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徒然なるままに№20・写真残酷物語第二話アナログとデジタルの話③・デジタル転換の壁=アナログをやられた(下書き以前のメモ段階も、脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)
2005年から2006年3月迄で、作成の苦闘で参り、更にその後の不可思議な誤解類とも思える事項で参り、もうプライベート写真を処理することにはアレルギー反応を起こしていた。
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日付記載のないものは2018/08/23未明である。
最終更新
2018年8月26日21:40 :22:12
2018/08/27 夜 追記
2018/09/20 18:35→番号調整上、9月1日の日程で掲載
2018/09/20 19:26 Twitter掲載文を追記
2018/09/21 15:14追記
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ところが、またまた撮らざるを得なくなる。
その経過は後で簡単に記そう。
またも結婚式である。
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だが、今度は
2008年に購入したパソコンにはメモリは4GBある。さらに、今度はPX-G5300という肌色の出るプリンターを購入してもいた。このプリンター購入も2008年である。
これらの器財により、デジタルの壁は乗り越えたので、前回の如く死闘はないと考えていた。ただし、試し刷りをかなりする場合には費用はいる。だが、前回ほどではなかろう。▽
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結論から入ろう。
2009年の写真処理では、思いもしなかった大問題に出くわした。
①アナログ(フィルム撮影)→②フィルムをデジタル化(パソコンとフィルムスキャナー)→③レタッチ等(パソコン)→④プリント。
今度は大丈夫と考えていた。
②~④は大雑把に言えば、昔ほどの苦闘はないはずであった。ところが、今度はアナログの壁に幾つもぶつかった。
この時の残酷物語は、アントニオ猪木さんと、モハメドアリさんの試合の如くであった。即ち、リング内よりもリング外の方で参ったという問題である。
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それは思いもしなかったアナログの壁である。
データだけを書こう。
私のカメラ器財はフィルムカメラである(機種はニコンの歴史の中で最強の頑強さを誇るF5というカメラなどである。)
次に、レンズは当時手ぶれ防止のレンズを所有していない。F値は標準レンズならばF3.5~f4.5である。他のレンズも大体暗いレンズである。
次に、フィルムはポジのISO100中心である。
そして結婚式では危険なため三脚使用はしない。F5というカメラは本体だけで乾電池もいれれば1.5キロである。三脚ブレしない三脚で、当時活躍していた三脚は7キロ以上の重量がある。そうした三脚は結婚式では危険なため、持参できない。
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そして、私の主義は暗いものは暗く撮る。明るいものは明るく撮る主義者である。よって原則、ストロボは使用しない。更に、後にいうように、ストロボが故障していた可能性が高い。それ以上に、ストロボにいれた乾電池が機能していなかった。結婚式の前日に乾電池を新しいのに入れ替えたが、それが裏目となった。新しいとは製造月日ではなく、購入月日である。要するに購入下手であるが、新しくなかった可能性がある。若しくは入れ替えられた疑惑である。
というのも、乾電池を入れ替えた時点で、から写しを中心ではあるが、実験をしている。このときに異常はかんじなかった。ところが結婚式場では乾電池が十分機能しなかった疑惑がある。
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まとめよう。
カメラはフィルムカメラ。
中心フィルムはポジ(リバーサル)のISO100である。
レンズは暗い。
レンズ、カメラ共に手ぶれ防止はない。
三脚は先の理由で持参せず。
(思いもしない)ストロボの故障である。
そして、披露宴式場は2005年よりははるかに暗い。
(更に後に言う)フィルムを材質もしくは管理の悪いフィルムと入れ替えられていた疑惑である。(アナログで一番重要なのはフィルムである)
この時点でアナログの壁にぶつかった。簡単に言えば撮れないということである。
だが、問題はまだまだあった。丁度、アントニオ猪木選手とモハメドアリ選手の異種格闘技戦同様であった。それらも後で紹介しよう。
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商売でもないし、無料でするならば、気にする必要はないのでは。
確かに、写真自体は肖像権問題などから、私が仕事などで使用することは無理である。よって、私個人には撮影の意味はない。カメラ・写真は趣味ではない。商売道具である。
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だが適当には二重の意味でできない。
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一つは、私は全力投球主義者である。手抜きはしない。真剣勝負主義者である。そしてそれをしつづけないと、能力は劣化する。手抜きは能力劣化への道である。撮るならば手抜きはしない。手抜きや撮る気力がないならば一枚も撮らない方がよい。中途半端な撮影は能力の劣化、ときには全能力の劣化に繋がる。
今、私のHPで主催している世界の歌でも手抜きはしないが、カメラ類はそれとは比較にならぬくらいに手抜きはしない。
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もう一つは、当時、教壇を中心に仕事復帰を狙っていた。そのときに、大手予備校などではプレゼンテーション能力が要求される。カメラ・写真はそのプレゼンテーションに大きく役立つ。簡単に言えば、私の売値(私という労働力商品の売値)に影響を与える。そこで、絶対に浜田ブランドは維持しなければならない。
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この日に、部屋の暗さのみならず、様々な撮影問題があった。徐々に記そう。まさにアントニオ猪木対モハメドアリの戦いであったことが分かるであろう。
できないことをしなければならない。できない中でも結果を出さねばならない。
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アナログの壁を徹底して狙われたことや、Aインプット・Bブラックボックス・Cアウトットで、2005年はBとC問題であった。ところが今度は、思いもしなかったA問題が生じた。だが、それだけではなかった。実はB問題もあった。スキャナードライバとVistaのOS(多分SP2)との相性がXPとスキャナードライバほど良くなかった。
A問題は、部屋の暗さ、購入したての乾電池が作りたての乾電池に比べ十分機能しない問題、フィルムを管理の悪いの置き換えられた問題…である。
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それではお陀仏。いや、まだまだ問題があった。それらも徐々に紹介しながら、撮影が真剣勝負ならば、当時の死闘を語ろう。真剣勝負の舞台裏の出来事を語れば人は驚くであろう。勿論、それ以前に、アナログをデジタル化するという壁問題もあった(2005年の壁は幾つか解消されたが、今度は新しい壁が生じていた)。撮影協力云々の話ではない。
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ちなみに、撮影協力とは何か。被写体が私にとって良いと思う顔をすることか。撮影妨害とは故意に撮らせないようにすることか。両方妨害である。通常の如くが一番よい。私が撮影する上で良いと思う顔は私が決める。その他も同様で、これは撮ったら凄いなどは余分なことで、それらは私が決める。私のアイデアで決める。何度も言うように、撮影とは、一番重要なのはアイデアである。特許で言えばアイデアが一番最初に取りたい特許である。撮影アイデアは私が決める。(晩年の車椅子の土門拳さんはカメラを構えられないし、シャッターもときには押せない。助手がする。だがアイデアは土門さんがだした。だからカメラを構えピントをあわし、シャッターを切ったのも助手であっても、写真は土門さんのものであり、著作権も土門さんにある。(場面構成を含む)アイデアや指示(絞り、シャッタースピード、ISO感度、露出の決定)は土門さんがしているはずである。
すべてしきれれば、私が指示を直にだすか、私が宴会自体もアレンジするのが一番よいが、そこまでは双方できないし、しない方が良いであろう。
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具体的にはAstia 100Fとプロビア100Fである。保険撮影用にネガのプロ400Nも持参していったが。しかし、中心はポジである。
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2018/08/23 23:37
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撮影機材は、原則として、2005年従兄弟の子供の結婚式に持参した器財とほぼ同一とした。
カメラはフィルム式カメラでF5とF90Xである。ストロボはSB-28であるが原則ストロボ抜きで撮影。暗い所は暗く撮る主義者のため。
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レンズは手ぶれ防止はなし。広角がED AF 18-35 (f3.5-4.5)、標準がAF 28-75 (f3.5-4.5)、望遠がAF ED 70-300 (F4-5.6)である。SP 90 (F2.8 マクロ)のみであった。ただし、今回はAf50(f1.4)Dが付け加わっていた。
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2018/08/23 23:51
使用したフィルムはAstia 100F、プロ400Nが2本(村の挨拶回りの分を含む)。なお、RDPⅢ(プロビア100F)も使用したと思ったが記録にはない。
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三脚は使用せず、ポジはISO100、ネガはISO400である。これで、極度の露出アンダーがなければ不思議というものではない。
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●続きの記述は、アナログを狙われた話と、パソコン作業の話、そして2005年の従兄弟のときの二の舞になり勘違いをすることを防ぐため、母からの金類は全て、使途項目と、誰からの金を確認した。同時に、絶対にA家から、金は貰わないように強く釘をさしていた。
それと撮影経緯である。それ以外を書かされそうになった場合には、数日間、この項目を飛ばし、後に作業を行うことにする。
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2018/08/24 9:23
この件で撮影したフィルムは、村周りがプロ400N、結婚式と披露宴がプロ 400N、アスティア100F、プロビア100Fであったと思う。ところが、昨日記録を見ると、プロピア100Fが欠如していた。しかも、2009年11月14日で記録は切れていた。データベースでも、データベースのプリントアウトでも。当時、11月15日から12月31日にかけて撮影を一枚もしていなとは思えないが。
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これから朝食と、幾つかのNewsをインタネットでチェックした後で、確認をするかもしれない。前回の、後ろの小母ちゃんで、類似ケースでは画像が変化していた。記憶違いが、入替かは不明と記した通りである。
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一つ言えることは、後ろの小母ちゃん関連での単価問題と、このときの撮影に関して、外部で異常反応が見受けられる。外部とは得たいのしれないグループを臭わす(かなりの人数からなる)集団である。
本来、大した話ではないにも拘わらず、完璧な異常反応が見受けられる。
ましてや、費用は全て私持ちで、相手には一円も請求していない事項で。
この異常反応は何であろうか。
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では、「改竄されぬように写真も圧縮・縮小で公開をしたら」。
できる訳がない。肖像権問題やプライバシー権問題がある。
「ならば、インタネットや文献でも使用できないではないか。」
その通り、出来ない。
「では、お前(私)に何のメリットがあるのか。」
何にもない。
「人に見せたいのでは。」
仕事上みせざるを得ないときのみ。ただ見せるだけならば、お寺さん(2011年末死去)が無料で寺の本堂を提供するので個展をやったらと何度も言われていたし、写真サークルでも病院・郵便局などで公開もできるし、それ以上にインタネットでも公開できるため、わざわざ人に贈って見せる必要はない。
ましてや、こうした写真は肖像権・プライバシー権問題より、全て上記手段では公開不可能である。では何故撮ったかなどは後で書こう。
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2018/08/24記述 21:25記述
(不適切部分は後に省略することもあります。公式ブログはトラブルブログや私的ブログではないので、知的か、教養か、ユーモア的内容等に限定しするため、これらの目的に合わぬ事項は清書段階で省略することもあります。)
前回の従兄弟の結婚式で眼鏡代金と撮影費用とを勘違いし撮影してしまった。だが、全従兄弟の子の結婚式で、毎回あのようなことを出来るはずがない。ましてや、金欠(無収入)のときに。
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そこで、大慌てで、その趣旨を伝えるために、下記文書に類似内容を関係者の何人かに送付した。
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(☆1)撮影平等原則について(2006年1月17日作成、後日微修正)
Ⅲ:冠婚葬祭などにおける親戚・身内とのつき合い条件。-今回の件との平等原則について-
-M子との約束に関する若干の訂正事項-
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1)本来の私にふさわしい収入の入る状況下
→ロンドンも日本の両方の結婚式に出席し両方とも撮影する。
(勿論、交通費、宿泊費および撮影費は私持ちのため配慮無用。無料)。
※54歳の本来にふさわしい収入とは→ちなみに2006/1/17時点→関学の同期生(同一学年)では阪神百貨店社長(経済卒)、小池百合子(社学途中辞め→カイロ大へ)・・・多数、関学のサークルの先輩は関学の副学長浅野氏・・・。早大大学院院時代の学友では(サークルで数年共に勉学した早大法看板の水島朝穂早大教授、政治学研究科で同時期研究したカンサンジュ東大教授・・・)記すまでもない。林野高校ですらベネッセの取締役には相当昔から林野高校時代の同期生福島君・・・の始末である。しかも客観的に考えて私の能力が彼らより劣る事は控えめにみてもありえないため尚更である。
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2)私の30代前半(1984~87年)の駿台予備校時代の収入回復時
→国内の結婚式のみ出席し、当然の事ながら写真作製費用含めて同上、すなわち完全無料である。記述の必要性もない当然の事である。
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3)今日(1988後半~2006/1/17時点)の経済封鎖、職業選択の自由剥奪、事実上の監禁状態下
→残念ながら、撮影は私の意志にかかわらず不可能である。それどころかTやMT子の結婚式に出席しなかった如く出席も不可能な可能性がきわめて高い。
友人の結婚式、大学ゼミ、高校等の同窓会類も1989年以降はすべて欠席、1994年末頃の(大恩ある)恩師の送別会すら欠席、正確には出席不可能中。
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4)上記の如く約束を一部厳密に記述しておく。薄情と思われようとも不可能な領域で双方において無理することは双方にとってよくないし、第一できないものはできないからである。
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5)上記の原則は、M子のみか、Y、D、MN、Aさんの子供ほか・・・全員に適用される。すべての問題は人間としての人権を私から長期剥奪した物・者にある。勿論、無関係の他人の場合には全く話しが違い、私と金銭面を含む双方の合意と正式契約なしには写真、すべての文書類も含めて私の能力、労力、(知的を含む)財産・・・を提供することは一切ない(閲覧も同様)。同時に有料とする。
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今回の2009年該当家の結婚式が11月にあるという。本来ならば母が参加し、金欠・多忙のの私は参加していなかったかもしれない。ところが、その日に、姉の義父の一回忌と重なった。そこで母は参加できないので、私に行くように言った。該当家に伝えると、「母の方に来て欲しかったが、一周忌では仕方ない」(該当家の奥さん言明)となり、私の参加が決まった。
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ところが、上の文書(2005年結婚式撮影に関連する文書)は、2009年結婚式該当家には、だしていなかった。近くのため、2005年や2006年当時は年賀状のやりとりをしていなかった。ましてや、2005年この家に住んでいる叔母(この家の主の母)が死亡したため、喪中であったため尚更である。
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そして、神戸の従兄弟の結婚式(2005年)ではこの家の夫妻も神戸の結婚式に参加しており、帰りには、神戸から我が家まで車で載せてもらって帰っている。そして血縁関係は神戸の従兄弟と同一である。
その家から、「うちの子の結婚式写真も撮って」と言われれば、上記内容の手紙を送付していない以上、当然回答は「OK」しかない。そして、「一杯撮ってといわれれば、そうなる」。
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そこまではそれで良いのであるが、金銭トラブルや誤解を避けるため、母からの金は厳密にチェックした。まず母には該当家から絶対に金を受け取らないように厳重に注意した。結婚式以前の、私の結婚式に参加が決まってから、母から渡される金は「誰からか」をまず確認した。そして該当家では絶対にないことを何度も確かめた。次に使途を聞いた。例えば「医療費」「下着購入代金」などを徹底して確認した。そこには該当家の名も、結婚式撮影費用もなかった。
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何故、そこまで確認したかは、前回の眼鏡代金を撮影費用と勘違いしたことにあった。更に、何故か、従兄弟などがお金をだした用に見えたので、徹底した。ちなみに、2005年に勘違いをしたようであるが、母から「神戸の従兄弟から」と言って金を貰ったことはない。また「神戸の従兄弟の子の結婚式撮影費用」と言ってもらったこともない。貰った金は「医療費用」「インフルエンザ注射代金」「衣服代」「食材購入代金」などである。だが従兄弟が金を出したように思えたので、どこの部分が従兄弟からの金に該当するのか分からず参った経験からである。今度は絶対に勘違いをしないため、徹底的にチェックをした。
今度は絶対に貰っていないことを明確にするため、母にも絶対に以降も貰わないように厳重に言い渡した。
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尚、母もそうした点では嘘は言わない。
私は親戚・近所・知人宛の写真代金は一切請求していないし、貰わないという方針を持っていた。では金がないのにどうするか。それもありプライベートでは一切撮らぬと1994年から何度宣言したか分からない。そして、2009年のこの撮影後に再度徹底した。例外は母が亡くなる年(2012年)に、母も長くないかもしれないと思い、母の孫の結婚式を一度だけを例外とした。それが次回である。2012年である。これは姉や姪に贈呈したのではなく、母に贈る予定で計画していたものである。ましてや、この頃は母が姉の家に居候していたため、そこで例外を一回だけ付け加えた。
2013年以降は、理屈抜きで、プライベート写真は一切撮らないと、明確・単純宣言をしている(インタネットでも公開中)。
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{ただし、母経由で訳の分からぬ金が一部あることは事実であるが、それは全て、母の姉(伯母)の2~3回に限定されている。この意味不明の話は最後に写真残酷物語⑤を追加してしよう。ここは母と仲の良かった伯母のため、思い出も含めながら、楽しく記したい。伯母の件だけは、何か母がやった疑いがあるが、それもで、伯母からでも伯母からの金とはっきり言う。何故、伯母からの金かは、伯母が母に世話になり、その御礼を母にする所を、私が無職のため、私に代わりにしたのかと思った。
というのも、母の妹(叔母)が我が家で宿泊の度に「隆政君お世話になりました」とお金を私に渡され、同時に「写真は送ってこなくてよいので」と毎年言われていたからであった(即ち、写真の御礼ではないと意思表示されていた)。
が、写真に絡めて伯母(母の姉)に限定して、母が何かをやったかもしれない。それらは別の回で記す。だが、それでも、伯母ならば伯母からの金とはっきり言うが、従兄弟からの金と言って、母から金をもらったことは一度もない。だが、前回の二の舞を踏まぬように今回は徹底した。勿論、従兄弟から写真代などはもらったこともない。一体何?、で困った。そこで二の舞を踏まぬように徹底に徹底した。}
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そして、写真ができたときに、今回の該当家に持参した際(2010年1月2日)に、該当家のA氏に明白にその趣旨を伝えた。「御礼は一切不必要。結婚式の写真のため当然であるが、更に、カメラ器財故障や、私が撮ったと思われぬ写真もあり、…ともかく、御礼は固くお断りします」と。
A氏は「隆チャン、ありがとう」であった。
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念のため、A氏に下記の文書も手渡した。今回私的ブログで「第五回私文書公開:写真贈呈に当たっての手紙:2010年1月2日該当家手渡し(1月9日同一文書姉・従兄弟送付):公開日2018年8月24日」として公開している。
第五回私文書公開:写真贈呈に当たっての手紙:2010年1月2日該当家手渡し(1月9日同一文書姉・従兄弟送付):公開日2018年8月24日
ところがところが、…
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何らかのデマが飛び交い、A氏の奥さんが……見えて仕方ないので、上記文書を姉と神戸の従兄弟にも送付した。更に後には無駄かもしれないが我が家の廊下に掲示し続けていた。
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その話はそこまでとしよう。今回のテーマはアナログ・デジタル転換、アナログ攻撃編である。アナログを狙われ、如何に格闘したかを、これから記そう。
写真物語は公式ブログに掲載している以上、トラブル類ではなく、知的か、ユーモア的内容としたい。後は本題に戻り、知的側面から、フィルム写真というものを語る。そこを狙われたのである。
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デジタル・アナログ変換で、今度は、パソコンも四ギガある。プリンターもPX-G5300で肌色もでる。さらにプリンターではオートファインを使用できるため、印刷画像のプレビューがモニターにでる。今度は大丈夫と考えたが、今度はアナログ面を徹底して狙われた。その話をこれからしよう。
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2018/08/25 3:25
●【アナログ攻撃問題】(後日)
①乾電池を機能不全と置き換えられていた
→ストロボ誤作動。F90Xのオートフォーカス不調
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②フィルムが在庫管理の悪いのに置き換えられた疑惑
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③他人撮影としか思えぬ写真の混在
ケーキ入刀→フィルムスキャナーでDigital RocとDigital Gemがきかず。これはフィルムの複製ではないのか。修正はフィルムスキャナードライバとレタッチソフトとプリンタドライバの三つで行う。この場面ではフィルムスキャナーでのDigital Gem及びDigital Rockしか無理もこれらがきかず。通常ではあり得ない。
ただし、OS用スキャナードライバのファームアップ問題かもしれず、百パーセントとは断定できない。
それでもこの場面から、この角度で写した覚えはない。
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④オートフォーカスロックが使用されていない。
私はオートフォースロックで撮影を幾つもしたが、全部そうはなっていない。
幾つかは外れるであろうが全滅はあり得ない。オートフォカスロックを知らぬ人が写した疑惑。ただしバッテリー問題もあり、百パーセントとは言い切れない。大半が披露宴会場の方。
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その他あるが、とにかく、アナログフィルムでフィルムとバッテリーをやられると終わりである。私は前日に購入したての乾電池に置き換えた。
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⑤リモートコントロールで遠方から操作された疑惑。
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⑥トイレに行った時を狙って…問題
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【当時のその他のメモ】
撮影に入れば全力で撮る。
それは、仕事に関する部門に少しでも関係すれば、私の性(さが)であると同時に、私の労働力商品に対する評価問題(即ち、私の売値=新仕事への評価問題)がかかっているからでもある。篠山紀信さんという写真家がおられるが、篠山さんも同様であろう。
撮るならば本気で撮る。それ以外は一切撮らない。
中途半端に撮れば、彼の商品価値、篠山ブランドが落ちるからである。
私の場合も仕事を臭わす分野では同様である。浜田ブランド問題がある。
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だが、予算はどうするか。
無い。
無い袖は振れぬ。
だが撮るときは全力で撮るとどう両立させるか。
そこで考えたのが、このときは三つの分野に分け、一分野だけ撮るとしようかと思っていた。
第一分野が村での挨拶回り、第二分野が結婚式の儀式、第三分野が披露宴である。
そこで第一分野だけ必死で撮り、後は止めるしかない。
但し、第一分野で相当枚数撮り、ずば抜けたのを一枚だけ大きくして贈呈するを考えた。
何故ならば、従兄弟の子供や甥姪などで結婚待ちがかなりおり、平等に接することは予算上不可能である。同時に、「無い袖は振れぬ」。
2005年とは違うと言われれば、2005年は眼鏡代金と撮影費用を勘違いしたためであり、勘違いを全員に適応することは物理的にできない、とはっきり言うのが当たり前である。
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だが、挨拶回りでの撮影が十分できなかった。
理由は親子で意思統一が出来ていなかったと思われる。
というのは我が家で撮影した。そのときに花嫁さんと母が最初はカメラをかなり意識した。
じっくり待ち、両者の一瞬の隙をつき、カメラを意識してない時を狙い続けた。姉が入り、母とA家の子供が笑った時を完璧にうつした(母と花嫁さんのカメラへの意識が消え去る一瞬を待っていた。そして一瞬であるがその場面が来たときに一気に写した。それまではそれを待つため、リズムをとるため遠隔レリースをしていた。)。
しかし、その後、二階から相当遠方から撮っていたときに、再度カメラを意識してきたというよりも怪訝(けげん)な顔をして、「どうして…」と不思議がっていた。
親は「隆チャン一杯撮って」と言い、子は怪訝(けげん)な表情であり、話がついてないように見受けられ、撮影を中止した。
一番良いのは、カメラと撮影者を一切意識しないことであるが、それ以上にどうして私を写すのと不審や疑問を持たれたならば写せない。その対応は悪いとも言わないし、問題もないが、撮影を続行すれば人間関係が乱れればと考えると撮影は中止した。
要するに無理と考え中止した。
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ちなみに、プロのカメラマンで撮影では一般にカメラ意識を嫌う人が多い。例外は植田正治氏くらいであろう。植田氏は被写体がカメラを意識すれば余計に意識させ撮る。電信柱があれば、その電信柱を活かして撮る派である。
だが、通常のカメラマンは被写体がカメラを意識することを大変嫌う。
そこで、フィルム式カメラの頃は、カメラにフィルムを入れずに撮り続け、相手はフィルムが入っていると勘違いをし最初は意識するが、そのうちに撮られぬのになれ、もう「カメラ・写真などどうでもよいわ」と思った頃に、はじめてフィルムをカメラに入れる人が結構いた。もうどうでもよいので普通に、「カメラマンなど知ったことではないは」と思った瞬間から開始である。
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だが、この日はカメラ意識以上に、どうして撮るのと不思議な顔でみてきたため、私も「一杯撮って」と言われたのにどうなっているのか(子供さんに伝わっていないのか)と不思議に思い、撮影を中止した。こうして一杯撮るは中断された。
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これでは少し困った。ここで完璧に撮れていれば問題はない。
デジタルではないため、結果はすぐには分からない。この時の撮影は2005年11月7日であるが、このフィルムを使い切ったのが11月13日夜である。結婚式は11月14日である。
だが、結果は分からない。デジタルではないので現像もプリントもしていないので分からない。すると、感触では確実に一枚撮れたと思ったが、失敗していれば渡す写真は零である。同時に、その数日前くらいに、姉が結婚式も撮ったらと言ったこともあり、第二場面結婚式まで撮ることに予定を変更した。
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平等も何も、無い袖は振れぬ。2005年は勘違いであり、しかも、当時と同一額など不可能である(前回の徒然なるままにを参照)。そこで第二場面・結婚式の式までと考えた。披露宴は大勢の人が写しているので、もう問題なかろうと考えたこともある。
2005年との平等性は?
先に言った通りで、勘違いを全部に適応は「無い袖は振れぬ」である。
だが、一つだけ2005年と同一となった。結婚式で花嫁の後ろの光を見、シャッターを切った瞬間に催眠モードに入った。もう、第二場面のみではなく、第三場面まで撮ると意識が変化させられた。2005年も一枚シャッターを切り、催眠モードに入ったのと同一である。(ただし、2009年と異なり、第三場面では、ときに意識が戻り、当初予定と催眠との分離が見られた。特にトイレから戻ると…時にはどうなっているの、と。その後暫くして分離がみられたりした。)
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もし、2009年に村周りの場面が現像でき、一枚撮れていたのが分かれば、他の従兄弟の子や甥・姪の子の関係上、結婚式では撮らなかったであろう。もし、催眠がなければ式場では撮らなかったであろう。
同様に、もし、2005年に結婚式を待つ間に船に乗っていれば2005年の撮影はなかったでろう。
もし、2005年に母が再入院しなければ2005年の結婚式にさえ行けなかったであろう。もし、2009年に姉の家の一周忌がなければ2009年の結婚式には母が行き、私はいけなかったであろう(無収入で参加の有無は母が判断するのであり、私に決定権は共になかったのである)。まさに平等である。
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それは後に続く、従兄弟の子の数や甥・姪の子の数と、長期無収入に置かれている私の状態から致し方ない。再度言えば、無い袖は振れぬ。
事実上1987年末から事実上の赤字、1998年から無収入であり、この時点で22年間の金欠となるため、無い袖は振れぬ。さらに他の従兄弟の子や甥・姪問題もある。理屈抜きで無い袖は振れぬ。
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オレンジ部分のみ2018/08/26 21:47記述
2009年11月14日の日々日程表より記述
他の人が十分撮っていたため、私の撮る必要性はないと判断したため、最初は全く撮影しなかったが、チャペルに入り、神戸ルミナリエ的なものを見るや、急に撮影開始。この日せいぜい、A氏と(結婚式の花嫁)NO氏を撮る程度にする予定であったもの。
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だが、催眠モードで第三場面も撮るとなった。第三場面前に私は言い切った。花束贈呈で従兄弟夫妻の涙を撮る。それだけを決める、と。
そして、実際にその通りとなった。だから、私自身は問題ない。
だが、問題がでてきた。
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結婚式・披露宴での花嫁さんの決まった写真が一枚もなかった。私の目から見ると本当に全部良くない。もし、一枚でもあれば、村周り一枚(我が家の庭)、結婚式での花嫁さん一枚、従兄弟夫妻の涙一枚をA4として、計三枚だけ贈呈で終わりとなっていたであろう。
だが、結婚式・披露宴を写していて、結婚式での花嫁さんの良いのがなかった。これ抜きでとなると違和感を感じて、ケーキ入刀その他をいれざるを得なくなった。
過去、例がないほど良くない。渡せば浜田ブランドは終わりであるし、渡さねば撮ったのに何故渡さぬのかと、あれやこれや相手は勘違いをするであろう。
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もっとはっきり言えば、ケーキ入刀は画質、フィルム素材などが本当に良くない。そして、その写真は私が撮ったものではない。だが、ド素人がみればよいと勘違いをする写真をいれていた。するとその写真を渡さないと嫌がらせかと勘違いをされる危険があった。そこで、この写真をキングサイズと思うがプリントし、別にA4サイズにもプリントして、キングサイズのみを渡した。
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そのときにA4サイズも持参して、A4サイズをみればわかるように良くないので、A4サイズはプライドにかけて渡せないといって渡さなかった。一応、できる範囲までした後で、その写真をA氏に見せ、納得してもらった上で渡さなかった。否、プライド上渡せなかった。良くない。何がよくないかは技術論で書いた通りである(後日記述)。
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写真は一に場面構成、二にピント、三に露出である。もっともその前にシャッターチャンスもときにはある。だが、戦場の写真出ない限り、前提にはフィルムの材質と、フィルムの管理状況がある。私はこの日、一番いきの良いフィルムをいれたはずが…まず、フィルムを入れ替えられたとしか思えないことが多々あった。
▽
材質問題、若しくは先に●●でかいたように、ケーキ入刀を誰かが撮り、その写真を別のカメラで写し、そのフィルムを私のフィルムに混入したか、若しくは他人撮影のいフィルムを複製したのであろう。
だから、フィルムスキャナーで取り込むときに、Digital GemとDigital Rockが効かなかった。詳細は●●参照。すると、小さいサイズでプリントして相手の目を誤魔化すしかない。可能ならば切手サイズであるが、それは非常識なためやむを得ずキングサイズとした。
▽
結局、私の目にかなった写真は二枚のみであった。
村周りの際の我が家での母・姉と花嫁さんの写真と、花束贈呈のときの夫妻の涙である。
結婚式場を写さず、披露宴も写さず、花束贈呈だけを写していればそれも可能であろうが、他も写した、だが写真は●●の結果、良くない。
▽
{●●から分析されることは、他人撮影の写真が相当入っていたとしか思えぬこと、それも見かけのみ追及し技術が欠けていたり、日常的なフィルム関係(製造月日の最近のものを揃え、できる限り早めにつかうが、それまで冷蔵庫保存などの日常努力の欠如した人間が絡んだと想像した。みかけだけ者である。}
▽
写真は撮るときも多少大変であるが、撮る前のフィルム揃え、管理、器財管理、何よりもアイデアを練る……、そして撮った後の後始末が大変である。
▽
ケーキ入刀は撮影抵抗のことは後日記す。
花嫁・花婿が主人公なので…は当然である。みんなで良い写真を持ち寄っては否定しないが、そうならば撮った人は自分が撮った写真に最後まで責任をもってほしい。プリントアウトを自分の責任でした後での混在とし、同時に撮った人に著作権がある以上、写真ごとに撮影者を明確にしてほしい。
▽
私に押しつけられると時間も多大に取られるのみか、私の目でみて良くない写真が私のアイデアとか、私が撮ったと誤解され、大変被害を受ける。屈辱以上のものである。冤罪同様である。
▽
趣味ではなく、仕事の一貫でカメラ・写真をやっているのである。篠山紀信さんにきいてみるがよい。
彼は言うであろう。だから、私は自分の子供さえ撮らず、ましてやプライベートで他の人の写真を撮る訳もない。仕事は仕事で、プロレスでは親でもリングにあがれば殺すという意気込みが必要と再認識した。
私もそれを見習い、母親のお通夜・葬儀・法要も一切撮らなかった。
同時に、レタッチを前提に、レタッチし易いように撮影をするときもある。無関係の人が見て、レタッチ前に良くないと思えた写真がよくなることもあるが、その逆もある。そうした意図を無視して他人がセレクトした写真を押しつけられるとたまったものではない。
▽
フィルムカメラではカメラマンが二人いる。一人は撮った人、もう一人はプリントアウトする人(今ではレタッチする人)、その両者が一致するまで、繰り返しプリントアウトをすることになる。だが一番良いのは一人に統一することである。それがアナログ・デジタルの後半であった。
▽
次回も憤り記すであろう。次回も、かなり他人撮影が混じっていたように思えた。それ以上に私のアイデアを封じられ、お子様ランチ写真を浜田ブランドとされた。だが、どのケースでも紛れもなく私の労働力商品は大量に消費されている。ストレスがたまらず何がたまる。金はその逆となる。
▽
▽
適度に。
それは街の写真屋さんで相談ください。もしくは私以外の人に。私はご免被ります。撮るならば必死で、そうでなければ一枚も撮らないとします。減らすならば撮影場面を減らします。万遍なく減らすのではなく、このときならば、村周り、結婚式場面、宴会場面のどれかを削り、撮る場面では大量に。
たかだか写真。その通り。だが、私はそれを仕事の一貫としています。商いはそれに携わっている人はたかだか▽▽ではないのです。
▽
最後に一言。
プライベートでは今後一切撮らない。
(近所・親戚以外の)人と事前に契約して撮る必要がでたときには、助手以外は私一人で撮影したい。失敗したらどうするか。だから大量に撮る。うまくいかなかったらどうするか。餓死する。だから必死で撮る。綱渡りは落ちれば終わり。だから必死でとる。そして落ちたらお陀仏と本当になるが、実際にはその方が出来はよくなることが遙かに多い。同時に、自分の主張・撮影哲学・オリジナリティも貫ける。だが、それは、私のみではなく、本格的にしている人ならば全員が思うことである。
プライベートでそれをやったならば、確実に餓死します。それもありプライベートは終わりとしました。
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■
最後に、ずば抜けた写真が1~2枚あれば、上出来です。ずば抜けた写真は、相当撮っても零の日が多いです。プロやハイアマチャのカメラマンは良い写真が多数よりもずば抜けた写真1枚を選ぶ人が多いです。このときにその写真があったか・なかったかは、私は何も書かずにおきましょう。
▽
ただし、そうしたものがあっても、プライベート場面では、著作権と肖像権が分離しているため、私はHPなどで使用することはできません。
2018/08/25:14:01
▽
撮影枚数は、村周りがネガ(プロ400N)16枚+ 結婚式:ポジ(Astia 100F)37枚+ 37枚=合計90枚。
私の目にかなう、ずば抜けたと上出来の間が1枚、上出来1枚
一応合格点は下記に近い。
▽
通常の人が上出来と感ずるもの(厳しくみて)33か35枚~(通常に見て)45枚。
総論として、上出来以上、若しくは超上出来と通常の人ならば考えるレベル。
しかし、フィルムから、デジタル変換してこの数値、しかも、ストロボ、三脚抜きを考えると超超上出来と、通常の人は考える範囲である。
ただし、私は通常のレベルではないということに過ぎない。
▽
尚、次回との差異は次回は「ありがとう」の連続、今回はその逆。すると、それを見て、他の人は今回は悪い出来と勝手に判断した疑惑あり。今回の主な写真を掲載すれば一目瞭然も、肖像権とプライバシー権問題から公開できない。
そこを逆手に取り…であった。
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私の厳しい目から見てずば抜けた写真は次回では、現時点で記憶にない。上出来も特に記憶にないがあることはあろうと思う。普通の人が見て上出来はかなりあった。前回はずば抜けたとか上出来が数枚程度か。
しかし、共に全て無料で私の自腹であり、多大な労力を提供しており、そうしたものを比較するものではない。自分の家に相手がどの程度、労力を無料で提供したのかだけで、通常は対応すべきである。。
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▽
【今回の器財】
①F5(フィルム式カメラ)、F90X(フィルム式カメラ)
②レンズ:AF 18-35 D(f3.5-4.5)、SP 28-75 (f2.8)、AF-S 70-300 (f4.5-5.6)ED、AF70-300 (f4-5.6)ED
SP 90 (f2.8)マクロレンズ、AF 50 D(f1.4)
③フィルムスキャナー:Coolscan ⅤED
④プリンター PX-G5300
⑤パソコン→前回記述のため省略。
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2018/08/26追記:21:39記述
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この撮影については各種妨害があった。
撮影後もプリントに当たって、裏に汚れがついたり、様々な妨害と思われることがあった。
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このときの作品贈呈妨害原因については
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α当時→どの勢力か不明も、写真関連に異常な対応をしめしており、私の作品妨害(就職妨害)をしている。
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β後に→前回の写真(2005年贈呈写真)を強調し、今回を失敗させ、対立策動や、諸対立を画策。
▽
γ)最近→妨害せずに、私の全能力をいかし、撮影すると、その作品の価値は大変高くなる。私が裏の知名度と表の知名度が一致すると、プレミア価格すらつきだす。すると、家族内不和。写真贈呈された人と贈呈されていない人の確執などが生じたり、村の中でこうした贈呈をうけていない人との対立を伏せずためだったのだろうかとも考え始めている。
現時点では不明である。
▽
▼
ここで、α)とγ)について追記をする。
▽
α)について。
この写真を該当家に贈呈したのが2010年1月2日である。
この写真作成は他の仕事をしながらしたが、約1月かかった。
特に後半は追い込みで睡眠時間がへっていた。
さらに、1月3日に村の役員と集会所を降りるため、他の人に引き継ぎの準備をしなければならない(引き継ぎは早い方が良いので1月3日か4日を検討していた)。写真も1月2日渡さなければならない。その上、母が当時心筋梗塞(心臓病)と脳梗塞を起こしていた。そして、認知症か認知症の振りをしきりに行い、私の精神は疲弊し続けていた。
特に、この頃、家の庭で庭の切った木を燃やし、炎が二階に届くかという事件もあった。
▽
スケジュール(予定)はこうであった。
正月(1月1日)集会所と村役の引き継ぎ準備。翌日渡す写真の最後の仕上げ。
1月2日写真贈呈・集会所と村役の引き継ぎ準備
1月3日神社掃除、昼から自治会総会、夕方
▽
おそらく徹夜も続くであろう。実際正月は3時間しか睡眠時間がとれなかった。しかも、大晦日、正月事項を全てせず、上記の作業に没頭である。
そして、姉の家に預けていた母が1月3日か4日に帰ってくる。すると、母の食事準備(一部は姉がした長期料理があるが週の半分以上が私がする)、更に、認知症の振りか認知症のため、常時観察しなければならない。
先の如く、家の庭で大きな火をたかれる火事になる危険もある。その上何度か庭で倒れたことがある。救急車も二度以上呼んでいる。
そこで、母が畑付近を歩いたり、庭をいじっているときも、二階の窓から常時監視をしていた。2階でパソコン作業中も、手を頻繁に手を休めて窓から監視をしていた。
▽
すると、年末から1月3日かけて、諸作業で半徹夜三昧、そして姉に預けていた母が1月3日夕方か4日に帰ってくる。
となると1月3日は睡眠不足状態が予想されており、そして午前中大きな山の上の神社掃除に行き、昼から自治会総会、夕方から母の面倒は不可能である。そこで、神社掃除は休む方針を相当前からだしていた。実際に記録には母が1月4日に倒れ、救急車を要請し、病院に入院させている。脳梗塞である。尚、母は当初は1月3日夕方に帰ってくると思っていたが、記録では1月3日夕方か、1月4日に姉の家からデイサービスに行き、1月4日に帰宅したのかは不明である。ただ12月には1月3日夕方に帰ってくると思っていた可能性が高い。
▽
神社掃除は各組合長がすることになっていた。私は2009年1月3日自治会総会後から、2010年1月3日の自治会総会が終了するまで私が組合長である。よって、1月3日の神社掃除は私が当番である。
▽
だが、私が神社掃除を休むと、次期組合長が気をつかって行くことを警戒した。誰とて、正月は休みたいものである。
しかし、私は先の理由で神社掃除には参加できない。だが、神社掃除を休む連絡は神社の大総代には伝えていない。理由は、神社掃除については曖昧であり、大抵何人かが休む。というのは村でボランティアの名の下での雑役が多い所に、大きな神社掃除が年に相当回数はいれば全部参加するのは無理の人が多い。
そして、実際に、私が参加した某日(日程は割り出せるが多忙なため今は某日とする)には行くと私一人であったことがある。やがて、女性が一人来たが後は誰もこないのでうち切りとした。理由は大きな神社のため二人では無理である。更に、家が周りにないに等しく、更に山の中で女性と二人きりでいることは問題が多いためうち切りとしたことがあった。だから、休む時でも連絡なしで良いと判断した。
▽
ただ、次の組合長が、気を遣っていくことを警戒した。そこで、二階から、窓にむかって、何度も、「私は……の事情で神社掃除には行けないが、次の組合長▽▽氏も、私や我が組合に(私・隆政が休んだら、私の立場が悪くなる)気を遣っていかないように」。これを何度も言った。
何故、家の中で言うか。それは、始終誰かが盗聴しているのみか、村のメンバーが私が家で言ったことを知っているという雰囲気だったからである。
▽
ならば、家で何十回と言っておけば大丈夫と考えた。
さらに、大きなポイントは、次の組合長の奥さんが(見間違えかもしれんが、たしか奥さんと思った)、窓の外の自動販売機の所に車を止めていた。そこで、家の中で同様なことを言うと、車のホーンをプー、プーとならした。
これで通じたと思った。
そこで、もうこれ以上は言う必要ないと考えた。
▽
ところが、総会に行くと、次期組合長が大変機嫌が悪く見えた。理由は相当長期分からなかった。今でも全ては分からない。
ただ、暫くして、どうも神社掃除が原因ではないかと疑っていた。しかし、確証はない。神社掃除が原因と想像したが、では何があったのか、それは不明であった。神社掃除ではないかもしれない。しかし、何もないのに怒った振りには見えなかった。
やがて、2015年か2016年のお寺の総代会と思うが、そのときに神社の大総代もお寺の檀家総代できていたので、尋ねると「あれは、私ではなくHRが(神社掃除の案内を)入れた」とのことであった。
▽
すると、きのせいではなく、やはり神社に絡むことだったようである。このときに、この事件の概要ははじめて確定した。どうも、神社掃除の案内関連のチラシか何かを次期組合長の家のポストに入れたようである。勿論、私の家のポストには何も入っていなかった。しかし、掃除当番は私である。だが先の件で行けるはずがない。実際に母が翌日倒れて救急車で県北一大きい緊急病院に救急車で移送されている。
▽
明らかに、私と次期組合長との対立を仕掛けた罠としか分析できない。その脈絡から、今回の結婚式写真を絶対に失敗させるという企てがあったと当時は分析した。理由は当時は不明であるが、おそらく、私と結婚式写真贈呈される家との対立画策であろう。だが、写真は先の如く、私レベルならばともかく、通常の人では相当良いという範囲のものである。私には不満が多いが、妨害があれだけあり、あそこまでしたとなる。
▽
ただし、次期大総代HR君は幼少の頃から知っているが、人と人の対立画策をする人物ではぜったいにない。これは間違いない。
彼を誰かが誤解するように誘導したか、そうでなければ、本当に単なる誤解であろう。彼は悪質な画策どころか画策すらすることはない、超真面目人間である。HR君のお父さんもお母さんもお姉さんもよく知っている。
▽
こうした事件があったので、写真もぜったいに失敗させてやるという形できたと長期考えた。何故ならば、我が家の付近に、我が家の比較的血縁が近い家が4件ある。1件は写真で対立させられ、一件はそこの老母を悪用し対立をさせられ、残りの二件が次期組合長と、今回の写真贈呈の家である。
そこで、犯人は不明であるが、対立画策をしたとしか分析できない。
この村の神社掃除当番を巡っての対立画策と、併行で写真贈呈をめぐって対立工作があっっと分析した。
▽
▽
γ)ただし、最近は、もう一つ解釈可能と考え出した。
それは、私が全能力とアイデアを振り絞り、必死でやれば、贈呈された家は近所・親戚類の嫉妬対象のみか、その家の子供同士の対立を生み出すかもしれない。
だが、仕事(就職)に影響することで、私は手抜きはできない。
分かり易く言えば、篠山紀信氏がいったん引き受け写真を撮るならば手抜きをすると、篠山ブランドに響く。だからできない。
そこで、必死で、撮影妨害や、後のプリント妨害をしたのだろうかという考えである。
今回の件とは言わないが、そのことをイソップ童話版で抽象化したのが「気が向けば一言№94貧者の贈り物」(本日深夜か明日掲載予定)である。
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今思うのはαでは話題提供型で「気が向けば一言№93」「アイスクリームの話」を狙い、β型で近所の中でも我が家の(比較的濃い)親戚類との対立画策を図り、そして、わずかにγ)への配慮もあったと想像している。即ち、三つを全部狙った画策と推定している。
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2018/08/26 22:09
現況(2018/08/26 22:04)現在の考えでは、各家への写真贈呈は、万一本などが売れ始めて大金が入っても、(無料とはいえ)配布はしない方が良いと思うようになってきた。
例えば、我が家の家のは良くないのに、誰誰さんの家のは良い…手をぬいたのだろうかとかなど人の対立をうむだけであろう。
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そこで、だした結論は、万一(賠償がかなりあるか若しくは作品が売れ出し)金が入れば、村以外も含めて写真か何かの本をだし、そこに各家の写真をいれ、その本を無料で配布するであある。ただし、村の写真では売れぬため、他の地で撮った写真との混合などである。
※雇用能力開発機構などの賠償額については、私はノータッチと宣言している。
2018/08/27 夜 追記
☆☆☆
郵便受け内の物を悪用しての我が家界隈の親戚とのトラブル策謀疑惑は2018年タマネギ配達問題にあった。
簡単に言えば、我が家にタマネギを配達してきたが、先に隣家の郵便受けにに我が家宛の「ゆうパックご不在連絡票」をいれたようである。後者は全く私は知らない。隣家の住人が怒ったような顔をしてきて、はじめてわかった。
なお、この不在連絡票は確実に保存していたが、相当前から行方不明、後に追跡番号でルートをプリントアウトしていたものも本日不明(幾ら何でもこれは確実に整理中でみたためでてくるとは思うが)。さらに、楽天でタマネギを注文した店からのE-mailは既に書いた理由で突如誤操作で約1年半余りの(取り引き限定で保管していた他のメールも含む)受信箱を削除している。
また、楽天の購入履歴でももうでてこない。
私の日々日程(公式ブログトップのニュース欄)で公開している記録が改竄されていないならば下記の通りである。悪まで改竄されていなければである。
▼
①2018年5月12日玉葱注文3キロ(楽天の購入履歴より)
②2018年5月18日玉葱配達に来る(その前に、警察から来たといって、警察以外に人がくる)
詳細は日程表参照
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=20624
★★
③2018年5月20日隣家から、私宛のゆうパックご不在連絡票が隣家に入っていたと苦情がくる。
詳細は日程表参照
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=20671
★★
HPで公開していない記録では下記となっている。
2018/09/01追記部分(オレンジ箇所)なお、下記メモは誰かが改竄していれば責任をおえず。
配達担当者 杉▼▼子:1/18 12:50頃:追跡番号1466-5541-9002 (▼▼もメモはあるが念のため伏せ字):(年配の)女性である。
○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1035836288346206208
18-241-2【私事】
①日本ゆうパック不在連絡票突如不明
②追跡番号で当日の経路プリントアウトが不明
③店からのMail等不可思議な形で削除
④他のPCから過去のMailダウンロードは悪戯メール数千で無理
※追跡番号と担当者名(坂本九類似名)のメモ→徒然№20メモで公開中https://t.co/B81sk5qaJV— 浜田隆政 (Takamasa) (@Takamasa_Hamada) September 1, 2018
▼
最近記しているイソップ物語をもじった浜田隆政物語(HAMADATale)第二話「貧者の贈り物」に書いている。
★★
④2018年5月21日美作市福本郵便局で、社会常識的行動を要望する。
→間違えて不在連絡票を他家にいれたときには、気づいた時点で、その郵便受けにその趣旨の内容を名刺に書いていれるか、最低でも我が家に一言「…で隣に不在連絡票をいれたのでお詫びしておいてください」などと言わねば、隣家とのトラブルになるので今後そうしていただきたい、と。
詳細は日程表参照
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=20672
★★
⑤2018年5月22日
上記の家ではないが、近所付近にパトカーが19時頃から約30分…
詳細は日程表参照
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=20674
★★
⑥2018年5月23日今度は先の家からの三回忌案内が我が家のポストへ
だが、私(浜田隆政宛)の記述がなく、また、誰かの悪戯か本物か判断不明のため、この文書コピーをつけて、欠席通知を相手に後日送付
詳細は日程表参照
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=20675
★★
▼
こうした、近所の親戚と全てもめさす策動が常にあった。
2010年1月3日の神社掃除の件はこうした策動の一貫として行われたとしか分析できない。ただし、この頃、交替して新しく神社大総代となったHR君は、幼少の頃から知っているが、そうした策動をする人間では絶対にない。
彼は彼なりに正義感に溢れた、非情に真面目な人間である。失礼な言い方をすれば糞真面目な性格をした人間である。私はHR君を疑ったことは過去も現在も一度もない。
2010件の頃にで某氏が怒ったようにも見えたが何が何かさっぱりわからず、相当月日をおいて、神社掃除の件かと疑い、それでも半信半疑であった。やがて、当時の大総代EA氏に、お寺の総代会のときに、「あなたは、ひっとして、神社掃除案内を次期組合長に何か言ったのでは。当時の、神社掃除当番は私・浜田隆政である。違う家に何かすると隣人と揉めるではないか」と。すると、EA氏が「あれは私ではない。HRだ」とのことであった。
私が神社掃除に行けないのは先の組合長・集会所管理の引き継ぎ文書書き、この項の中心である某家への写真贈呈準備、さらに一番大きい脳梗塞・心筋症・さらに(振りか・本当か不明も)認知症の母対策問題からである。あれでは行けないと、最初から誰も知った上でし組まれた罠と思った。
なお、この罠を仕掛けたのがEA氏とは一言も言っていないし、書いてもいない。彼の動機もない。HR君にいたっては幼少の頃からの幼なじみであり、しかも仲が良い方の幼なじみであり、我が家とHR君の家では友達が大変多い。HR君の姉と私の姉も仲の良い友達である。
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こうした流れの中で、今回のい家の結婚式撮影も失敗させ、その家と揉め指す策動かとも当初は思った。ただし、この写真は完全無料で、私の自腹と、私の多大な労力でおこなっており、更には通常の人が見ると、よく撮れたというのが33~45枚である。まして、フィルム・アナログ変換(JpegではなくTiff変換)であそこまでやるならば、料金次第ではそうしたことをしている店に多くの人が過去のフィルムを持参しデジタル化を依頼するため、長い行列ができるであろう。予約待ちの連続となろう。
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もし、それを商売としても十分生きていけるであろう。ましてや今はインタネット通販ができるため尚更である。フィルムをTiff変換で60MBを中心にすれば幾らとられるかを調べるがよい。もっとも重要な写真以外はこの頃は15MBを基準にしていたが。15MBのTiffでもフィルム一本36枚となれば十万円を超える店があってもおかしくない。重要なものは60MBで入力。ただし原本はトラブルの原因となるため、私は正当な理由と第三者立ち会いで協議以外では渡さない・貸さない。勝手に盗むと数十万円から百万円くらいの泥棒となる。これらはトラブルの原因となる。イソップ物語を真似てつくった話集であり、他とは一応無縁であるが浜田イソップ物語参照。
☆☆☆☆☆
なお、私の方は肖像権・プライバシー権問題があり、一切使用する予定はない。
▼
某店のHPの一部を紹介しよう。
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
当サイト内の価格は全て税抜き表示です(別途消費税8%がかかります)
●デジタル処理 デジタルで画素数が不足の場合、フィルムでも撮影、データ化(非常にきれいです)
画像入力(ポジ1点 35mm、6×7、4×5、プリント、最大a4)
○ドラムスキャナー(RGB CMYK・・印刷用)
画像入力(データ目安)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
a5(350dpi) RGB約 20mbまで¥ 5,000(税抜)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
a4(350dpi) RGB約 40mbまで¥ 8,000(税抜)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
a3(350dpi) RGB約 80mbまで¥ 10,000(税抜)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
a2(350dpi) RGB約150mbまで¥15,000(税抜)
スキャニングには、ポジ原稿の場合、オイル貼り(パラフィン入力)で1点1点丁寧に入力をします。
(フィルムとドラムの間の隙間を透明の液状パラフィンで密着させるため画質がシャープになります)
また、入力後のゴミ取り処理も行います。4×5以上は、オイル貼り 別途 ¥ 3,000(税抜)プラス
▽
○簡易スキャナー (RGB CD-ROM、ホームページ用画像入力)
フィルムスキャナーブローニーサイズまで可 10Mbまで 1点¥ 500(税抜)
○切り抜き用データ作成(パス切り作業 難易度により変動) 1点¥ 500~(税抜)
●画像合成 データ量、作業難度、合成点数、作業時間により見積り ¥5,000~(税抜)
処理時間で1時間¥ 3,000の処理計算で概算します。
●画像修正 ほくろ消し、色補正、シワ消し、足細く、商品色替え、変形など¥3,000~(税抜)
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
フィルム一本ではなく、写真一枚(一齣)の話である。もっともドラムスキャンであるが。しかも、プリント代金は別である。なお、私の方は幸か不幸かフィルムスキャナーが今のパソコンでは動かないため、もうアナログデジタル変換は二度とすることはない。
どの程度の画質でやったかはうしろの小母ちゃんの話の第三話、ユリと蛙(我が家の敷地内の我が家の花)で撮った写真をみれば分かるであろう。あれはフィルムで撮っている。一応当面参考用に下記にも掲載(ただし、写真残酷物語第一話はアナログ入力・アナログ仕上げである)
★クリック一度でパソコン大、二度で巨大。(2003年撮影)
ただし、HPでの公開時には知的所有権泥棒対策で、元画像を大きく縮小したTiff版を、掲載に当たり、圧縮しjpegとしている。家で印刷のときにはTiff版を使用する。
▼
また、別の店で安い店では、フラットスキャナー入力でも写真一枚20MBまでで2000円、30MBで2500円、それ以上は10MBごとに1000円加算。
ドラムスキャンで3000円(容量及びbit数不明)
しかし、基本料金であり、ゴミ取り、明暗、復元…などはオプション料金が加わる。本格的にするには写真一コマ1万円を割ることは可能かどうかは知らない。
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一般の店で、フィルム5本までCDに800円で書き込みますというのがあるが、あれは圧縮ファイル(拡張子jpeg)でしかも、容量が大きくないサイズでの書込である。単価は全く違う。費やす時間も全く違う。
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アナログからデジタルでは、一般の人のアナログをJpeg変換デジタルの安値と勘違いさせられ、アナログ・アナログ仕上げではネガのスピードプリントと、プロ用ポジでのこだわったプリントを勘違いさせられたのであろう。
だが、いちいち解説していたならば週二回の講義でも一年かかる。しかも賃金(講義料金、講演料金、)なしで。
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器財には業務用、プロ用、コンシューマ用(一般用)とあるが、私が使用してるのはプロ用である。フィルムスキャナーはニコンのCoolScanⅤedであるが、各種知識などから、相当こだわった形で設定値を使用しており、単純ストレート入力ではない。
事実上CoolScan5000EDと同画質である。スピードとbit数の違いがあるが、8bit入力ならば同一である。Coolscan8000EDでも35mmフィルムの8bit入力ならば同一である。よって、プロ用スキャナーと言っても過言ではない。業務用とは言っていない。
ただし、このスキャナーは現在、動かない。ある意味では残念、ある意味では万歳!である。後者はそれに目をつけて他人が…ときには催眠を使い無理矢理(人身売買・強制労働被害)の連続となるからである。
▼
▽
実際に店にフィルム二コマ(一枚は通常、一枚は相当暗くまともに処理できない)もって言って次のように注文してください。
「一枚の写真は、16bit入力で拡張子Tiffで240MBになるように。詳細な補正はよろしいが、ゴミ取・フィルムの痛み取りり機能だけはしてください。
もう一枚の写真は16bit入力で拡張子Tiffで240MB、更にゴミ取り機能のみか、補正がきかない暗さなので、古いフィルム復元機能をつかってみられるように。勿論、オプション料金はだします。更にオプションで、復元すれば画像があれますし、カラーバランスが乱れますので、シャープさを残しならがも画像の粒子があれないように、さらにカラーバランスの乱れたのもレタッチで補正してください。
当然、いずれもフラットスキャナー入力ではなく、プロ用以上のフィルムスキャナー及びそれ以上の器財で」
(フラットスキャナーもよく出来ているが、私はフラットスキャナーでいう4800dpiのプロ用の某メーカー最高峰も持っているが、フィルムからの入力では使用はしない。プリントからでは素晴らしいできをしめすが。ただし2018年のプロ用フラットスキャナーは知らない。2005年前くらいにプロ用最高峰のフラットスキャナーで何度も実験しての話である。されど現在のオモチャに見えるフィルムスキャナーよりは、プロ用フラットスキャナーの方が良い確率が高い。本格的なフィルムスキャナーはニコンも、キャノンも、ソニーももうつくっていない)。
▽
両方応じないかもしれないので、16bitを8bitに換え、写真一枚62MB(私が重要写真で大昔の2005年や2009年につかったサイズ)で上記を二つ言えば分かるであろう。
前者はその場で値段を言い、別の業者へ転送され、再度注文店に戻るであろう。後者は一般に写真ラボではなく、特別な店で成功報酬型で単価がつくかもしれない。成功報酬型とは手数料などを決め、次に予算枠●●円から●●円の間という形で契約を双方で結び、そして成功すればその枠内の数値を業者が請求し、失敗すれば最初の手数料などのみですむが、デジタル画像は渡されないであろう。また枠を超え始めれば、業者から再協議となろう。一般の店ではうけつないであろう。
▽
物は試しで一度業者・カメラ屋さんで今言った通りのことをいってみてください。
前者は私が今デジタルでやるときの理想、実際には予算の関係で8bit 120MBを写真一コマで行い、後者はアナログデジタル転換のときの、重要写真での2004年頃から2011年頃にやっていた実際の数値です。全部こんなことしていたら途中で墓場の時がきますし、収録メディアで大変となります。
カメラ屋さんで意味が分からねば、そうしたことを専門としている、東京・大阪の特別店で言ってみてください。まず、知ることからはじめましょう。
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でもアイスクリームはもう溶けてしまいました。(浜田イソップ物語・第一話・溶けたアイスクリームの話)。私はプライベートでは絶対に何もしません。第一フィルムスキャナーは動きません。フラットスキャナー4800dpiがあっても使用しませんし、動くか動かぬかもしりません。フラットスキャナーのdpiと、商業印刷のときの350dpiとは意味若しくはカテゴリーが違います。これ以上の無慮原稿・講義はしたくない。
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全て無料でしていると、相手はアナログアナログ仕上げではネガで地下のスピード写真の価格を連想し、アナログ・デジタル仕上げではフィルム6本をCD-rに書込ますを想像して文句を言う。
しかし知らぬが仏である。もし真相をしれば、浜田イソップ第二話(悪まで架空の話)の如く、嫉妬(しっと)や妬(ねた)みの嵐でノイローゼになるかもしれない。
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普通は隠すものなのに、自分でペラペラ喋って…珍しい…。もっとも、私の方は常にガス張り公開であり、同時にプライベートは拒否しつづけても、だましうち、催眠危害オンパレーードであった。
ようやく、プライベート面からは解放の兆しがでてきた。撮影や費用も大変であるが、人間の欲望面はさらに怖い…。
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下記は、イソップ物語に似た創作物語を書いているだけです。浜田隆政物語としたのは私に起こった物語ではなく、イソップに対抗してイソップ物語に対して浜田隆政(が書いた)物語という意味でしたが誤解されると困るので、当面は現代イソップ物語に変更しました。数十になれば浜田イソップ物語にしようかと思っています。
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2018/09/20 19:26追記
▽https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1042720227081875457
18-260-2【#徒然】№20・写真残酷物語第四話アナログからデジタル転換の壁・アナログをやられ(メモ追記)https://t.co/Oe7a7fQ4lo
贈呈写真構成→花嫁が育った村、育った家と祖母の姿(祖母の柿取り風景)、村周り…結婚式、披露宴、花嫁の両親の涙
テーマ「古里や両親、婆さんを忘れるなよ」である pic.twitter.com/xb06CLQj2m— 浜田隆政 (Takamasa) (@Takamasa_Hamada) September 20, 2018
▽(上記と同一文書)
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18-260-2【#徒然】№20・写真残酷物語第四話アナログからデジタル転換の壁・アナログをやられ(メモ追記)
●http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21847
贈呈写真構成→花嫁が育った村、育った家と祖母の姿(祖母の柿取り風景)、村周り…結婚式、披露宴、花嫁の両親の涙
テーマ「古里や両親、婆さんを忘れるなよ」である。
最初と最後の写真は決まっていた(共にA4で贈呈)。渡した他の写真も通常は人が喜ぶ範囲のものである。
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披露宴のケーキ入刀は、膨大な人が一斉に写したため、私は当初写さず、角度を変えて参考までに少し。ところが、他の人が写していたのと同一場面の写真があった。更にフィルムスキャナーのDigital Gem とRockが効かず。写真の入れ替えであろう。
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何故、ケーキ入刀を避けたか。多くの人が一斉に同一角度から撮影。これでは撮れぬし、撮っても意味はない。後者について言えば、多数の人が撮っているならば、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、私抜きでも結果はでよう。
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次に、多数の人(多分数十人)が撮れば、まぐれ当たりもある。そのときに、何人かの心ない人は「あっ、私の写真は浜田隆政氏のよりも上だ…」と。プロやハイアマチャが一番嫌う、撮影状態であった。しかも、私の撮影はこうしたシーンはストロボ抜きを原則とし、レンズは暗い上に手ぶれ防止ぬき、そしてフィルム式カメラであり、三脚などは持参していない。
更に、何度も書いたように、写真も芸術もオリジナリティが重要である。
同時に、私はケーキ入刀なるものに力を入れていない。撮影意義を見いだしていない。
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母は国民年金+父死亡後は共済年金の半分(父は私が小学校六年頃に教師を途中で辞職のため、年金額は通常の人が思うよりも遙かにすくない)。私は経済封鎖により無収入。
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撮影費用は、母の用事で交通費支給され、自転車で浮かせたり、「徒然№22」の母の姉妹…ときの件もありで、一円も請求していないし(逆に御礼など無用・無料と明言かつ文書に記載)、もらってもいないし、勿論もらう気もない。
※(2018/09/21 15:49追記)→「徒然№22」の母の姉妹…ときの件もあり⇒とは、そのときのお金などを充当という意味と、逆に、少しでも写真と近隣・親戚のお金を絡めてはいけないという両方の意味である。
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それが他人撮影のまで入れられ、屈辱以上のものであったが、懸命にレタッチとプリントはした。その後はどうなったか(贈呈後の再度の入れ替えなどの有無は)知らない。
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ところがところが、…もう何も書くまい。
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仕事道具は、やはりプライベートでは使ってはいけないということである。
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2018/09/21 15:14追記
●https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1043019480182321152
18-261-1【#写真 #徒然】№20・写真残酷物語第四話アナログからデジタル転換の壁・アナログをやられ(メモ追記)https://t.co/Oe7a7fQ4lo
花嫁の祖母(私の叔母)の柿取り風景撮影と入力の苦労話。
誰々に写真贈呈と言うが本当は嘘、叔母生前中には叔母にも写真を何も渡していないに等しい↓ pic.twitter.com/zUKlIrQIXX— 浜田隆政 (Takamasa) (@Takamasa_Hamada) September 21, 2018
▽(上記と同一文書)叔父=私の父の弟
18-261-1【#写真 #徒然】№20・写真残酷物語第四話アナログからデジタル転換の壁・アナログをやられ(メモ追記)
●http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21847
花嫁の祖母(私の叔母)の柿取り風景撮影と入力の苦労話。
誰々に写真贈呈と言うが本当は嘘、叔母生前中には叔母にも写真を何も渡していないに等しい↓
2009年花嫁の祖母は、私の叔父の嫁、簡単に言えば叔母である。
贈呈したときにいれた、叔母が柿の実を撮っている写真は大変であった。
当時35mm(今で言うニコンFXフォーマット)のカメラに、超広角レンズAF 18-35 (f3.5-4.5)をつけても叔母と叔母が取っていた柿の両方が入らない。
{30万円近い、AF-S 14-24 (f2.8)Gならば写るであろうが、購入する金がない}
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場面構成を壊さない範囲で思い切りバックして撮影でも入らず…大変であった。撮影位置をかえ、角度を変え…。
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写った写真でも人物はポジフィルム端のギリギリの箇所である。
通常の業者プリントでは人物は一切でない。
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ポジの(フィルムを保護する)マウントのため、右をだしても半分程度しか人物はでない。
マウントを外してプリントしても人物の一部が難しいのみか、今度は柿の方が一部けずられ、場面構成を駄目にする。
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そこで、この2009年の贈呈に関しては、私がこの写真の一齣(こま)だけを入力するために、フィルムスキャナーホルダーを、試行錯誤してオリジナル版(自作版)を作成した。
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撮影後も大変である。
2009年花嫁の両親の涙も、アンダー過ぎ(暗すぎ)、通常のラボでは対応は不可能である。そこで大昔のフィルムを復元する機能を使用し、更に、その結果によるカラーバランス調整で大変というものではなかった。…
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しかし、その大変さを素人に語ると、時間は大学講義の何週分、ときには一年に及ぶため、更に大変となる。
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ちなみに、カメラ・写真は何度も記した如(ごと)く、仕事道具のため、原則プライベートとでは使用しない方針であった。そこで一部の例外を除き大半の人には渡していない。
例外は催眠撮影も含めて、解説が大変ややこしい形である。徒然№18~21や、写真残酷物語第一話から第五話を参照願いたい。
この叔母にも生前中は渡していないに等しい。叔母にすれば、余り良い気分ではなかったであろうが、仕事道具(起業のための道具)故(ゆえ)にお許し願いたい、と本年墓参りの際に言っておいた。
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