(August 5)ミスター・オバマ還暦(60才誕生日)へのメッセージ

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(August 5)ミスター・オバマ還暦(60才誕生日)へのメッセージ。


【更新履歴】

2021/08/05 16:28公開 16:35一部修正。16:41微修正 16:46微修正。16:50微修正

17:11 オバマ誕生日→( 🇺🇸時間8/4)=(🎌日本時間8/5)

 



(前書き)失礼に当たるかもしれないが、親しみも込めて、以下、ミスター・オバマの箇所を一部君{キミ、Youにほぼ該当(※1)参照}と記述している。私が年上であることを強調する場面があるためである。また、同趣旨で前半は「で・ある調」の文体である。


【本文】

ミスター・オバマ、60年目の誕生日おめでとう。
還暦は日本では第二の人生のスタートと言われる。

君は聡明(そうめい)であり、大変思慮深く、分析力もある。
そこで60代については、もう、どういうものか分かっているかもしれない。
しかし、君が勘違いしていることを懸念して、60代を先に過ごした人間が振り返った60代というものを記す。

君はまだ60代をほとんど経験していない。
そこで、君は「私は60代でもまだまだできる」とか「60才台でも一定のことはできる」と考えているかもしれない。
それは間違いである。
どこが間違いか。
「でも」が間違いである
60代でもまだまだやれるではない。
少なくとも、私の60代(本年69才)を振り返ると全く違っていた

2012年11月、私の母が亡くなったときに私は還暦(60才の誕生日)を迎えた。母への対応から自由になったのみか、母が予定外の財産を残していた。大きな金額ではないが、(兵庫県50代後半)教師夫婦共稼ぎの1年分程度の金額である。

しかし、行動資金を得た。
そこで、2013年5月に訪中をした。
ここで君と親しくなる切っ掛けを得た。
ちなみに、この訪中のときには相当厳しく、若者でも尻込みをする日程などの噂(うわさ)もきいていた。しかし、私は早朝起床し、腕立て600回、腹筋300回、スクワット300回、ストレッチを繰り返し…などを目指し・一部実施もした。
(催眠状態を除けば)体も頭もフル回転であった。
勿論、50才の頃よりは肉体は衰えていたであろう。だが、それは50才頃は60才頃よりも基礎運動が多かった関係もある。(20才以前や35~45才時よりは腕力はあったのではなかろうか。)
さらに、同年12月には訪韓をした。

私は60才になる前には、60代はもう40代や50代とは違う。
もうかなり駄目だと思っていた。
だが、当時のままでは老後破綻は時間の問題であった。
65才からは年金といっても、年に70万円程度であり、医療費15万円、固定資産税10万円、生命保険11万円、火災保険…など引けば、もう衣食住すら不可能に近い。
だが、親からの遺産が少しあっても、そのまま何もしなければ70代前半でゼロとなる。
そこで、起業しかなかった。
必死であった。
そこで、もう駄目と思っていた60代でも必死で動くしかなかった。

後ろを振り返る時間も感情もなく、ただ盲目に走り続けた。
振り返ると30代後半から40代前半よりは、はるかに、行動力はでていた。もっとも、前者の頃は躁鬱(そううつ)病の鬱状態であったこともある。だが、20代よりははるかに行動をした。能力も10代後半や20代のときよりは伸びていた。

2015年の訪米では5日間合計で5時間しか寝られなかったが、それでも訪米を無駄にしないように、アメリカでのバス道中は必死で睡魔と闘い、終始外を見学し、撮影をし続けた。
あのままいけば、精神活動の作品づくりも相当進み、肉体面でも相当健康を維持できたであろう。自分でも信じられなかった。
もし、君が、60才台でもまだまだやれると思っているならば「でも」は余分であることをはっきりと忠告をしておく。

ただし、2016年(64才頃)、催眠で基礎運度を完全ストップさせられた。ストップしても数年は持とうが長期となれば無理である。
その上、2017年末(66才)の東京行きのフィールドワークをもち、フィールドワーク妨害が余りに激しいため事実上の中断をさせられた。

すると、2018年11月には腰痛が、2021年頃からは座骨神経痛…と症状がでてきた。それでも、今のHPを含むインタネット活動、更には完全自炊、家事洗濯を一人で全部こなし…更なる活動をしている。総合すれば、活動量は20代以上であろう。勿論、病気三昧(ざんまい)であった35才から40才とは天地の差である。昔が地(底)であった。
だが、もし、私が基礎運動を止められず、フィールドワークを続け、作品活動を精力的に行っていけば、2017年以上に突っ走れたと思う。
君の場合には妨害は、私ほどない。

そこで、大統領時代はともかく、君の大統領になる前の生活や状態とは比較にならない未来が君の手にある。ミスター・オバマの書いた「マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝」は読んだ。その時代とは比較にならずに活動できるのが60代である。30代やそれ以前と60代では比較にならない、能力の差がある。人脈も同様である。
60代でもの「でも」は余分であることを、先に60代を経験した物から明確に伝えておく。
ただし、それは気力があってのものである。何かに対する「ハングリー」さが重要な要素と思う。

来年には私は70代に入る。
70代は私にとっては未知の年齢である。
今度こそ急速に老け込むのだろうか。
急速に老化が進むのだろうか。
私には不明である。
60代に入る前にも、…などと思っていたが、全然違っていた。しかし、幾ら何でも70代は…と警戒している。
誰も70代のことを教えてくれないからである。

しかし、80代と90代については二人の人物が私への指南役を買って出てくれた。
80代は新藤兼人(日本の映画監督:しんどう かねと、1912年4月22日 – 2012年5月29日)氏である。
実は新藤氏の『午後の遺言状』(1995年)という映画については(ひょっとしたら)心当たりがある。
「…老いていくならば、その「老い」を逆手に取って映画を作ったら」と独り言をいうと暫(しばら)くして新藤兼人氏が『午後の遺言状』をつくった。
その関係からか、1996年頃かいつか忘れたが、新藤さんがテレビにでてきて「おい、若いの年の取り方を見せてやる」と言ったように思えた。
そして、新藤さんは死(百才)の前年まで映画を作り続けた。
もっとも、新藤さんは93才頃からやはり老けた感じがした。しかし、80代はもの凄(すご)いバイタリティに見受けられた。そこで、私は70代は不明も80代は人によれば相当やれるのかと思った。

なお、新藤兼人氏に言ったのと同様なこと(老いを逆手にとったら)をいつかバイデン大統領にも言ってみようかと考えている。
なお、新藤兼人氏は逆手(さかて)が上手(うま)い人であった。金がないときには「裸の島」(1960年:制作費500万円)という名作を作っている。逆手(さかて)の発想をバイデン大統領を例にいえば、「老いている大統領だからこそできることがあるだろう」「70才後半以降の人が何を求めているか一番知りやすいのですから」、そして、今や世界は高齢化社会に突入しているのですから…などとなる。
その他も含めて、「若いからできることがある」のならば「老いているからこそできることがあるのだろう」も同一の論理で成り立つと思う。新藤兼人監督の如(ごと)くに。


90代はとてもではないが無理だろう、とも思った。
すると、今度は日野原重明氏((ひのはら しげあき、1911年10月4日 – 2017年7月18日)が登場してきた。
日野原先生は、関学(関西学院)から京大医学部卒であり、私は関学から早大大学院修了である。そこで関学を軸に先輩・後輩の関係にある。
日野原先生が「私はね、若い人がウォーキング道路」を通っているのを、横側の通常の箇所で早足で追い抜くのが趣味ですと語られた。90才を超えていたであろうか。
先生は「私は110才までは生きます。そこでスケジュールや予約は110才まで書き込み、もうぎっしりです」と語られていた。

私は先生の元気さならば、これは確実と思っていたならば105才で亡くなられた。そのときに、私は人間は本当に死ぬのだとわかった。しかし、日野原先生は、100才でもパラシュートに挑戦をされ、フォローがあったとはいえ、空から舞い降りられた。
私が先生に長生きの秘訣(ひけつ)はと尋ねたことがある。
すると、先生は「長生きの秘訣は…」、「強いてあげれば、食べ過ぎないことでしょうか」と言われた。
私が「おなかがすくでしょう」と尋ねると、先生は「仕事に没頭していたならば、お腹(なか)がすくなど感じることはありません」といわれていた。先生は103才頃まで現役の医師として仕事をされていた。

80代、90才台は年に関するコーチがいた。しかし、100才台と70才台ではコーチはいなかった。私も70才台はどうなるのだろうかと思う。
勿論、60才台もコーチはいなかった。そこで、私がミスター・オバマの60代のコーチ役を買ってでたわけである。
「60才台は君が思っている以上のことは可能である」、と。
ただし、現職の大統領時代とは異なるかもしれない。それは年齢ではなく大統領か否かの違いだけである。

60代に私の髪は真っ白になり、髪の毛も減った。
そうした変化はでた。しかし、超多忙で分からなかった。ある日、他人が私を撮った写真を見て初めてびっくりした。鏡を見て二度びっくりをした。
しかし、ミッシェル夫人とか、お子さんたちが、「あっそう」ならば「あっそう」な話でしかない。その他、多方面でも老化現象はでたでたが、仕事面では妨害さえなければ、私が60才になる以前に想像したこと以上のことができたであろう。
君も、いずれ、そのことに気づくか、もう気づいているであろう。だが、君が思っている以上に60才台は仕事に関しては凄(すご)いことができる。
想像以上である。70才前に確実に分かるであろう。
ただし、大病時は例外のため、定期検診とストレッチを中心とする、運動はきっちりとされることを勧める。

私も、催眠ストップが止(や)めば、基礎運動を再開したいと常に考えている。一番重要なのは、腕立て伏せ以上にストレッチ類と考えている。
再度いえば、君も60代は今の時代ならば相当できると思っているであろう。しかし、大病をせぬ限り、私の如(ごと)く妨害三昧ではない限り、思っている以上である。
君が70才になる頃にびっくりするであろう。


60代を先に生きた先輩を強調するため、君(きみ)なる語を使用している。

(以下、です・ます調に変更)
このメッセージを本日午前6時頃から正午頃までに掲載予定でした。何故ならばアメリカ東部と日本の時差が13時間と聞いたからです。そこでアメリカ時間8月4日の23時59分(日本時間の午前11時)までに掲載予定でした。
ところが、本日就寝中に、ミスター・オバマの『A promised land』を購入せよ型催眠があり、起床するやその準備に入り、Amazonで注文を検討し始めるや、Kindleのアプリが突如機能不全となり、再度のインストロールさえ不可能となり、そのトラブルで全予定がおくれました。13時頃まで対応に追われたからです。結局、そのトラブル対処は後回しとしてこの原稿を書いています。
トラブル対処を中断し、真っ先にこの原稿を書きましたが、アメリカ時間の8月4日23時59分には間に合わない結果となりました。

なお、この本を長らく購入できなかった理由は後日掲載予定です。本の購入問題は大きな壁にぶつかっているからです。大学院時代などは全支出月10万円の内、文献代と資料代が4割をしめていたのですが…。その理由の一般論は後日記します。
ただし、他の本との違いを一つ記します。縁起がわるいことを書いて申し訳ないのですが、正直に記します。ミスター・オバマがこの本を出したときに、私はフリーズしました。
というのも、この本のタイトルを見て、キング牧師のメンフィスの演説を思い出したからです。この演説の中でキング牧師が強調した言葉です。その翌日にキング牧師が暗殺されました。キング牧師の遺言状に該当する言葉として、私は覚えていました。
そこで、この本のタイトルを見たときに、私はミスター・オバマが致命的な大病をしたのかとフリーズしたのです。
縁起をかついでこの本についてはしばらくはノーコメントとしていましたが、鳩山氏の箇所での誤訳問題でこの本について最初に触れざるをえませんでした。

この本は、Paper版でもなく、ハード版でもなく、電子書籍版でもなく、いずれの形で入手しようとも浜田隆政オリジナル版での保存の予定です。他人に売買したり、見せない限り、著作権・版権違反にはなりません。「アラバマ物語」「(英語版)ハイジ」…とオリジナル版は幾つかあります。オリジナル版のため、プリントアウトの形態は自由自在です。現在はvisualにしていませんが、オリジナル版は自動翻訳を使用すれば世界12か国語に変換可能、音読も可能、文字のカラー化も可能…いずれ分かるでしょう。
他の本も、現時点でなかなか購入できない理由は後日、別の原稿で記すことにします。

【注について】
(※注1)君(キミ)=「(男性が)同輩(以下)を親しんで指す呼び方。」(三省堂辞書)であるが、ここは私ががミスター・オバマよりも年上という意味で使用。

(※注2)還暦= 〔生まれた年の干支(エト)が六十一年後にめぐってくることから〕 満六十歳の、めでたいとされた年齢。

(※注3)70才以降の例
長崎平和祈念像―北村西望(きたむら せいぼう、1884年12月16日 – 1987年3月4日)71才の頃の作品。私が撮り続けている「世界連邦平和像」が北村氏83頃の作品。

マハティール首相{マハティール・ビン・モハマド:Tun Dr Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日/12月20日 – )、現時点での首相最後の任期時95才、現時点とは今後、場合によれば再度首相復活の可能性がゼロではない。現在96才。

新藤兼人氏の「午後の遺言状」が85才、一枚のハガキ(2011年)が99才。いずれもまだみていないため後日必ず拝見予定。


黒澤明(くろさわ あきら、1910年3月23日 – 1998年9月6日)氏の影武者(1980年)が70才、乱(1985年)が75才、夢(1990年)が80才。
数度見た『夢』については、私自身が後日コメント予定でいる。見る角度を変えると「腐っても鯛」であった。筑紫哲也氏はどこがよいか分からないといっていた。そこで、いずれ、私が解説予定でいる。まず、映像美問題(特に撮影における場面構成の問題である)である。

後日、別原稿で、著名人の70代以降の作品を羅列を予定している。

追記、新藤兼人氏に関しては、一つだけ、後悔している。新藤氏が90代に入り英語の学習をしているのを見て、少し余分な発言をしたことである。(どうせ、テレビだからといって、少しからかったような発言になった可能性がゼロではない。私にすればジョークであったが、NHKのテキストの内容についてである。詳細は忘れた。)