政治経済を語る№18・「冥途への一里塚」と世界平和を希求して

政治経済を語る№18・「冥途への一里塚」と世界平和を希求して



私は、2013年から2017年初頭にかけて、どう動くかを2013年に宣言していた。

簡単な内容は大学時代恩師・後藤先生を囲む会の記念文集(「―後藤先生感謝しています―後藤先生を囲む会 記念文集」2013年)に収録している。
以下の文章である。


『冥土への一里塚』(2013年文書)


 【近況報告等】

人身の自由・経済の自由・職業選択の自由などの人権を剥奪された、ほぼ三十年とも言える日々が続いている。

まさに、マンデラの如く日々である。そこで、「定年後に何をしたいか」と聞かれると、「定年って何」としか聞き返せない。

 【最近の世相・やりたい事】
 斯くの如く他力本願の日々に閉じ込められ、まさにいつ死んでもおかしくない還暦の歳となった。

老後の設計も立てられず、先の日々が霧の海の世界ならば、言えば、人に大笑いされることをしようかと考えている。

 それは、私の生前中に戦争なるものがこの世から消え去る道筋をつける事である。

同時に、世界水準での人権を明確にすることである。

ましてや差別などは以ての外であり、私の生存中に、それに終止符を確実に打つことである。

具体的には、早い時期に、新国際経済秩序・新国際政治秩序を構築することを模索している。

そのためには、米中露の接近が不可欠であり、それに向かっての橋渡しができればと考え、幾つかの行動を起こしている。

気のせいか、ほんの少しではあるが、波紋が立ちかけているように思える。他方、妨害も熾烈である。

 だが、私の姪が言う。
「そんな事よりも、まず、時給二千円でも良いのでバイトでも探せ」、と。
〝然り〟である。
他人に寄生する生活への忍耐はとっくの昔に限界を超えている。

否、寄生ではなく、(生かさず・殺さずの)蛸部屋・監禁・奴隷労働の日々が実態というよりは実体であった。
 兎も角、私自身も大学・大手予備校教壇復活どころか、塾でも良いので当面の生活をと考えているが、こちらの方は暗中模索となっている。しかし見切り発車をとも考えつつある。

【後藤ゼミの思い出・後藤先生へ】
 大学時代はバイトに追われ、後藤ゼミ、別にゼミ同様のレベルのサークル活動類を二つこなし、多忙さを超える日々であった。そこまでは、今と対比すれば天国の部類だったかもしれない。

だが、拙著『閉じた窓にも日は昇る』『日本のフィクサー〝ME〟』に記した理由で、大学に行くのが難しくなった。

授業料も半額(年四万円)としてもらっていたものが、これでは途中から申請できず、全額支払う羽目となった。大学院を早大にしたのも、同一の理由である。

 後藤先生には、様々な点で、言葉以上に後ろ姿で見本を見せていただいた。

そこで今後は老いても健康かつ希望に向かい進む見本を見せていただこうかと考えている。

先生への一言。
「いかに老いるか(How to grow old)」の見本を見せていただくよう、お願い申し上げます。


(2017年3月20日追記)

上記の原稿を提出したのが、2013年9月である。
その年、5月には「鑑真和上の足跡を求めて」と、米中接近の足がかりを求めて中国へ行った。

中国には2012年末に、鑑真和上関連の原稿・『旅に心を求めて・懐かしきの心を求めて』の関係で中国・揚州に行く予定でいた。

しかし、その頃母が死亡し、更に、その後揚州行きツアーが中止となった。

また、中国の旧指導部・温家宝首相の顔色を見ていると、新体制となってからとしてくれ、とも見受けられたこともある。

中国のホテルで延々と喋(しゃべ)ったことの一つが、「日中友好をしたいならば、その前に米中友好を実現した方がよい」。

「米中が接近すれば、必ず、日中接近・友好は実現する。逆に、米中が対立すれば、日中の接近・友好は難しい」、と。

この訪中の直後、オバマ大統領・習近平主席の会談が実現した。

だが、結果は散々であり、私は頭をかかえた。

とはいえ、冷戦時代と比べれば、両国の大きな歩み寄りが続いていることも事実である。

その後、様々な妨害で、私は自由に動けなくなり、今日に至っている。
2013年末頃か2014年頃は、Facebook等で、オバマ大統領・習近平国家主席・プーチン大統領などに友達リクエストをしかけたことがあった。

しかし、全員、フェイスブックでは友達リクエスト欄はなかったことを覚えている。

 この種の試みは、今は一切しないこととしている。

理由は、昨年、ヒラリーさんのTwitterを見ているとばかりおもっていたが、調べるとヒラリーさん自身のTwitterではなかった。

そこで、名前がオバマ大統領とか、習近平国家主席、プーチン大統領であっても、運営者は誰か不明のため、最近はそうした試みは一切しないこととした。

一部のマスコミなどが面白がってしていたり、無関係の人がしていたりしている可能性を考えると危険すぎるからである。


現在の国際情勢は霧の中である。
しかし、私は諸事情で、しばらくは、芸術や紀行文、動画づくり、電子書籍づくり、HPづくりに専念する予定でいる。

その後は不明である。
しかし、この世から戦争なるものをなくすための理論、平和が金になるような経済理論などをいまだに日々考えてもいる。

私が2013年から17年初頭にかけて動いた内容は、拙著『日本のフィクサーME・パート2』
と『日本のフィクサーME・パート3』で記述予定でいる。
この書物は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度入れ、どこが事実で・どこが嘘か分からぬようにしている。

それは関係者に迷惑をかけぬためである。
現在は、書かねばならない事項が余りに多すぎ、執筆順番待ちの状況にある。

2017年3月20日 | カテゴリー : 政治経済 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA