

友人の中には、警察事件になり、新聞で大報道された人もいた。性格は良い性格だった。単に大きな事を些細と勘違いをしたのであろう。

後に見た元気の良いと言われた学校(当時の大社中学であり、今ではない。だが伏せ字とするか)よりは、我が友人諸君は悪戯やその延長では相当格上のことが多かった(特に中学二年の頃である)。いずれ詳細に記せる範囲まで記そう。私は良いが、友人に迷惑がかかることを恐れて書けないだけである。

大社中学校関連での悪戯電話生徒の件が1975年である。私が教師数人に説教されてから、わずか8年で立場が逆になるとは、世の中不思議な物である

真備高校講師時代などでは、「浜田先生は優等生…できたので、あの子らの気持ちが…」と騙され(マインドコントロールされ)、私も優等生と錯覚させられた。私が昔に学校で行った行為とは具体的にはレベルが違っていた。もっとも、後に見た生徒の幾人かとは本質が違っていた。私などは教師にバレないように悪戯(いたずら)などをした。今の生徒は教師に構ってもらうために悪戯などをする。これらもどこかで記そう。

高校時代から、今度は逆に、何人もの教師に面白い人間だとか、民主主義活動に参加した関係で教師の私に対する評価が一変し、大学でもその延長となり、私の中学校時代を忘却してしまっていた。中学校二年時のクラスメートの何人かは、私に関してそんなことはないと言ってくれるかもしれない。だが、教師の一部はそうではなかろう。ともかく私の場合には単細胞人間が面白がって…であるが、友人の一部はかなり筋金いりであった。

他方、正典氏は学業はトップかトップクラスであり、運動神経はよく、教師には多分逆らわず、小学校・中学校の教師からみれば優等生であった。ここが一番大きな違いで、即識別出来る箇所であった。

(高校時代からの方針等)
浜田隆政→①方針=家柄・出自・国籍・人種等々無関係派。人間性のみで評価するである。

中学校時代はそういう高尚なことなど無縁の生活をしていた。ただし、一貫して、今以上にお人好しではあった。単細胞人間=ME(私)が、友人の悪戯に、おもしろいので付き合い…が真相にすぎない。だから、小学校・中学校時代でも敵はいなかったと思う。高校時代も同様と思う。大学時代から勉学の道に迷い込み始めて、…であろうか。だが、大学時代も友人の輪のど真ん中にいたように思う。

浜田正典→①不明。②母親は軋轢(あつれき)が多いそう(姫路に移動した皆木家問題…)。

ところが、これらの相違点が下記(3)の如く、消滅したり、一部逆転したりして、見分けがつかぬどころか、人間違いの原因をうむようになってくる。区別がなくなる一部は自然現象であり、一部は映画説か何かで仕組まれたのであり、一部は?が故意にそうした計画をして実行したり、デマを言ったりした結果である。詳細は下記(3)を参照してもらいたい。

(3)相違点の同一化政策(もしくは逆転政策)推進の謎

 

①容姿

🤡は小学校時代は肥満児🆚浜田正典氏は容姿端麗(格好よいと女性が)

🤡の小学校時代の写真。(これを見て🤡が女性に騒がれるかどうかがわからぬのか)

【写真】私の小学校の頃の写真

ウサギと私(小学校時代)

小学校時代:これで女の子が騒ぐかどうか、見て分からぬのか?真面目にヤレ

中学校に入学した頃から肥満解消(躁鬱[そううつ]病を激しくした時期に一度1991~93年夏まで太ったがあとは大体高校時代に類似)

正典氏=2011年末に実家に戻り、2013年頃から突如太りだす。母親との確執からの暴飲暴食が原因で太ったかと思ったが、故意に太ったのだろうか。

すると、小学校頃の私と入れ替えられると思うのは考えすぎであろうか。

原因はともかく、これで、浜田正典氏と私の幼少期が結びつけられ、その反動で私と浜田正典氏の幼少期が結びつけられる危険が生じてくる。

幼少の頃の容姿が気になるのは、駿台英語講師の平野真理先生が男の(かわいらしい)お孫さんを強調していたので、幼少の頃に何かが…とずっと気になっている。

故意の太りや悪化ではあるまいが…。昔は彼は、女性が騒ぐような二枚目であったのだが…。

他方の私・浜田隆政、「見ての通り」。女性が騒ぐような顔とか雰囲気かどうかわからぬのだろうか。真面目にやれとなる。

ただし、頭が正常、催眠攻撃がないときは通常、体を鍛え、胸囲が105センチ以上あったときもある。

②女性との縁。

ということで、女性にアイドル型で持てたのは浜田正典氏の方である。特に小学校・中学校・高校。大学時代は知らぬが結構もてたのではなかろうか。

他方、私は👧回想で書いた如く、「安全パイ」型。女性に対しては押しの逆で引きの一方であった。「誘ってくれ」と言われても電話をする度胸もないほどであった。

ただし、部落研究部や民主主義活動をやっていた女性は結構、私に親しみを感じた人もいたようである。多分。

例外は教え子には男女問わず人気があったかもしれない。友人としては男女ともに人気はあったようである。「面白い人」「親切な人」…ときには「単細胞な人(Simple minded person)」と。それと、多分、私が18歳頃から🧜お嬢類🎎が監視しているようで…🤷である。

ところが、1982年度に駿台予備学校の教壇に立つや、当時の理事長が映画…と協力し、1983年度入社の講師室係(1982年度採用試験組)限定で、好きなフリ詐欺ごっこを演じさせたようである。その結果、私に女性が殺到するという(浜田正典氏と類似の)印象操作がなされたことになる。これで女性に絡めての見分けも難しくされた気配がある。

昔ならば、女性にもてるのが浜田正典氏、「さっぱりですわ」が私であった。

しかし、世の中は広い。「蓼(たで)食う虫も好き好き」が時にあるかも程度であった。それが、1983年入社組講師室係一団の策動で、そのイメージの変化が計られたようである。そして、駿台辞職後(1988年2月以降)は自宅監禁のため、女性と出会うことも事実上なくなる。

もっとも、駿台以前も以後も、女性に騒がれることは本当はなかったのである。それが証拠に、ポリテクカレッジ岡山の女子学生や女子職員が私に騒ぐことは決してなかった。例外は駿台講師時代と全く瓜二つの形でゲームをされた岡山の予備校の1986年だけである。

そして、女性ともはや出会うことがほとんどなくなったため、駿台京都校でつくられたイメージだけが残り続けた可能性がある。すると、女性に騒がれるのは浜田正典氏ではなく、浜田隆政の方となる。なお、正典氏が女性に騒がれること自体は問題はない。それから先は、私は該当者ではないので何もわからない。

※駿台講師時代の工作者🚺(西山美千代・横家幸子・後藤…)で作られた虚構で②番(女性との縁)も相違識別が困難にされた。駿台を辞職するや自宅監禁で駿台時のデマのまま…風評被害維持政策疑惑もでてくる。

中学校・高等学校時代の友人もびっくり。

尚、親友を見れば人がわかる。私の高校時代の親友の代表格が柔道・空手両有段者の…である。彼を見れば私がわかろうに。馬鹿馬鹿しい。

☆☆☆☆☆

👧おんなの子階層のリンク集

【全体のまとめ編:総合案内所・項目別リンク一覧:2022年8月24日時点迄に記載したものをまとめた箇所】

女性回想リンク集(全体ほぼ終了)

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?item=43794

(上記記載以降の記述は以下)

(公式Blog :2023年5月10日)

政治介入:おじょう🌈と早大院時代の教え子👧、更には政治介入と🎼世界の歌🇺🇸US妨害迄

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=39180

(安らぎBlog: 2023年6月25日掲載)

👧回想―🛵おじょう🌈回想(閉じた窓にも日は昇る・真相編の一部)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=30983

☆☆☆☆☆

③児童期の勉学。

小学校・中学校時代

私・浜田隆政は勉学無視派。小学校時代はそこそこも、中学校時代は特に中学2年次は良くなかった。

他方、浜田正典氏は小学校・中学校時代は学校トップの成績であった。通知表もオール5かそれに類似する成績であった。

何故、私が知っているか。

確か、彼が自分で私に小学校時代か中学校時代の通知表を見せたと思う。

だが、小学校時代などの、彼の目立ち方はあんな比ではなかった。トップ独走の様相であった。

その頃、私は真逆であった。多くの証人がいよう。教師も、私の味方をしようと思わなくても、正直なだけで十分役目が果たせるであろう。ちなみに、中学校時代は、私は教師にも、余り好かれていなかった。高校時代から教師の態度が急転して、好意的になるのである。

高校時代

高校時代は柔道部をやめてから部落研究活動に専念するまではまずまずであった。正確には高校二年の前半のみは良かった。具体的には岡大理学部数学科を第一目標としていたが、当時の担任の内田喬先生は「このまま行けば大丈夫」と言っていた。ところが、民主主義活動の本格化と同時に急降下をすることになる。正に急降下であった。

浜田正典氏は高校時代も優秀であったと思うが、私が柔道部をやめて部落解放運動に携わる中間地帯は不明である。

しかし、彼の受験大学合格状況を見ると、優秀だったのではないかと想像する。具体的には、高校時代以降は一緒に遊ぶ等の付き合いが全くなくなっており、全く知らないのが事実である。

大学時代以降。

ところが、映画説か何かで学問の道へ誘導される。

高校時代にも催眠誘導か何かで勉学も開始した時期(高校1年末から高校2年前半のみ)があったが、民主主義活動と共に消え失せた。夜遅く帰宅…では物理的にも無理であった。

大学に入ってから、再度、本格的に誘導されたようである。

凝り性と責任感の強さから…であろうか。


あるいは、小中高時代は勉学と見なされないものが、大学等では勉学と見なされるようになったこともあろう。

実地見学(例:自衛隊基地の視察)や高校時代部落研活動で全国の差別されている仲間との語らい、老人の受けた差別の聞き取りなどが、大学時代以降は成績評価でプラスに変化したこともあろう。高校までは、それらは「勉学もせずに…」と成績評価では真逆の評価とされていた。

性格が凝り性であり…面白ければ勉学にも凝る面もあった。

次に責任感の問題もある。私は責任感は強い。そして、バイトなどの関係から徐々に、教育産業に足を突っ込むことになる。具体的には大学院時代からである。

その後、真備高校の教壇などに立つ。特に、駿台予備学校の教壇は大きかった。駿台講師時代は時間給が高いため、金への責任感で、職業としての勉学に打ち込むことになる。その延長が今日である。

こうして勉学の方面でも正典氏との識別が不可能となる。

下記参照。

☆☆☆☆☆

『求め続けて』第3部補章―3・各種工作事件― (6)・語学論と私の歩み―…日本語・英語大恥連続と早大院時代の修論

http://h-takamasa.com/Blog/?p=31307

☆☆☆☆☆

④運動・スポーツ

浜田正典→運動神経が発達しており、足も速い。

浜田隆政→スポーツ音痴で、足も遅い。ただし腕力と格闘技だけは別であり、水泳も少々できる。


ところが、長期自宅監禁の上に、年齢の関係で陸上(100メートル走=正典氏は速い。私=遅い…)、球技類(野球・サッカー・卓球…は私は苦手)類であったが、競技を見せる機会はなくなった。そこで、そうしたスポーツとは縁なしとなり、判別は不可能となる。その上に、私は催眠がない限り、基礎運動(腕立て伏せ、腹筋、ブリッジ、スクワット、エキスパンダ…)と体を鍛えているため、私もスポーツができると、人は錯覚をしていく。

私も運動は好きではあるが、運動神経は格闘技塁以外は駄目なのが分からなくなり、私と正典氏の判別は難しくなっていった。


⑤友人類(友人の輪)

私はありがたいことに、友人類は豊富であった。

しかし、駿台辞職後から職場でも挑発・契約違反…偽学生三昧…で社会から遮断される。1998年から完全自宅監禁で、人と事実上会えず、新しい友人を作られぬばかりか、田舎人間を(多分金で)つかって、対立政策激化…で真逆の世界へ閉じ込められる。要するに、人間関係で敵だらけは正典氏ではなく、浜田隆政であるかのような謀略がなされる。本来は逆であった。

この住民対立政策がある限り、昔の友人と出会っても、そうした謀略で仲違いをさせられる危険を感じて、友人・知人とも会うことをやめさせられてもいる。

もっとも、その前に経済封鎖で、同窓会などには参加する金もない。昔の友人・知人にも、謀略警戒のみならず、金欠で会うことはできなくさせられている。

何と言っても、膨大な知人製造の場であった教壇を名目的には1998年以降、実質的には1987年(正確には1985年)以降奪われている。

その上で、風評被害やデマが拡散された疑惑もある。

こうして、友人類でも、錯覚現象を生み起こす。
逆に、数年前などは、正典氏の所には頻繁に来る、軽トラ…の友人類が出現するなどしていた。

こうした形で、友人が多いのは正典氏であり、私(浜田隆政)は孤独派・友人つくり無理派、敵だらけという印象操作がなされることになった。本来は真逆であった。最低でも駿台事件本格開始の1984年までは真逆であった。


⑥差別

⑦部落差別

私は人権活動のみか、自宅監禁、経済封鎖でそうした場に出られず…そうした活動どころか、外出すら各種妨害でできない状態に追い込まれている。

他方デマが多数飛んだ疑惑がある。完全自宅監禁30年を悪用して真逆デマ流布の疑惑である。

高校・大学時代ならば誰も信じることはなかった。しかし、監禁で、それも30年の監禁で人の輪にはいっていけず、またはいろうとしても謀略だらけで対立三昧をしかけられる。人の輪に入れば、私の性格と方針がかなり分かるのであるが。

昔の友人類とあって会話でもすれば、私が差別と戦っている人間と分かるであろう。だが対立政策で昔の友人類に会うことが困難となり、万一会っても、デマや工作類で関係悪化の危険性が高い。

他方、浜田正典氏の方は本来差別・人権などに対しては、「それナニ派であった」が、自宅に戻るや人権擁護協会委員に、更に司法書士の性格がら…で人権に理解ある人との雰囲気づくりに成功した可能性が高い。こうして、この方面からも、人物が逆に理解される危険性をうんでいった。
本来は真逆であった。

しかしながら、私のHP活動などを見ていれば、差別に対する私の考えや行動への理解を間違うはずがないのであるが、身近ではそうはなっていないことが不思議である。世界では、ミスター・ハマダ(Mr. Hamada)は人権推進者と多くの人が知っているのであるが。それが、我が村ではそうはなっていないことが不思議である。


⑧バイト類

私は20種を超える仕事をしており、何をやってでも食っていく派であった。

18歳頃から援助ではなく自立志向派であった。
ホテルのボーイ等接待業、寿司屋、単純腕力強調型泥作業、道の清掃作業、新聞世論調査、鉄パイプ運び、プロパンガス配達、電話の受付…家庭教師、塾、各種宿直、予備校、教育委員会嘱託、中学・高校・大学校講師…と。


所が、駿台辞職後の1988年頃から、賃金不払い・契約違反、各種嫌がらせによる労働強化、学校類の備品の自腹強制、…他方、偽学生、体当たり部外者、金をもらったアルバイトと見受けられる人間の各種挑発と職務妨害、催眠悪用で自家用車遮断(田舎では仕事の足を奪われる)、そして催眠での暴走と場所を構わずの独り言…。これでは人に使われる仕事は不可能であり、実際に不可能であった。

 そこで、有限会社創設、最低でも開業を目指したが、得体のしれない人間の我が家への押しかけ、パソコン関連でもハッカー攻撃、偽メール、HPでの偽物出現、…更に、念入りで塾類開業阻止のための風評被害…と完璧に自立を遮断された。


他方、大学時代などは親からの仕送りで生活していたのではないかと想像する正典氏は、私と異なり家では仕事(司法書士)…で。

こうして真逆のデマが飛んだ疑惑もある。ここでも真逆にさせられ、識別不可能どころか、正典氏と私の人間違い(ひとまちがい)強化に一役買っているようである。

⑨性格。

性格は真逆に近い

本来は、ここだけが識別項目として、残るはずであった。

しかし、ここも、催眠誘導で私の意に反する言動をさせられることがある。

本来の私の性格は以下であった。

穏健、優しい、冗談好き、責任感が強い、人がよい、社会的正義感が強い。

格闘技類のスポーツを見るのもするのも好きである。

音楽・映画などの芸術類は苦手であった。

→ところが、催眠でカメラをやらされ、HP活動では音楽をやらされ…でかなり、従来のイメージとは異なりつつある。

小説などの芸術のみか、国語類は嫌いであった。

→ところが、ここも著述業に移動されつつある。

理想は謙虚であった。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」(Is it an ear of rice that bows its head as it ripens?)を理想としたが、何も実らぬので…参っている。

女性の理想像は昔は以下であった。

優しい、温和な人。

社会・教育・人権に関心のある人。

女性に限らず、人種・信条・国籍・出自・学歴…は無関係とする。

容姿は言えた筋ではないが、十人並み+α。

可能な限り、共稼ぎ志向。

貧困に強い人。

私に関心を持ってくれる人。

お金に不必要なまで執着しない人。

上記は昔の話であり、20年余り前からは、?が「私が決める」と言っているため、もはや理想云々ではなく、運命の定めるままにとなっている。

ちなみに、駿台講師時代の頃の(催眠で動かされる前の)女性理想像は上記であった。

(4)我が家住所を使用され金銭被害に遭(あ)った証拠等

 

(A)浜田正典家の住所表示の異常さ

 

写真はクリックで拡大、二度クリックで巨大

浜田正典氏宛ての多数の荷物やメールが我が家へ来たが、一番困ったのが下記の人権擁護協会・法務局の封筒である。

①我が家の郵便受けに2017年に入れられていた。

住所-浜田正典-4

美作第一小

②浜田正典・稔家の郵便受けの表示(我が家の住所番地が使用されている)

浜田正典家の郵便受け

③電話帳に掲載されていた頃。(我が家番地の)美作市位田646に注目。

電話帳には我が家の住所を使用:後に別電話も導入のよう

④司法書士事務所を浜田正典(稔)の実家に移動したときのHPには位田648-5となっている(この頃でも郵便受けは位田646である)。

ここでは上記とは別電話となっている。

司法書士欄には登記簿の住所を記載

⑤実家に事務所を移動前の津山市に事務所があった頃のあすと法務事務所のHP

2012年頃から事務所は岡山県津山市、住まいは我が家前時

⑥同時期には兵庫県尼崎市にも同一の司法書士事務所があったが、現地に確認に行くとなかった謎もある。

上記の頃に尼崎市にもあすと法務事務所が。現場に行ったが実際にはなかった。見逃しではなかろう。

🆚

(B)我が家(浜田隆政・耕治家)には何度も下記掲示を余儀なくされた。

①2005年末~2006年初頭の掲示

2005年末~2006年初頭の掲示

②その直後頃と思われるが掲載年不明の掲示

掲載年不明

 

③2012年頃の掲示

2012年頃の張り紙

④2014年頃の掲示

2014年頃の張り紙

⑤2021年の掲示

2021年頃の張り紙

⑥同じく2021年の掲示

2021年頃の張り紙

(C)検索や地図クリックでの不可解な出来事

①浜田正典氏が司法書士事務所を美作市位田に移動した後で「あすと法務事務所」(位田648-5)をクリックすると、何故か、谷本・元美作市議会議員の住所が表示された謎

浜田正典運営のあすと法務事務所をクリックすると谷本有造元市議会銀の家しか表示されない時期があった謎

②上記の場所を立体写真地図で表すと以下、

上記を写真画像版に変更したならば、位田113-66とある

上記を写真画像版に変更したならば、位田113-66とある。

③「位田113-66」とは谷本有造・元美作市議会議員の家である。しかし、場所は浜田正典家(美作市位田648-5の「あすと法務事務所」)からは1キロメートルほど離れている。

位田113-66とは谷本有造・元美作市議会議員の家である。しかし、場所は浜田正典家からは1キロメートルほど離れている。

 

④一時、「浜田隆政」で検索すると、浜田稔しかでなかった謎。

しばらくすると、数日後は浜田隆政はでることはでたが、その少し下に浜田稔が表示されていた謎。

浜田稔とは防災・火災・コンクリートの権威者の東大名誉教授であり、浜田正典氏の父・浜田稔氏とは同姓同名である。

同時に、美作町時代や美作市時代に火災が強調された謎。

更に、後には防災が強調された謎。

更に更に何かあるとコンクリートミキサー車が我が家前を何台も走る謎がある。

 

(5)関連資料

(A)我が家の祖先図

☆☆☆☆☆(浜田家の祖先系図)☆☆☆☆☆

新一言№18:同一住所同一番地が二軒解決のため、我が家の祖先を調べる

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/2022/12/09/2103/

☆☆☆☆☆

(B)人間違い被害をとくのを妨害された謎

人間違い被害を解こうとすると、必ず被害に遭(あ)う謎。典型例が2015年と2019年であった。

必要時には分かり易くまとめるが、今は重要度が不明のため、過去記載した内容があれば、煩雑でも該当Blogの一部を収録した。

☆☆☆☆☆

(一言:2020年8月6日)

一言【⚔トラブル】№202・私のプロフィール充実を図ると妨害三昧と、駿台での被害事件の謎

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1364/

☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆

(安らぎBlog: 2020/8/12 )

教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑤・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―⑤(=その5・情報提供された内容一覧)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=26533

☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆

(一言Blog :2020/11/17)

💁【駿台】№216 女性問題でっちあげ、トラブル、更に人間違い被害疑惑(その6)・🤡プロフィール記載等への異常妨害の謎

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1422/

☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆

(トラブルBlog 2020/12/5)
T20-004・私の偽者を指摘すると、サイバー攻撃に遭う謎。
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=31746

☆☆☆☆☆

(C)浜田正典家をインタネットの地図でクリックすると谷本・元美作市議会議員の家が表示された謎

☆☆☆☆☆☆

下記公式Blogの中のⅡを参照。 

私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006

☆☆☆☆☆☆

(D)浜田正典氏に問いあわせたり、美作市役所に問いあわせたりした文書の情報公開リンク集PDF

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/wp-content/uploads/2022/01/19d29bd76284ac3e88e522068bc4e361.pdf

(E)住所二軒関連のほぼ全部のリンク集PDF(かなり膨大にある)

下記クリック

住所二軒リンク集PDF

(F)安倍晋三介入疑惑に関する箇所

⇒今回は時間切れで省略。

浜田正典氏🆚浜田隆政比較図などは今回で終了予定であるが、(F)関連のみは必要時に記載を検討する。

(G)駿台事件との関連箇所

⇒今回は時間切れで省略。

浜田正典氏🆚浜田隆政比較図などは今回で終了予定であるが、(G)関連のみ駿台事件まとめ時に記載。

駿台事件も来年春までには掲載は終了を望んでいる。

⚔トラブルの中心は本来、(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山{現・厚生労働省所管・能開大中国}であり、本題に戻りたい。

もっとも、トラブル関連よりも、開業関連のHP充実が先決でもあった。

村の対立工作は、当然、優先順位が低いが無理矢理の記述強制であった。ただし、浜田隆政の偽者が登場すれば無視困難となる。同様に、我が家の住所番地を使用され続ければ、トラブルの有無に拘(かか)わらずナーバス(神経質)になるのは常識である。

(H)人間違いで危害に遭(あ)うとはおかしい。

他の人と間違われてもまず危害には遭わない。

何故、浜田正典氏と間違われると危害に遭うのであろうか?更に姫路が強調されるのは何故だろうか。

姫路が強調される謎と、部落問題が暗示される謎もある。

後、一つの謎は、浜田正典(稔)家の敷地内にあった、皆木さんの話になると、⚔該当者の千代子さん(正典氏の母)はアッケラカンとしているのに、浜田正典氏がナーバース(神経質)になる謎がある。

ちなみに、2005年~2009年の間に、浜田千代子(正典氏の母)は突然、私を呼び次のように言った。

「隆政ちゃん、こっちへおいで。

皆木の件やけど。

隆政ちゃん、どう思う…」と。

私はその頃、家での独り言でも皆木のことなどは言っておらず、超多忙の上に、突然の話で呆気(あっけ)にとられて言葉がでなかった。それも最低でも二度あった謎である。この千代子小母さんの言動や、姫路ナンバーの車による危害が原因で皆木の件を思い出さされたのである。

(2023/11/20 12:33 追記)

 

今回の掲載で問題が解決するか・否かは不明である。
しかし、問題が解決しようと・すまいと、問題が起ころうと・起こるまいと、他人が私の名前を使用し続けるのは危険すぎる。我が家の住所番地使用も同一である。長期そうした恐怖心はあった。


大昔(多分、高校時代か大学時代に)、母(浜田誠)に浜田稔家(正典・千代子家)に、「我が家の住所番地・位田646を使用するのをやめるように言え」というと、母は「何回も言ったけれども、(浜田)千代子さんが、我が家(稔家)が位田646を使用するので誠さんの家(浜田耕治家)が住所を変えろと言った」と聞かされており、近所との軋轢(あつれき)を防ぐため、もう言うのを諦(あきら)めかけた覚えがある。

更に、私が何度も母に依頼したため、母も面倒か・事実であったか不明であるが、「行政がミスをして同一住所番地が二軒できたので…」と言ったので、それを真に受け断念した。

しかし、浜田正典氏が2011年末に家に戻ってからは、郵便や宅配のミスが大幅に増大することを警戒したことと、浜田正典氏の職業が司法書士のため、簡単に対応できると思い、何度も「我が家の住所・番地である位田646を使用しないで」と言っている。

同時に、私は生まれてから一度も私の名が「浜田正典(まさのり)」とも、父が「浜田稔(正典氏の父)」、母が「浜田千代子(正典氏の母)」と言ったことはないし、稔・正典家の登記簿上の住所位田648-5を使用したことは一度もない。当たり前の話である。

単純に考えて、同一住所・番地があれば正典家も困るはずである。姉に理由を聞くと、「何故だろうか。私も不思議に思っている」とのことであった。

問題が解決しようとすまいと、他人が私になりすますことは危険極まりない。同時に、なりすますとは、逆に言えば、私が別人・他人(浜田正典氏)にされることを意味していた。


2023/11/20 14:36 :更に15:10追記(しつこい催眠に😡りも追記)
補足解説(2)の(B)の(b)に追記させられた物に補足解説

(2)の(B)の(b)に追記として、授業料問題を催眠で書かされたが、突如であることのみならず、この原稿の流れを台無しにするため、最後の付録・この箇所へ移動した。
この追記内容は、教育行政論であり、人間違い回避のための浜田隆政🆚浜田正典詳細比較とは全く無関係である😡誰かが、何かトラブルを目的に催眠類で書かせたのであろう😡。
ただし、一度書いた物を削除すると、揚げ足とりの被害に遭(あ)うことが多いため、紛らわしい箇所に更なる追記をして公開しておく。

また、しばしば、原稿や手紙の正式公開・送付直前にトラブル目的で催眠類で追記させられた物が多かったことも強調しておく。追記箇所は以下であった。(紛らわしい箇所は更なる追記をしている。)

(2)の(B)の(b)…(の後に)…

 ただし、授業料は比較でき、国公立大学が圧倒的に安かった。年一万円、大学入学の頃でも年三万円であった。東大の如く実質的に逆進税となっており、大きな問題である。東大生の家の年収平均と私立大学学生の家の年収平均を比較すれば分かろう。貧乏人ほど、旧帝大を含む国立大学は無縁の仕組みが実質的につくられている。だが、学生一人当たりの税投入は私立大学とは比較にならない(1999年に調査すると、税投入は一般の国立大学が学生一人当たり年150万円、早大が19万円、旧労働省系大学が350万円であった。東大は?田舎の私立大学は?)。税金は消費税…がどんどん上がっており、逆進構造が構築されている

貧乏な家に「金がないのならば、勉強して国公立大学(極論すれば東大…)に行け」型誘導がなされているが、実際は有名家庭教師・塾・予備校…で金がなければ行けないか不利になる。他の旧帝大なども類似である。大学進学となると、貧乏人ほど私立大学に行かざるを得ない構造が一般的には構築されている危険性がある。少なくとも、(灘型高校を除けば)一時の高校も、今は知らぬが昔はそうした傾向があった。(例外的な人間や高校・大学類の)一部の例外の事例を強調するのは構造分析では事実に反する。


国公立大学の授業料は「私が高校一年の頃は村の自治会費・組合費合計よりも安い一万円」と(多分催眠で)突如書かされそうになったが、貧乏人…がそれで救済かと言えば、総論としては、そうはなっていない。私の如く・部落研究会活動や、別の人でもスポーツなどに専念すると、まず国公立大学は無理である。また、金がない人ほど、(税投入の多い)国公立大学は総論として困難な仕組みが構築されている可能性がある。塾・予備校・教材費を除いても、バイト問題などを考えても分かろう。

一部の例外の人・学校だけを強調することは、科学的分析とは相反する。私の大学院時代でのバイト三昧の話も参考にしてもらいたい。大学院時代の恩師(内田満先生)は「浜田君のようにバイトばかりしていると勉学はできない」と言われたそうであるが、正に、事実であった勉学はまともにはできなかった。大学院時代の奨学金は多かったが、月3万円台であり、当時でも研究費(私は毎月3~4万円が文献等の購入費)を入れれば月10万円必要であった。それも東京時代四年間の内、二年であり、残り二年は留年などのため奨学金はゼロ円である。私は勉学できたのではなく、東京時代はまともにはできなかった。私は大学院時代はまともに勉強出来なかった(出来る環境ではなかった)と何度も繰り返し書いているが、誰かがかつてに挑発目的で何かを言っているのであろう

 バイトや自活でも勉学できたのではなく、出来なかったと何度も書いているはずである。いい加減にしろ、となる😡。それでは今の知識は…大学卒業や大学院修了後に、職業(商売)として、やむを得ずせざるを得なかったとも書いているはずである😡。教育産業としての商売である。し・ご・と😡

なお、私は夜間大学を除き、幾つもの意味で国公立大学廃止論者(大学・高校平等主義者、同時に肩書き・学歴志向廃止論者)である。日本のような先進国では特に国公立大学廃止論者である。他にも教育行政問題で書きたいことはあるが、それは別の原稿で記そう。

最後の追記。

ちなみに、家が恵まれていれば大学時代に大学生はまともに勉強できる…も嘘でもある。日本の大学は、海外から見れば「レジャーランド」と揶揄(やゆ)されており、ほとんどの学生は勉学はまともにしていない(遊びほうけている)大学入学後は、ヤレ麻雀、合コン…と正にレジャーランドである(私は麻雀やゴルフはできない。パチンコも長姉が計画で…であろう)。勉学…ごくごく一部例外がいるだけである。だから、大学ではバイト三昧(ざんまい)でも、何とかなったのである。大半の大学生は大学に入ればもう\(^o^)/万歳で遊んでいるのである(有名大学生でも、大学に入学したならば、私が見た文系では、多分、中学生の平均ほど勉学時間はないかもしれない。就職の採用試験対策のみ例外である。採用試験と卒論などは全く別物である)。

 大学で、勉学…は日本では神話である。嘘である。要するに、大学時代は大半の大学生は麻雀類三昧か、私の如くバイト三昧かの違いで、学校も経営上、それに対応しており、何とかなったのである。知らぬが仏である。神や仏が登場したが、私は無神論者である。そこで事実のみ記載している。

大学院は勉学したい人しか来ないのでそうはならなかった、何ともならなかった。何とかなったのではなく何ともならなかった。バイト三昧では何ともならない。十分な奨学金も嘘である。今と当時(1977~80年当時)はさほど物価は変わらないが、大学院修士課程の奨学金は、当時は月3万円台であった。留年すると奨学金はゼロとなり、更に留年の悪循環に陥ることになる。要するにバイト三昧では勉学はできない。それだけの話である。

(2023/11/20 15:29 更に追記)大学の実情

大学では以下三つの内、二つに近くまでが可能

A:麻雀三昧+就職対策

B:卒論を中心とする勉学(大学生としての勉学)

C:バイト三昧

一般的にはAとBの一部が多い。

AとCをすれば大学は一般に留年か中退となる。芸能人の大学中退はこのケースが多い。

私の場合にはBとCをとった。そこで、教員採用試験対策は放棄し、その他の就職用勉学や活動は無視した。

ということで、文系では、有名大学か無名大学かに拘(かか)わらず、誰もまともに大学の勉学はしないので、バイト三昧でも救われただけである。その代わりに就職は無視しており、関学の就職課には一度も行ったことがない。早大大学院にも就職相談や情報を担当している部署があることは50歳を超えて初めて知った。あることすら知らなかった。

しかし、大学院はBの卒論を修士論文や博士論文と置き換えたのみしか、通用しない。そこで、大学院ではお陀仏に近かった。これが事実である。

 

大学では、バイト三昧の中で私が頑張ったのではなく、他がひどいのである。日本の大学がひどいのである。就職対策試験や活動類を除けば、中学生の平均値よりも勉学時間はひどいのである。知っている大学は関学、早大…とあるが例外はない。嘘みたいだが本当の話である。それでも信用できなければ、現在の国会議員で文系卒業者に回答を求めるがよい。若しくは、芸能人で有名大学に進学した人に聞くがよい。ふと思い出した早大入学のタモリさんなどに聞いてみるがよい。もっとも、大学教授の教材研究や授業準備のひどさも知るがよい。サムエルソンなどを除けば、こちらもひどい。授業準備などは中学校教師以下の可能性がある。

※名古屋大学削除、母校の早大・関学だけに限定した。ただし、様々な所であった、様々な大学生と見ていると同様であった。

東大でも文系ではかなり類似しているはずである。ただし、大学と無関係な独学類はゼロとカウントをして。これらは毒饅頭(どくまんじゅう)の教育論の話であり、浜田正典🆚浜田隆政…で人間違いをとく文章とは無関係となっている。これが催眠である。

村人対立でも仕組んだのであろう。汚いこと、この上ない😡😡😡。

 

(2023/11/20 15:40)

バイト三昧で大学院に進学する人は本当に目的を達成しようと思えば修士課程(博士前期課程)2年を6年程度かそれ以上いる覚悟でないと無理である。これが事実である。博士(後期)課程の場合は…?進学していないので不明。

ただし、肩書きだけならば、二年で修了できる。大学も同様である。これが今の大学・大学院である。だが肩書きだけで大学院に進学する人がいるだろうか。昔は、専攻によれば(例えば哲学科などは)、大卒よりも大学院修了は就職はよくない場合もあった。

(2023/11/20 19:25)追記

【⚔】
入江塾・伸学社を運営し、多数の #灘高校 等の進学実績で有名であった。
塾教師の #入江伸 は灘生よりは遙かに学力がある。
簡単に言えば東大生以上である。
だが、彼の出身大学は関西大学哲学科である。
入江氏は商売で、職業として知識を身につけた。
🤡も同様であり、商売であり、村人・親戚相手にHP活動をやっているのではない😡

同時に、今回は、様々な危害の大きな部分が人間違いの疑惑があり、やむを得ず、浜田隆政🆚浜田正典比較を識別上記しているのであり、教育行政、学校論など無関係であろうと怒る。
明白に、今回の人間違い問題の話題を変える目的での催眠としか分析できない。
なお、書き始めのきっかけとなった追記の関大合格は数学満点の関係であるとの解説も、別原稿で記しており、何も今回延々と追記などする必要はなかった。
ちなみに、明日は世界の歌・アメリカ№21掲載日であり、世界の歌・アメリカに絡めて毎回催眠被害がある謎もある。

以上

 

(2023/11/20 21:19)怒り収まらず、SNSに次のメッセージ。

【😡】
私の大学院3年目や東京4年目は奨学金ゼロ円。
家からの仕送りゼロ円。
勿論、教育ローンもなし。
全て自活。
それでも、🤡私の勉学が可能というのならば、高校・大学・大学院の奨学金をゼロ円にしろ。
教育ローンは全て廃止しろ、と🥴催眠暴走の続きで😡怒る。
尚、🤡のHP活動は商売であり、村人・親戚入るべからず
催眠も🆖

 


 

 

 

2023年11月20日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA