夢か-17 オリンピック、柔道に想う 谷亮子の思い出(14年再録と15年追記)

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 Facebook書込No.14-014.『オリンピック、柔道に想う』( 2014/04/18)

 

 谷亮子の思い出。
それは、バルセロナ・アトランタ両大会での銀メダルではなく、シドニー・アテネ両大会での金メダルでもなく、北京オリンピックのときの銅メダルであった。
金メダル至上主義の柔道において、本来ならば金を逃すと気落ちするところを、気力を奮い立たせ、最後まで必死に戦った姿が印象に残っている。オリンピックの試合は人生の縮図かもしれない。当然、ナンバー1を目指すが、万一、敗れても・苦境に立っても、最後まで全力を尽くす姿に誰とても憧れる。だから、北京オリンピックのときの谷が一番印象に残っている。
しかも、後に聞くと、谷の子供の体調が良くなく、試合後にすぐ病院かどこかにかけつけたと聞いた。私も少し囓(かじ)っていた柔道に望むものは、谷のこのときの姿である。栄誉がなくなっても最後まで全力を尽くす、である。

 

 

山下泰裕君の思い出。
ロサンゼルスオリンピック(1984年)ときの山下君の姿は、まさに人生そのものであった。だから印象に残っている。しかし、山下君の涙で印象に残っているのは、1984年のロス・オリンピックではなく、1980年のモスクワオリンピック不参加決定のときの方である。モスクワオリンピック不参加の是非は今は書かないが、もし、柔道人気自体が落ちて、柔道がオリンピックから外されたときに流す涙を思い浮かべてほしい。
柔道選手は勝ち負けに全力を尽くさねばならない。だが、全員、税金を支払わねばならない。その税金は柔道そのものの人気を保つことである。だから、金メダルを見失っても、銅メダルさえ見失っても、最後まで全力を尽くさなければならない、と思うのである。
それは、容易なことではない。だからこそ、そうしたときの姿こそが、その選手の真の力だと思うのである。

 

 

私が、ロンドンオリンピックで言いたかったことは、上記のことであった。しかし、試合終了直後、ましてや、引退を決めている選手の試合直後に興奮して言ったとすれば、それは催眠誘導としか思えない(試合前や試合中には言っても、いくら何でも、試合直後には言っていないと思うが覚えていない)。それは無意味以上に有害でしかないからである。
試合中や試合前には催眠抜きでも言うであろう。北京オリンピックのとき、TVに向かい谷に銅メダル争いの前に檄(げき)を飛ばしたように。「銀メダルは負けて銀、銅メダルは勝って銅メダルである。それ以上に、最後まで全力を尽くしてほしい。世の模範となるように」、と。

 

なお、このロンドンオリンピックで、私の言動を悪用された疑惑があり、それもありソチ・オリンピックは一切見なかった。だが、(TVを通じて私と腐れ縁がある)浅田真央が、SPで転倒が相次ぎ16位と大きく崩れたが、翌日に見事な演技で、世界に感動を与えたそうである。彼女が、私の言いたかったことを実証してくれたと思っている。残念ながら、有言実行で、このときの試合はビデオですら見ていない。それは、政治・経済の世界のみならず、スポーツ界でも、他人が私の言動を勝手に利用した弊害に辟易(へきえき)していたからである。

 

 

 

【2015年追記】
(A)資料
谷 亮子(たに りょうこ、1975年~ )は日本の政治家、元柔道競技者(四段)。生活の党と山本太郎となかまたち所属の参議院議員、副代表兼参議院幹事長。旧姓は田村(たむら)。オリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得した。2010年参議院議員通常選挙で民主党の比例候補として当選。小沢一郎らとともに離党。

 

(B)今も多くのスポーツが行われている。
ただし、私は今は全部見ない。理由は多忙だからである。長年見ていた徹子の部屋・報道ステーション・朝まで生テレビすら昨年末から見ていない。妨害がなければ秒単位で動いているからである。
そして、スポーツに限らず、各方面から各種オファーが山ほどある。天皇陛下の仕事並である。そこで、暫くは全スポーツを見ない。

体操・テニス・柔道・レスリング……そしてサッカー、今は全て見ない。女子サッカーもワールドカップか何かで忙しそうである。私も忙しい。双方自分の仕事に邁進(まいしん)することが善である。

テニスの錦織君のことも気になっているのであるが……。

ただし、もし今後時間が取れたとときでも、私はコズモポリタンであり、日本選手に限定せずに、人間的に優れた、そしてスポーツパーソンとして優れた人を応援するであろう。国籍は無関係である。