まず、その前に山中氏が次の英文を、再度、読むことを願う。
As for myself, there is only shame, as I think back. I am living now with regrets. Mr. Yamanaka, please accept my apology. I hope you do not bother yourself thinking about me. Please, don’t.
上記の英文は、(山田洋次作、William Ross英語訳)『英語版・男はつらいよ』(語学春秋社)、1975年の254~255ページを借りて英作したものである。
『同上書』の日本語訳に基づいて日本語にすれば以下となる。
「私こと、思い起こせばはずかしきの数々、今はただ後悔と反省の日々を過ごしておりまする。山中様、どうか、私の謝罪をお受け頂きたく存じます。私のことなどは他事ながらお忘れくださるよう、ひれふしてお願い申し上げます」
《以上、前回の内容。以下、前回予告の続き》
以上を前置きして、ことの経緯を記そう。
ある日、報道ステーションという番組を見ていたならば、山中氏が登場してきた。そして、古館氏などと会話した後で、彼は言った。
「古館さん、もし、機会でもあれば、食事でもいつか御一緒しましょう」
その後で、かなりたってから、彼は何かを言い忘れたように、付け加えをした。
「小川さんも御一緒に」、と。
小川とは報道ステーションのサブキャスターの 小川彩佳(あやか)氏のことである。ちなみに、メインキャスターは古舘伊知郎(いちろう)氏である。
ここで、つい一言テレビに向かい、条件反射で余分なことを言ってしまった。
「変わったことを言う人(山中氏)である」。
私ならば「小川さん、いつか食事でも。あっ、そうそう、もしよろしければ古館氏もどうですか、である」、と。
ちなみに、私はこのときまで、サブキャスターの名前は知らなかった。顔もほとんど覚えていなかった。というのも、私は何の因果か、見るだけではあるが、世界中の美女に出会いすぎているため、美的女性に対しても無感覚なのである。その上、硬派ときている。ともかく、このときに小川という名前を覚えると同時に、顔も見るようになった。それまでは顔は見ても覚えていなかったに等しい。
それから、しばらくして、山中氏が彼の伴侶とともに某テレビに登場してきた。(ウィキペディアによれば、彼にとっての「My better half」は中学・高校の同級生で高校1年時から交際していた皮膚科医であるという。これは原稿を書いている今知ったことである。)
そのときに、これまた口が滑って、次のように口を開けた。
「こわ~」、と。
これは、確か音声に出していないと思う。そのように口を開けただけと思うが、さだかではない。それを山中氏は読み取ったようである。
正確に全文を記せば「おお、こわ~(怖~)」である。さて、何故(なぜ)、そのような言動をしたかを解説するには少し時間がいる。
山中氏の伴侶も美人である。では、何故(なぜ)か。
人間にはいろいろなタイプがある。山中氏と私では幼少期の頃に大きな違いがある。
山中氏は、教師にとって理想的な「賢い・良い子供」に近い、と長年教師をしていた私は思うのである。他方、私は最初に記した、フーテンの寅(とら)の如(ごと)きことを、幼少の頃は特にしていた。簡単に言えば、教師泣かせの人間である。
昔、さざえさんという漫画があった。そこに、やくざ風の男が登場してくる。そして、「オレは何も怖い物はないんだ」と言わんばかりの態度をとっていた。そのときに、その男が偶然、ある老いた、ひ弱そうに見える女性に出会うや、直立不動の形となる。老婆は言う。「お前は、まだそんなことを…」、と。男は頭をかきもじもじする。実は、この女性はこのやくざ風の男の小学校低学年の頃の恩師だったそうである。
小さい頃に、悪いことばかりしていると、しかも、懸命に自分のことを心配してくれた教師に出会うと、やくざですらこうなる。
もう少し記そう。私は予備校や大学で教師になる前に、中学校や高校の教壇に立っていたことがある。某教師が怒って言った。
「誰だ、こんなことをしたのは」、と。
私は昔の癖で、「すみません。もうしません」と条件反射で言いかけた。
よく考えれば、私は教師であり、同時に某教師が怒っていたのは某生徒に対してであった。だが、昔、悪いことばかりしていると、教師になっても、条件反射でこうなるときがあった。
簡単に言えば、山中氏の伴侶を見たときに、一瞬学校の教師に見えたか、小学校時代の教師を連想したのであろう。先のやくざの例で分かってもらえるように、『男はつらいよ』のフーテンの寅の台詞(せりふ)を引用した次第である。念のために、寅の台詞(せりふ)を、今回再録もしておいた。
ついでに余談を記そう。
人間には女性に対するときに二タイプがある。美人の女性と、余りそうでない女性がいたとしよう。
通常の人は前者に丁寧に、後者には通常にである。だが、私は小さいときには逆であった。(二つ上の)姉が女性友達を何人も連れてくる。美人の友達のときには、側(そば)に行けず、家の裏の柿の木に登り、家に向かって小石を投げていた。そうでない女性友達の場合には、あつかましく中に入っていき、「まあ、よう来られた」(※1)と、結構喋(しゃべ)っていた。
(※1)ちなみに、死んだ祖母ならば上記「よう来られた」を、次のように言っていた。「どこも、何とも、言わんとったですか」、となる。英語で言えば「How are you (doing)?」である。大阪弁で言えば「儲(もう)かりまっか」か「まいど」である。
要するに、人間にはいろんなタイプがあり、額面通りに表現を解釈できないこともあるとだけ、再度記しておこう。
そして、最初の英文に戻り、この文書を締めくくることにする。
山中伸弥君。私、日本、世界は、君に大なる期待をし、希望を求めています!
2015年4月30日記述(5月2日公開)。浜田隆政
誤字脱字防止のため、少し寝かせ、一週間ほど後に拙著公式Blogなどに掲載予定としていた。