日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(五)・オバマ大統領の思い出と秘話:6・長崎訪問

日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(五)・オバマ大統領の思い出と秘話:6・長崎訪問

《全箇所共通注意事項》

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している。
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている

どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。

※今回から、以下本文の青字はクリックすれば、ウィキペディア等にリンク。

(If you clicks a blue character,a blue character will link to Wikipedia etc.) 

今回は、見直し不十分のため、誤字・脱字、不適切表現があれば後日修正します。

●最終修正:2017/10/27 :2017/10/28 4:12微修正(特に赤字の部分など)。:

□(本日は徹夜で書き、文書を寝かさず、軽視したため、一部分析ミスの可能性がある。書いた文書を寝かし、何度も点検するのを阻止されている状況を察し願いたい。勿論、清書段階までには修正はする。清書段階まで大きな入れ替え作業も含めて約12回チェック・変更を行う予定でいる。)。

日本のフィクサー〝ME〟続編メモ(五)・オバマ大統領の思い出と秘話:6・長崎訪問



☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆《解説部分》☆☆☆☆☆☆☆
こうして、長崎行きの日がやってきた。いや11・22が絡んでいる以上、運命の日がやってきた。近所や他人に気づかれないように、宿はまだ一切とっていない。姉宛の手紙は日付部分を空白として書いていた。

そして、当日に空白部分を埋める予定でいた。この手紙は福岡駅近くの郵便局から結局だすことになった。この手紙を持ち、徹夜で身支度をし、我が家を早朝出発つ。

私は今でも、2016年11・22が私の運命に大きな影響を与える日と考えることがしばしばある。では如何(いか)なる運命か。それはベートーヴェンの運命の出足の如(ごと)く、ドアを叩(たた)いた状態であり、まだドアは開いていないため不明である。


まず、姉宛手紙の紹介から入る。
★★★★★(姉宛手紙:記述は10月頃、当館は11月22日福岡の郵便局から)★★★
★★★★★


前略。

当方、重要な仕事(使命)にて、水俣と長崎に行きます。
これは仕事上、重要な視察旅行です。同時に営業活動の一環です。私のHPでも昨年の野麦峠行きは、松本市役所・奈川観光協会・松本市民タイムス・幾つかの旅館類に手紙をだしたり、電話をかけたりした関係もあり、大きな収穫がありました。

詳細は後日HPで公表します。

以下は、私にはよく分かりませんが、下記のような感じを受けています。以下は、HPには掲載しないかもしれませんが、参考記述です。

日時は、(まさかとは思いますが)オバマ大統領の指定した日とします。(指定日は、現時点では言えません・分かりません)。
この日にオバマ大統領・バイデン副大統領・ケリー国務長官のいずれかが(誰かが)、長崎に来るかどうかも知りません。ただ、行くように暗示を受け、(人との接触なきため、テレビに友を求め)その友である・オバマ大統領がこうしてほしいということであり、さらに、それが私の目的にかなったときには、動くこととなります。彼らと同一日にどこかの地でということではなくても、彼らにも何か考えがあると思うので(指示に)従うことにします。

日時は、当日まで、言えません(分かりません)。そこで、この手紙は我が家を出発してから、どこかで投函することになります。

当日まで言えない(分からない)ということは、宿も予約しておりません。御存じのように、11月若しくは12月は紅葉のせいやクリスマス類でどこも満員のところが多いです。しかも、ここ数年は外国人観光客が増えたため尚更です。その上、長崎は観光者に人気が高い地です。

よって、泊まる宿があるかどうかも不明です。夜ホテル類がなければどうなるのか。私にも分かりません。当初は長崎の近辺である諫早などにはあるだろうと思っていましたが、最近は、この辺りも稼働率が高いため、不明です。それどころか、水俣も宿がとれるかどうか不明です。

いつ行くかは?としますが、A医院に行って、インフルエンザの予防注射だけは受けていきます。もっと早く受けとけば良かったのですが。

期間も不明ですが、多分、長崎周辺が二日、水俣も二日だろうと思いますが、鈍行などで行けば途中で宿泊となったり、また宿がなく雨がふりずぶ濡れになったりすれば、どこか見知らぬ・観光客も来ない地で服を乾かして帰るかもしれないため、日数は不明ですが最短で4日、最長で5~6日程度ではないでしょうか。

途中、冠婚葬祭類があれば、どうするかは不明です。

さほど縁のない家の場合には、帰宅後にその家にお参りに行くか、書留で香典を送付するようになるでしょう。

我が家界隈の場合も不明です。昔と異なり、葬儀といっても、受け付けと住職案内以外は何もありません。あとは、穴を空ければ面子が潰れるということで、みんなガチガチとなっているだけなのは御承知の通りです。

一応、組合長などには手紙を送付し、我が家の留守電は毎回チェックします。しかし、一生のかかった仕事であり、同時に我が友人(オバマ大統領)の依頼もあり、冠婚葬祭類の場合でもどうするかは不明です。

ともかく、宿がなくても、決行となります。長崎行きの夜行バス(大阪~長崎も満員で席がとれないと思います)。
健康だけは留意します。
★★★★★
(手紙文終了)
★★★★★


上記の手紙を事前に書いていた。組合長宛手紙はオバマ大統領の名前を書いていないだけで後は、ほぼ同様である。


☆☆☆☆☆☆☆《解説部分終了》☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆


明神:
ボンちゃんサー、で、宿はいつとったの。


ボン:
11月22日午前零時をすぎてからだ。これから、長崎などの宿探しに入った。長崎での宿は紅葉シーズンであり、しかも22日は翌日が祝日・勤労感謝の日のため、もう無理と思った。そこで、一日目は駅かゲーム喫茶類で徹夜し、二日目は島原あたりでと考えた。

もっとも島原もないだろう。となれば二日目は長崎県界隈ならばどこでもよいと考えた。


布袋(ほてい):
非常識もよいところだ。
僕には考えられない。宿はなかっただろう。


ボン:
ところが、長崎には宿が好条件で山ほどある。
それどころか、島原も、ものすごい信じられない破格の条件提示の宿があった。

水俣も、海の近くならば好条件の宿があった。見晴らし、広さ、食事、料金全部合計すると破格な条件にも思えた。海とは今から考えれば、湯の児温泉界隈だ。でも、水俣は駅からのアクセスが分からないため駅周辺のホテルとした。

長崎は、まずトラブルを仕掛けられると想像し、大阪で馴染(なじ)みのRホテルとした。ここならば、大阪で何度が泊まっているので、まず大丈夫と考えた。山の上の見晴らしの良いホテルなども良い条件であったが、トラブル予防で中止とした。
旅において、心を壊されたならばおしまいである。
水俣の宿探しも幾分同様だ。


布袋:
それは日本の将軍様のおかげだ。
感謝しなければ。


明神:
いや、それは合図をだしたオバマ大統領が裏で手を回していたからだ。


ボン:
恐らく、両者とも、自分は無関係だと言い張ると思うよ。
旅の実態を知ったらばね。


はかせ:
ボンさんは貧乏神のみか疫病神にたたられているから、さぞやひどい目に遭(あ)ったのでしょうね。
おまけに猫のたたりまであるというのでしょう。それも化(ば)け猫の。
それにボンさんの場合には昔から破格の条件を提示されていたし、宿も業者の側(がわ)の考えもあり、オファーがあったのでしょう。


布袋:
僕はね、結論から聞きたいのだ。日本政府の関与はあったか・なかったか。


ボン:
このメモにあるように回答は二つだ。
①日本政府の関与、いや違う(関与はない)。
否(いな)、②日本政府の関与、そうである。
二つの回答を同時にするしかない。
化け猫の話は最後だ。日本の将軍様どころではない。
①と②に関しては、このメモを御覧よ。

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆《解説部分》☆☆☆☆☆☆☆
★★★(1996年水俣から長崎の旅・メモ)★★
1996年に水俣から長崎のフィールドワークを行った。このときは2016年よりも凄(すご)かった。

当日すら予約せずに、いきなり現地に着いてから宿を探した。しかし、全部あった。紅葉シーズンの11月に。それも破格の条件であった。

まず、水俣は国民宿舎・水天荘だ。ここは1983年に泊まった思い出の宿だ。
水天荘に行き、本日泊まりたいのですがと言うと、はいよろしいです。

そして、案内された部屋が一番見晴らしの良い部屋であった。

今考えれば湯の児温泉が丸見えの部屋であった。下記をクリックすれば、その部屋がでてくる。(夜景と早朝は部屋中から写す。)
http://takachan1.xsrv.jp/yasuragi/program2.html
部屋は大きく三脚も使用できた(勿論、新聞紙とタオルを下に敷いて使用している)。

おまけに、二十四時間に亘(わた)り、珍しい船が泊まっていた。

次に天草だ。ここは民宿であったが、ものすごいご馳走(ちそう)で驚いた。結婚式なども含めて、生涯食べた中で一番のご馳走であった。しかも、料金は高くなかったと思う。
そこで、申し訳なく思い、備付けのノートにかなり長い、紀行文とも詩歌とも言えるものをお礼代わりに書いた。その控えは取っていないが、後日必死に思い出し書いたのが下記の文章である。
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom76.html
ハードスケジュールで疲れ切った中でも、これだけの文書を書かねば申し訳ないと思うような条件だった。


長崎は最初は満室の連続で、もう無理だと考えた。そして、最後に資料館と平和祈念像だけを撮り、もう長崎には泊まらずに遠方で宿を探そうと考えた。そして原爆資料館に行った。近くにホテルがあったので物は試しと尋ねると「はいあいています。さあどうぞ」であった。

料金は六千円で、部屋はベットが四つある大きな部屋であった。しかも、原爆資料館は目の前である。さらに、一番関心のあった長崎平和祈念像までは歩いていける。そこで三度くらい歩いて往復をした。ホテルの名はセントポールホテルである。
更に、部屋の窓から長崎の夜景が写せた。これだけの条件がそろっていた。部屋の中から撮った写真が下記である。
http://h-takamasa.com/tamashi/program7.html
(上記ページの一番下あたりに該当写真がある。)

これらは偶然ではないと言うことを説明するためか、最初の大分では宿がなく困った。結局最後はあったが、「本当は宿無しなのですよ」をここで示されていた。
ともかく、1996年の水俣、天草、長崎の宿は全てパーフェクトであった。価格もリーズナブルで、それ以上に目的を達成する上で一番良い条件が備わっていた。
当時撮った写真がそれを証明している。水俣などは三脚なしでは写せぬところを三脚がおける部屋を提供されてもいた。

それ以上に、旅で一番大切な心を提供された。


だから、2016年の宿の件は政府無関係の①である。

他方、トラブルだらけで、しかも、目的を大きく邪魔されたことから、2016年の旅は②・政府と関係あるという回答も成り立つ。

要するに、不明である。
ただし、正直にいって、フィールドワークの条件は2013年以降は、それ以前に比べてコストパフォーマンスが大きく落ちていることは事実である。更に旅で一番重要なのは心である。それが破壊の連続であった。

一番良いのは誰も関与せず、経済の流れに任せることである。自然が一番良いという当たり前のことでしかない。

せいぜい、入札の如く、全ての条件の明示である。訳ありの場合にはどういう訳かの明示が必要である。そうでないと卑怯(ひきょう)なホテルが勝ちとなる。
ではどこもなければ、別の候補地に行くか、しばらくどこにも行かない。しかし、現実は昨年までは全国各地から膨大なオファーがあったとしか思えない。


☆☆☆☆☆☆☆《解説部分終了》☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆


布袋:
それで、トラブルと言うのは何なのだい。


ボン:
徹夜で出発準備をして、午前5時40分頃我が家をでた。

午前6時9分のバスに乗るためだ。まだ薄暗いので、バスが私を見失ったからば困るため、道を終始見ていた。バスが見えてから、手に持っていた懐中電灯で、バスに向かい振った。当然見えているはずだ。
ところが、バス停に止まらずに素通りだ。
大声で懐中電灯を振りながら叫んだ。
「待ってくれ、そのバスに乗るため待っているのだ。」
ようやく、バスが止まり、バス停を少し外れた所で乗れた。


明神:
でもサー、ボンちゃんはサー、気が長いのだから、次のバスを待てばいいのに。それに、バスを待つ間に本を読んだらいいのだ。十分程度だろ。


ボン:
明神君は、都会育ちだね。
次のバスは三時間ほど来ないのだ。それにバス停留所と言っても椅子も屋根も、勿論(もちろん)、喫茶店などの店も一切ない。雨が降ったらずぶ濡れだ。おまけに暗い。


はかせ:
それは困ったではなく、熊(くま)っただ。
野麦峠行きのときもそう言われていましたね。
2014年の夏か10月に野麦峠に行くのに、確か、松本市から市営バスに乗り、川浦のバス停留所で降りて、それから歩いていかれる予定でしたな。
すると、まさにその川浦で熊がでたというニュースが流れましたな。
だから、バスには熊(くま)ったものです。


ボン:
本当に、その後は野麦峠行きと同じとなった。
野麦峠へのフィールドで参ったのは独り言催眠だ。
これで、スケジュールはガタガタとなった。野麦峠への登山前日は、某ホテルで、徹夜で独り言だ。一睡もせずにだ。
しかも独り言の内容が「たいしたトラブルではないので、二分も愚痴ったら十分であろう。もう寝かせてくれ、催眠を止めてくれ」を徹夜で言い続け、そして、野麦峠へ登ることになる。おまけに、松本行きの当日も徹夜だ。

野麦峠、松本、松代、黒部、立山の旅では富山のホテルなどの独り言は悲壮だった。泊まったホテルに何一つ問題はない。むしろ親切ですらあった。
ところが、延々と独り言でほとんど徹夜だ。
独り言の内容の大半が「このホテルには問題はないので、もう、独り言を止めて寝かせてくれ」これを半徹夜で言い続けた。


布袋:
野麦峠行きと同一ならば、田上長崎市長は喜んでいると思う。
何しろボンの代名詞が「世界遺産請負人」だからね。

野麦峠も行くと決めた年に、富岡製糸工場が世界遺産、ボンが2014年に行った萩も即世界遺産。
広島原爆ドームと宮島をセットで1994年と95年に訪問し、歴史的文書「旅に心を求めて不条理編」第二章を書いた95年の翌年に原爆ドームと宮島が世界遺産。1988年から何回も行き続けた石見銀山も世界遺産、1989年に行き、珍しい屋根の家と言っていた五箇山・白川も世界遺産。姫路、奈良、京都は言うまでもないけれどね。

ともかく、万一、長崎の大浦天主堂などが世界遺産になれば、日本の将軍様がボンに「世界遺産請負人感謝状」贈呈の検討を迫られ、やけになるだろうね。
ボンと日本の将軍様はCold War(冷たい戦争)状態だからね。


はかせ:
ボンさんが言っているのはCold Warではなく、Gold War(金戦争)ですな。
ボンさんの言い分は、改憲か護憲かではなく、ボンさんを無断で、(サミット協賛今月の歌などで)半拷問で、利用したならば賃金や日当を支払えでしょう。
特に、お礼どころか、その逆の態度をとられては何をか況(いわ)んや、と。
それが駄目ならば慰謝料と損害賠償を支払えと言い続けていられますな。


だからGold Warですな。
実際に、店で物を買えばお金を支払わなければならない。
江戸時代の将軍様がお忍びで街にでて、物を食べても、支払うことを知らずに騒動になったという話を水戸黄門でやっていましたな。

日本の将軍様も同様ですな。
食堂でも言っているのではないですかな。
相手がお勘定というと、金を払わずに「苦しゅうない、後片付けをせよ」と。
ボンさんが無料でもやると、自主的に合意したものならば別ですが、半拷問・強制となると支払い義務は生じますな。その上、口頭のお礼どころか、その逆の態度では常識を疑いますな。


ボン:
ともかく、長崎とJRでは催眠攻撃独り言で参った。
スケジュールがガタガタで、予定の三分の一ができずに、後日の課題となった。おまけに長崎でのスケジュールの乱れが、島原、水俣でのフィールドワーク課題の相当部分の障害となった。おまけに長時間の独り言強要は疲れるし、神経が参る。
その上、このときの内容の一部は長崎県民と僕を対立させることを意図した内容が入っていた。
しかし、予算上、長崎・水俣にはもう行けないと思う。参ったというものではない。

それと、「A・B・C→Y→ボン」という図式で、催眠加害者Yは日本の将軍様などではないと考えている。更に、A・B・Cの特定も困難と随所に書いていることも強調しておく。Gold Warは、はかせの見解であり、僕の見解ではない。ただし、Aが日本の将軍様ならば事情は違うが(私が断った、サミット共催・今月の歌強要などでは、労力と私の能力にふさわしい形で、完璧に支払い義務は生じるが)現時点では特定できない。長崎の件も同様だ。



明神:
ボンちゃんサー、催眠にうつる契機はあったの。
通常は合図があるだろ。
僕も昔やったよ。
「一、二、三、はい僕のことを君は好きになる」、と。
不思議ときかなかったけれどね。
そうした物の契機はあったの


ボン:
だから、まずバスの件だ。
しかも、このバス停留所が1997年交通事故現場のすぐ側(そば)だ。
次に駅で少し。

しかし、11月22日は極端な長時間ではなかった。
これならば明日からどんどん仕事ができると思っていた。
ところが翌朝午前6時に部屋で目覚ましがなる。かけた覚えはない。
該当日の日程表に次のメモがある。
「…ホテルに備え付けられていた目覚まし時計が午前6時頃になる。たまたま午前5時頃目覚めていたが、そうでなければ困っていた。11月22日は徹夜、23日は4時間睡眠。…」(該当ホテルにも、HPのCM兼用で葉書に少しメモして送付したので該当ホテルに文書がある。)


明神:
でもサー、ボンちゃんはサー、紳士だし、それに重要なフィールドワークを控えていたならば、そんな小さいことはいつまでも気にならないだろう。


ボン:
確かにその通り。
だから、昼過ぎにはその件は忘却していた。今度こそ長崎で有意義にと考えた。
すると、その日の夜、店で某人間に絡まれたのを契機にまた独り言が再開だ。
参った。
日程表の該当日のメモがこれだ。

★★★2016年11月23日の日程★★★
長崎チャンポンを食べようとすると、店の前でおかしな人間に絡まれる。
「チャンポンを食わずに、拉麺(ラーメン)を食え」とか、私に向かい「ちゃぃにーず」とか。
…面倒なので、ドイツ語で「Wie geht es Ihnen? Woher kommen Sie?(ご機嫌いかがですか、どこからおいでで)」と言うと、漸(ようや)く立ち去る。
また、店では麺の見本を見て、生卵が入っていない方の長崎チャンポンを頼むと、逆に生卵をいれたのを持ってくる。
ただし、店については何も言わずに黙ってでる。
とは言っても店内で独り言が止まらず。相手もドイツ語が多少分かるとは官僚類かと疑う。
★★★抜粋終了★★★
この件を契機に催眠だ。
しかし、この程度ならば翌日こそは大丈夫だと考えていた。
にもかかわらず、翌朝起きてから独り言が止まらなくなる。


明神:
卵と言えば、ボンちゃんがサー、駿合塾(実存する学校であるが架空名称としている)予備校時代の刑事犯罪被害のときに、シグナルとして卵をよく利用されていたね。
「A・B・C→Y→ボンちゃん」という構造に、確かに謎のXが絡んでいるかもしれないね。
ボンちゃんがサー、駿合塾予備校時代を辞めるときに、交渉した部長も、このXによるデマを真(ま)に受けていたとしか思えないしね。
ところで24日は何が契機だったの。


ボン:
今度は契機というよりも、部屋に忍び込んだというシグナルからだ。
しかも11月24日の独り言も、内容の一部が長崎県住民と対立させられるようなことを言わされたようである。前日も同様だった。

人が忍び込んだとは、眼鏡のフレームに異常があったからだ。
ちなみに、食堂でトラブルを仕掛けられた人間は見知らぬ人と思っていた。
ところが数か月たち、寝ているときに、あれは地元付近・T市の眼鏡屋の顔馴染みのSさんだと種明かしがあった
そう言えばSさんそっくりであった。

なお、23日に長崎の眼鏡橋に行き、夜嫌がらせをされ、その相手が後に眼鏡屋のSさんと知った。そして、24日の朝、眼鏡のフレームが大きく崩れていた。誰かが忍び込んだという印なのでろうか。
そして、寝ている間に催眠をかけたという。

24日こそは止(や)むだろうと考えていた。しかし、24日には起きるやひどく興奮し、催眠での独り言が止まずに更に計画が狂うことになる。

そこで、11月24日の朝も理由もなく興奮状態で喋(しゃべ)りまくり、予定がガタガタとなる。これらの妨害の一部は予想されており、そこで長崎の宿は部屋からの景観を捨て、Rとしたのにも拘(かか)わらず。理由は、この系列のホテルは大阪で二度行っており、感じが良かったので、ここならば被害はないと考えたからである。(楽天レビューに、私が昔記載した、このグループの大阪ホテルに関するレビューをみればよい)


布袋:
ボン、いずれも事件は小さいことだ。
しかし、催眠となれば、どうしようもない。
ただし、催眠とかリモートコントロール類は実証しなければ賠償請求、慰謝料請求はできない。難しいね。民事訴訟類はビジネスだから。

それで、催眠類はどこで解けた。
それとも解けなかったのかい。


ボン:
島原への道中では相当とけた。
しかし、北村西望記念館内では、他の女性客が卑猥(ひわい)な言葉の連続で、芸術鑑賞能力を鈍らされる。どんな言葉かは下記参照。
今度は北村西某記念館内で卑猥な言葉の連続だ。

http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=2221

(上記ページの一番下の方に記載。)



ところが、熊本県に入るや、独り言はピタッと止(や)んだ。
肥後オレンジ鉄道でも挑発の類(たぐい)があってすら、長崎の如く本格的な独り言は再開しなかった。
これがリモートコントロールとか催眠としか思えない根拠の一つだ。


布袋:
では良かったではない。
長崎は予定に比べて、消化率が低くても、水俣ではもう大丈夫だ。


ボン:
ところが、水俣の宿に着くや、大変だった。
宇部の問題がでてくる。
要するに、この大変さの関係で、プーチン大統領来日の際に宇部空港経由でと、オバマ大統領岩国空港経由でという類似問題が生じてくる。


布袋:
プーチン大統領とのニアミスって。


《トラブル予防のため、先に結論を記す。この件は偶然か、偶然ではないとしても、誰が絡んでいたかは特定できない。
また、プーチン大統領訪日の際には、私のPCが不調でありPC対応できなかったが、ハードではなく、(ドライバ・ファーム・アプリケーションソフト・OSその他の)ソフト問題であり、ソフト間の不調の原因特定はほとんど不可能に近い。
パソコン通ならば誰もが知っていることである。

次回の「水俣へ」で記すが、既に原稿の下書きをしたため、誰かが勝手に誤情報を流す危険があり、内容を予告することは物を書く上で支障を来すが、反社会的勢力の項で相当デマを飛ばされた疑惑からやむを得ずの記述である。

私とすれば、早く、この原稿を終了し、シュバイツアー、ヘレンケラー、チャップリン、キング牧師などの「求め続けて」へ移動したいと考えている。この原稿は予想通り妨害が多く時間ロスが大変だったからである。

なお、私が何らかの相談を受けた人ならばともかく、そうではない人に関しては、私よりもマスコミや政治家の方が情報を持っていることは周知の事実である。後者に関しては私はマスコミ情報程度である。要するに、前回問題となったように思われた人物達はマスコミや議員の方が詳しく、私は知らないということである。》



《次回へ続く》
最後に、ただし、長崎市で隠れ協力者が随所にいたことは下記ページで分かるであろう。
http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?p=2022

上記ページの下の眼鏡橋界隈を見れば分かるであろう。勿論、ここ以外でも多くの協力者がいたように思われ、深く感謝。



【資料】

◆11月22日(徹夜)。
6時7分頃バス発
8時7分岡山発
9時56分:博多着→途中下車で姉・組合長・郵便局宛手紙を博多郵便局で投函
10:55発かもめ17号で長崎へ。

12時50分+α(遅れ)長崎着。駅で15時頃まで時間潰し。
ホテルへ。即平和公園へ出発。
17時頃平和公園着。
20時頃平和公園発→出島へ。
20:12頃長崎駅着。
20:30頃出島着。散策と食事。
23:40頃出島発。
21時47分頃思案橋着。
22時頃ホテル着。


11月23日
★行動の記録
①起床と食事 ●11/23 午前1時00分頃就寝 11/23午前5時00頃起床。

②当初予定
早朝海撮影→長崎の主要な箇所散策(二十四聖人を含む)→平和公園と祈念像→夜景(一番適切な時間は24時間中5分程度)

③朝(催眠としか思えぬ形)
独り言が止まらず、貴重な4時間を台無しとする。結果→大浦天主堂の夜景撮影時間が20分遅く駄目。また二十四聖人撮影を翌日にまわしたため、翌日の島原から熊本の海撮影、熊本から水俣道中撮影が真夜中となり不可能となる。
独り言の内容は前日のバスの件が中心。フィールドワークでは分単位秒単位の行動のため参る。

以下、実際の行動
午前10時頃ホテル発。
10:40市電石橋下車:
11:20グラバー園→夜勝負とし中へは入らず
11:40~12:35大浦天主堂
13:00~13:35頃眼鏡橋
14:30頃永井隆記念館(外から撮影)=浦上天主堂を目指すが中止
14:35~15:25平和公園撮影
15:31~15:53原爆落下中心地撮影
16:08~16:59原爆資料館
17:00~17:15原爆被災者墓地があるのかと思い歩く
市電大浦天主堂下下車
18:13~大浦天主堂夜景(時間が適切な時間に少し遅く撮影は中途半端)→
18:24~19:38グラバー園撮影。=大きな所で、帰り道が分からずに弱る
19:43大隅天主堂=
思案橋下車
長崎チャンポンを食べよとすると知らぬ人間に絡まれる


11月24日北村西望記念館など撮影。12/02~3日にかけて記述

①起床と食事
●11/24 午前1時00分頃就寝 11/24午前5時00頃起床。

①最初の予定
二十四聖人撮影→島原・北村西望記念館→島原~熊本の海を船から撮影→熊本~水俣への夕日の海を汽車から撮影予定。万一早くつければ、水俣で夕日をとも考えていた。

②’起床後の予定=昨日、催眠などで時間潰されたため行き損なった二十四聖人→島原・北村西望記念館→15時半発の船で熊本へ(海の撮影)→熊本~水俣道中の夕日の海撮影に切り替える

③朝(催眠としか思えぬ形)
この日は、昨日の因縁かいちゃもんをつけられたことを契機に、独り言が止まらず、貴重な4時間をこの日も朝台無しとする。
結果→17時の島原発の船となり、熊本から水俣道中撮影どころか、島原から熊本道中の海撮影も事実上不可能となる。この日相当喋らされたが、早くホテルを出て、フィールドワークの目的を果たすことを常時考えていた。しかし、そう考えても独り言が止まらず、出発が遅れる。

以下、実際の行動
午前10時過ぎホテル発。
10:38頃:長崎駅下車
10:48~二十四聖人撮影=
11:11長崎発:諫早に向かう=
11:56諫早着

12:15諫早駅発~島原に向かう=島原鉄道
13:08島原着:島原城と北村西望記念館:
16:00過ぎ島原発(バス):
16:30頃島原港着
17:30発~島原~熊本=オーシャンアロー号で
18:10頃熊本港
バスで熊本駅(18:55分頃着)
19:06~熊本~八代
19:42八代
20:26~八代(肥後オレンジ鉄道)
21:32水俣駅
22:00頃ホテル着。
夕食などで外出し23時前後ホテルへ戻る

 

 

2017年10月27日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA