Blog15-90・夢か現(うつつ)か―G・ペック(その二)
2015年前書き(2015年10月18日)
Gペックが死ぬ前に、TVから私に話しかけてきたように思えた心当たりが、今回掲載している文章である。(1995年から97年にかけて、編集ビデオとともに、私の授業で使用した文書である。今回、誤字脱字のみ微修正)。
【構成】
ペック(1):夢か現か-25ーDear Mr. Gregory Peck。(拙著公式Blog15-86)
ペック(2):古き懐かしきの心―アラバマ物語から
ペック(3):ローマの休日とOne Day(一日の重み)。
ペックはローマの休日(Roman Holiday ・1953年)では ジョー・ブラッドレー役を演じ、アラバマ物語(To kill a Mockingbird ・1962年)ではアティカス・フィンチ 役を演じている。
今回、この文章を記すのは、ペックとの出会い、さらにアメリカの心、一日の重みなどを主張することのみではなく、この後で即座に、私の風俗論を紹介する前段階の意味を持っている。
数週間前に、アムネスティインタが「売春を刑事罰とすべきではない」という見解をだし、大論争になった。実は、2013年に、私が同様の内容を記した「風俗論」も陰で大論争になっていた。数日後に、その風俗論の紹介をする予定でいる。児童ポルノ問題も含めて、かなり斬新(ざんしん)的なことを記すため、読者の誤解を防ぐ意味もあり、ペック(2)と(3)を掲載することにした。
というのも、私の風俗論はアムネスティ以上にラジカルな内容である。だが、私は家族の愛を強調していることを誤解される危険を避けるため、今回、ペックの続きを二回連続で掲載することにした。
ペック(2)とペック(3)で記す内容は、1995年~97年の大学校での授業教材である。以下、拙著『視聴覚教材集』より抜粋。
ペック(2):古き懐かしきの心―アラバマ物語から
《◇『アラバマ物語』とアメリカの心・“愛”》
私が思う懐かしきの“日本の心”は“義理・人情”である。人情は、義理と強く結びつき、時には相対立し展開していく。では、私が描くアメリカの懐(なつ)かしきの心とは何か。それは、“愛”若しくは“愛情”である。特に、家族、友など広い意味でのThe family circle (仲間)への愛である。
このアラバマ物語は、ジムとスカウトという、見るからに典型的なアメリカの少年と少女が登場してくる。その父親役がグレゴリー・ペック扮(ふん)する田舎弁護士アティカスである。舞台はアラバマ州の小さな町で依頼人に金がないため、彼(アティカス)の生活も当然しれている。こうしたこともあり、子供達は父親を「お父さん」と呼ぶこともなく「アティカス」と呼び捨てにしていた。
もっとも、これは父が威厳を振り回さなかったため、子供達の父への親しみからの呼び名でもあった。
最初の方のシーンで、6歳の妹のスカウトが寝るとき、アティカスのはめている腕時計についての会話が登場してくる。その時計には、亡き母の“愛するアティカスへ”という言葉が印(しる)されている。写真-1(今回著作権問題より省略)。母への想いもあり、当然スカウトはそれが欲(ほ)しいものの、兄への遠慮から、父親に遠慮がちに聞く。
「その腕時計は将来誰の物になるの」。アティカスは少しためらい、「(兄の)ジムが譲り受けることになるだろう」、と言う。
スカウトは落胆の面持ちで、「何故(なぜ)」と尋ねる。
アティカスは「それが先祖からのしきたりだから」と応(こた)える。
そして、しばらく間をおき、「だが、母親がしていたネックレスと指輪がある。……これは、スカウトが譲り受けることになるだろう」、と付け加えた。スカウトの顔に抑えてはいるが自然に笑みが零(こぼ)れる。その直後の寝る前の抱擁のシーンが写真-1(今回同上理由により掲載省略)である。
正(まさ)に、この場面に懐(なつ)かしきのアメリカの心がある。
アティカスが去った後、スカウトは兄に「お母さんは美人だった」、「私達を愛していた」と尋ねる。
遠方のアティカスの所へ、子供達の会話がかすかに聞こえてくる。そして、子供達が自分に気を遣(つか)い小声で話ながらも、亡き母のことを思い続けていることを今更ながら感じる。
この最初の方のシーンで、この映画に完全に釘(くぎ)付けになった。
その後、物語は大きく展開する。まず年をとり頼りないと思っていた父親が狂犬病の犬と対決するシーンをみて、兄のジムに父への尊敬の念が生まれてくる。そして、やがてアティカスはある冤罪(えんざい)の黒人の弁護を引き受ける。
黒人の弁護を引き受けたということで、街の白人住人から様々な妨害が家族にも及ぶ。あるときアティカスは銃を持った白人達と相対する。そのとき、父の後を隠れてついてきた子供達が父に向けられた銃の前に立ちはだかる。
父に銃を向けていた白人グループの中には、かつて父に世話になり、そしてスカウトのクラス友達の父親がいた。スカウトはその銃を向けていた白人に、自分はあなたの息子の友達であり……と、その息子の話をする。
しばらくして、その父親は仲間達に引き上げるよう命じる。この父親もアティカス同様に息子への強い愛を持っている。そして、その息子の友達のスカウトへもその延長上としての、愛というか情が湧(わ)く。
また、ぬれぎぬを着せられた黒人の家族の中にも同様の愛がある。アメリカ型の“愛”は、自分の子、妻、母、父、そして友など仲間への強い“愛”若(も)しくは“愛情”である。
しかし、同様の人間達が、他の仲間のグループ(例えば黒人と白人など)となると、理解に苦しむ矛盾を引き起こす。日本で義理と人情が対立したときに起こる矛盾と、いつか比較して分析する予定でいる。
「アラバマ物語」は、いつか教材にするが、ともかく、アメリカ型の美しい“愛”とそこから引き起こされる、難しい社会構造をも知ってもらいたい。それが、この映画をいつの日か教材化したい理由である。
英語の教材、とりわけ、大学の一般教養の英語教材にとって必要なものは単なる英文の羅列(られつ)ではなく、アメリカの社会の土台をなす、古き懐(なつ)かしきのアメリカの心・愛について知ることは極めて重要である。
それゆえ、この「アラバマ物語」は学生の受けを気にせず英語の教材にしたいものの一つである。この映画は、私にとって名作であるばかりではなく、アメリカの土台をなすアメリカ型“愛”について知る上での格好の教材でもある。
しかし、これが先に書いた理由で即教材化できないため、アティカス役のグレゴリーペック主演の「ローマの休日」の教材化を先にするに至った。〈次回へ続く〉
【※参考】
①1995年版(上記の文章)では黒人という語を使用しているが、正確にはアフリカン・アメリカンである。昔の原稿からの抜粋なのでそのまま掲載しているが、ここでまとめて訂正する。
②『To Kill a mockingbird (アラバマ物語)』は(私主催の)安らぎ文庫HPでYouTube版を公開していたが、ユーザにより消されたため、現在はアニメの概略版を公開している(2015年10月18~11月15日掲載予定)。アドレスは以下である。
http://h-takamasa.com/conversation/custom4.html
(安らぎ文庫HP>安らぎ英語>懐かしき英語学習)