▼正式公開前→下書き以前のメモ:徒然なるままに№19・写真残酷物語第三話アナログからデジタル転換の壁(脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)

徒然なるままに№19・写真残酷物語第三話話アナログとデジタルの話②・デジタル転換の壁(下書き以前のメモ段階も、脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)

 

最終更新 2018/08/29 15:50

2018/09/23 20:36 一番下にTwitter形式で添付と解説。

2018/09/24 14:38追記(一番下にTwitter添付と文章)→2018/09/25 0:04Twitter番号修正

2018/09/24 15:35追記(一番下にTwitter添付と文章)→2018/09/25 0:04Twitter番号修正

日時の記載ない箇所は2018/08/23 未明記述。

徒然なるままに№19・写真残酷物語第二話アナログとデジタルの話②・デジタル転換の壁(下書き以前のメモ段階も、脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)

2005年撮影の経緯は後で記す。
このときの残酷物語はデジタルの壁である。同時にプリンター問題に出くわした。

プリンターなどの器財は大きく分けて三種に分類される。
業務用、プロ用、コンシューマ(一般)用である。
私はプロ用を希望しているが、プロ用顔料プリンターは、2005年頃には大きな壁にぶつかり、それをまだ乗り越えていなかった。先に述べた肌色問題である。当時の染料プリンターは今の染料プリンターと異なり、色あせが早かった。少なくとも、アルバムではなく、壁に飾った場合などは色あせは大体3ヶ月から半年で起こっていた。これは多種(様々な所に写真を飾り)実験をして得たデータである。

そこで、私はまだプリンターは染料で行っていた。そして、なけなしの金でいずれ、目にかなう顔料プリンターがでれば、それを購入する予定でいた。
重要な写真は印刷できない状態にあった。
ましてや、結婚式の写真などは処理できる状態にはなかった。
また、写真類をプライベートで行うことには抵抗もあった。

ところが、引き受けることになった。
アナログをデジタル転換の上での壁と最後の出力問題での壁との苦闘が今回のテーマである。

引き受け体勢がないのに、引き受けた経過を最初に簡単に記す。



以下、2018/08/23 14:18記述。15:08修正。


《◇―2・引き受けた経緯》
記録は大半あるが、記録はまとめの一部のみ見て、日々日程等をチェックせずに、後は記憶を中心に記す。
理由は、社会的意義、私のすべき事項の中で、この文章の優先順位が極めて低いからである。こうした文書に時間を取りたくない。
(ごく簡単に参照した日程一覧文書は正確に記載しているが、ワープロ文書であり、改竄されていれば責任は負えない。

(大雑把な記憶)
2005年夏頃。従兄弟の子供さんの結婚式の母と私宛に招待状が届いた。
①当時、完全な経済封鎖下で無収入。母の年金などに依存生活。そこで母と相談。
母→「私(母)が行くので、お前はいかなくてよい」
私→しかし、それでは…。だが、母の返答は同一。

②母再入院。(同年母がはじめて入院をした。更に退院後に再度8月16日入院)

母=9月8日に一時帰宅。日程一覧より抜粋。
「母一時帰宅→正人結婚式突如私が行く事になるのか?さらに9/10母謀略で参加決定となる」
《正人結婚式写真撮影は一枚もしない事の宣言(決定)とその理由明記。後に母に「正式依頼ない限り一枚も撮らぬ」=母撮らなくて良いで合意。A叔母にも「私は一枚も撮らぬか本格的に撮るかのどちらか」であり(今回は撮らぬ)と宣言。よって完全に催眠による強制撮影》{叔母に言った前半の内容は事実であるが、今回撮らぬと叔母にも言ったのかどうかは記憶では不明。家では撮らぬと宣言した記憶はある。記録もある。}

(そこで従兄弟に以下を電話)
ところで、従兄弟の子供の結婚式は9月19日である。私は母が私は欠席と連絡していると思い何の返事もしていない。当然、もうホテル側の準備はできるはずがない。
→《当初欠席→(母参加費のみ出すと母の出欠期限問題ミスより)結婚式および披露宴には出席せず、大阪買い物とし大阪へゆき、会場には披露宴時に訪れ、会場の後ろから「M君おめでとう」と2~3分大声で祝福して帰ることで母と話まとまる→母の後始末ミスより正式出席を余儀なくさせられる》

9月19日従兄弟の子の結婚式(神戸)
→《この日早めにつき、港の船に乗ろうかとふと思う。乗っていれば持参フィルムは大半空となり結婚式撮影は出来なかったであろう。》
それを当日従兄弟に言った覚えがある。すると、従兄弟が「(船に)乗っていたら良かったのに」と意味ありげに言った
→既に、ここで結果はでいる。今から考えれば、その後の一連のドタバタ劇は計算されており、もはや、私は写真関連では一言も何も書く必要はないし、書くのは時間の無駄と、ここで宣言されているに等しい。これを強調するのが母のメモと言動である。

9月21日頃に、(催眠型で問われ、返答を)独り言。
確か言った内容は以下である。
「当初、撮った写真を近くの店で、近隣のお通夜のときと同様に、ラボの中に入らせて貰い、私の手焼き型で仕上げる」としていた。ところが、この頃突如解像度が落ちていた。当初は、アナログの後退と考えた。そこで次の言動をした。
「お通夜のときと同様に仕上げるつもりでいたが、アナログの後退でそれは無理である。しかし、アナログ・デジタル転換仕上げは、まともにやれば、?万円((?万円は幾つもの記録では10万円となっており、記憶では15万円となっている)。)くらいかかる。だから無理である。…ではどうしようか。残る手段は一枚のみ選び、一枚だけ4Wで仕上げるしかないのでは…」と誰もいない二階と独り言で言ったと思う。

すると9月22日、母が「眼鏡代として10万円」用意していた(私が二階で言った額と同一額を用意していた)。そして、金の入った封筒には「早く眼鏡を買いなさい」と記載されていた。
口頭では「早く眼鏡を買わないと大変なことになる」と言った
劇で言えば、先に、その後の展開を予告されていた。母といとこから。
やはり、この写真残酷物語は書くのは時間の無駄か、書いても科学の歴史の視点からの記録に留めた方が生産的と思う。

?万円が同一額のため、私は独り言が下に聞こえ、母が写真代金を準備したのか、それとも従兄弟が母経由で準備したのかと思った。確か同一額である。
こうして?万円で本格仕上げをするかどうかの迷いが始まる。同時に即眼鏡を購入できないのは、母が老眼用眼鏡代としてだしたが、他方で日常生活に不可欠な近眼用眼鏡の度が全く合わず、頭痛がしていたからである。そこでどちらを優先するか迷っていた。
?万円の額は後で記そう。
9月下下旬から年末頃
従兄弟と従兄弟の娘さんなどが来て、その顔を見ると本当のだしたのかとも思い、突っ走ることにした。

私は金には潔癖な体質のため、そこで支出報告も兼ねて従兄弟に状況解説をしかけた。所が途中で、従兄弟の金ではないと考え、支出報告を中止した。何故ならば請求書になるからである。もし、最後まで勘違いをしていれば、村の役員をしたときの収支報告と同様に完璧に支出状態は分かったであろう。もっとも、自腹分を除くである。自腹分は逆に、村には一切分からないように村のノートには記録を故意に残していない。
要するに、この写真費用は既に記載したように、私が勘違いをして、私の眼鏡代金を使用して作製した。誰にも一円も請求していないし、貰っていない。
母から医療費とか、下着代金などとして金は渡されたが写真代金は一円も渡されていなし、請求もしていない。これが私にとっての事実である。



こうして作成に入った。後で、その時の苦闘を掲載しよう。

同時に、作製費用が10万円にしろ、15万円にしろ、全ての従兄弟の子の結婚式全部で自腹を切れる訳がない。そこで、従兄弟や甥・メイの一部に、《写真にした事は原則として、…のみか、可能な限り▽の子・・・▽の子…等に同一条件で行わなければならない。だが、今日の経済及び科学の発達状況では不可能である。よって親戚類つきあい原則(…補足)の項目をめぼしい人間には通告しておく》として、収入がない状態では平等原則といっても、泥棒する訳にもいかず、実行は不可能であるので了承願いたい趣旨の通告文をだした。収入が入れば同様にするという内容である。

ところが、一番近くの該当者の家(上記の《 》内に記載のある家)には、近くすぎて年賀状などのやりとはしていないため、だしていないというミスをした。そこをつかれたのが、次回の写真残酷物語である。同じ状況の、血縁関係にあり、従兄弟の子の結婚式で写真をどんどん撮ったときに同席し、更には帰りに神戸から我が家まで車で相乗りをさせてもらっている。そして、その人から「うちの子の結婚式でも一杯撮って」といわれれば…次回に繋がる。

?万円は幾つもの記録では10万円となっており、記憶では15万円となっている。これは誰も聞いていないと思いふと言った独り言である。たしか、日にちは違うかもしれないが、その頃の前後に私が独り言を言っていると、来訪していた姉が、一階から「今何か言った」と独り言が聞こえた反応を示したことがある。そこで後で、独り言が聞こえたのかと更に勘違いをした。

この金額は請求額ではなく、厳密な見積もりでも一切ない。単なる、自分でアナログデジタル変換仕上げをやれといっても、今の科学の現状では10万円くらい(若しくは15万円くらい)かかるので、(やれるわけがない)である。

もし、1995年頃に、アナログデジタル変換仕上げをやれば幾らいるかと言われれば、「数億円だろう」と言うのと同一である。数億円を請求している訳ではない。1994年10月20日に購入したパソコンのスペックは以下である。
当時のメモより抜粋。
◎パソコン
①本体=NEC PC-9821Xe /U7W (定価278000円)→CPU=75MHZ(Pentium)、メモリー8MB, FD=1、HDD=210MB、15インチモニター
②プリンター=エプソン=MJ 700V2C (定価約10万円) 720dpi →ランニングコスト超安いA4で1円台
③スキャナー=エプソン GT 6500WinZ (定価約10万円)
④メモリー増設=8MB
⑤FDD増設:⑥ケーブル等(双方パラレルが結構高い)
⑦外付けHDD= 340MBで売値で39800円(後期Ⅲ期に購入:12月26日納品書より)
■売値→①=202,300円、②84,800円、③84800円、④35,700円、⑤12,800+⑥ケーブル等⇒消費税込み約45万円強
但し、用紙、インク、フロッピーその他で48万円+後の一太郎や花子等で合わせ約57万円前後(⑦入れると60万以上)
後の花子単独のみで売値が4万円であった。一太郎はVer5が特価で25000円直後にVer6へ+15000円か。
取引店=正式名称 ■■商事株式会社
本社→津山市■■▽▽▽ー▽▽:(℡ ……)
取引店→津山■■:津山市■■▽▽▽ー▽▽(℡ ……)
※この頃フロッピー大きく値下がりし2HDが10枚で津山▽▽の売値で1500円。1985年頃は記憶では1DDが1枚で1000円位。2HDはなかったか1枚2000円位と推測される。
スーパーファイン用紙が200枚で津山▽▽の売値で2400円。外付けHDDは1990年が40MBで5万円前後の記憶あり。
さらに、ラップトップとHDD接続用の器械が単体で10万円前後であった記憶あり(岡大前の店)。尚、この頃は上記値でもRam以外は極端に下がった印象あり。フロッピーの1枚のコストもHDDのコストも。特にインクのランニングコストは驚異的に下がっていった。
ワープロでは1985年がリボン1つ1200円で表ならA4が1~2枚しか印刷できず。パソコンプリンターはかなり安いが1988年~89年で20円以上ではなかろろうか。ちなみにコピーのトナーが2本34402円でありコピーが極端にランニングコストが安いと感じたものである(1997年明細も以前も消費税外は同様)。
よってワープロは1枚10円の感熱紙を使用後にコピーへ回すという手順を取る。コピーのランニングコストは用紙抜きでB4がインクのみで約10円位であった(1994年以降は老朽化のせいか完全にインクのみで10円超え[A41枚でも10円近いとなり]、外の店のコピーがB4でも1枚10円で外でした方が安くなっていた)。


尚、2005年従兄弟の子を撮影したフィルムをデジタル化したときのサイズが、一般用で8MB、重要なもので写真一枚(8bit入力)48MB(スリーブは更に後に62MBで再入力をしている。拡張子は全てTiffである。昔はBMPでしていたが汎用性からTiffで全て入れ直した。Jpegは圧縮であり劣化するため永久保存はできない。更に撮影情報が省略されていたり、被写体によればモアレ的なものが発生するため、悪までインデックス関連と考えて別保存である)。
このサイズの写真を処理を1994年の上記パソコンでできるか否か。パソコン本体のメモリの6倍の写真である。その上作業時には更に別のメモリーを食われる。
すると、どうしてもフィルムを永久保存したくて1994年や95年にパソコンでしようと思えば、何億円とするスーパーコンピューターと、業者用のプリンター(2000年頃は一般に1500万円程度が多かった。ラボは通常はリースで使用していた)、そしてその二つを結合して動かす周辺器機とソフトを受注生産しなければならない。これらの単価を想像して言うであろう。


私は従兄弟にその額を請求しているのでは一切ない。アナログをデジタル化しプリントしたならば幾らくらいかかるだろうか、と言われたので想像した言っただけである。
もし、このときの単価ならば、問題は起こらず、私は救われていたであろう。

ところが、わずか十年後の2005年にはパソコンは劇的進化をしていた。何億円ではなく、10万円とか15万円でその作業ができる可能性がでていた。(なお、2005年とは今・2018年から見ると13年前である。2004年から見ると11年後である。科学の歴史を見ずに、観念で物を考えてはいけない。

2005年に使用したときのパソコンのスペックは以下である。(これでも通常の店では売っておらず、BTO、即ち準オーダーメイドパソコンである。通常の店ではせいぜいRAMは126MB程度である(64MBの人も多かった時代である)。

ちなみに、今(2018年)使用のパソコンの一台はCPU i7 7700k 4.4GH(実装RAM 32GB Vram2GB SSD500GB 内蔵HDD3TB)と後一台は2012購入のパソコン{Core(TM) i7-3770 プロセッサー (3.4GHz) Vram 1GB Ram16GB 内蔵HDD1TB 内蔵HDD1TB}などである(他の中古ノートパソコンなどもあるが、写真処理は無理と分析し、一切使用していない。)。

本格写真を処理する上ではこれでも不足であり、メモリは可能ならば128GB、最低でも64GBほしいと思うときもある。少なくとも、今でも、写真の現像処理は8bitでしており、容量が倍となる16bitではしていない。ニコンD800(3600万画素)のTiffが8bitで約120MB、16bitで約240MBである。
外付けメディア問題も1985年から悩みの種問題である。BD-R(25GB、二層でも50GB)では容量が少なすぎる。

さて、2005年に話を戻そう。
ではこのときに、フィルムをデジタル化し、写真一枚48MBなどを処理し、プリントする上で幾ら単価がいるか想像でいえといわれれば、こう想像したのではなかろうか。これは請求額所か、見積もり額でもない。単なる想像である。

①フィルム代金5本+現像代金5本で(面倒なので大雑把に)1万円

②業者プリント代金
業者にプリントを依頼。
ネガは通常の同時プリントを全部行う(キングサイズならば50円程度。Lサイズは店ごとに違うため単価は書かない)=?円
ポジはLサイズでX枚を一枚120円程度でプリント(RPプリント)。
そこで行けると考えれば問題はない。だが、画質のみかアンダーすぎて業者では処理できないものがあった。
業者でRPのLL版250円×X枚

アナログからアナログ仕上げとすれば、はるかに安かったのであるが、それをしなかった理由は私の勘違いかもしれない。
2002年のときはアナログからアナログで満足した。ところが、2005年には業者のネガプリントの解像度が落ちていた。そこで、私はデジタルはまだ途上、アナログは後退し始めたので、もう業者依頼は重要作品では無理と考えた。
だが、今考えると逆かもしれない。アナログはまだ全盛期を維持しており、他方デジタルが急速に進化し、特にフラットスキャナーの全盛時代であったかもしれない。そこでカメラはまだ今一つでも、スキャナーが高性能となり、偽札まで可能となり始めた。すると、業者が解像度をあげて印刷をすると、LLサイズなどでも、それをスキャナーで高解像度で入力をし、A4(6W該当)どころかB4(4W該当)、更にはA3やA3ノビにまで自分の家で引き延ばしが可能となり始めていた。
そこで、LLなどでは、通常の人がLLサイズで目でみて綺麗と感じる範囲まで出力解像度を落とし始めたのかもしれない。ポジの方はまだ出力解像度は高かった。ところが、私はカメラアイをしており、通常の人では分からぬレベルでも解像度を落としたのが分かった。そしてアナログは退化し、重要な写真は自分で処理しないと駄目と考えた。若しくは、私の目が老眼が入り、強い近視で老眼のため、眼鏡をはずし裸眼で見るとルーペで見ているように物が大きく見えだしたので、従来満足していた画質のあらが見えてきたのかもしれない。こういう訳で、アナログからアナログ仕上げを断念した。
しかし、業者で救えないアンダー写真(暗い写真)がかなりあり、それらは百年前の写真を復元するやり方でしかできないため、やはり自分でやるしか方法はなかったかもしれない。だが、当時のデジタル段階では、川の底を重機ではなく、スコップですくい、川を深くしようとしているような物であった。
大きな画像を処理するとは、大変な作業であった。
今でいうスマホ画像を処理するのではない。

2018年に、デジタルカメラトップ機種は5千万画素時代に入った。やがて一億画素時代が来よう。だが、今、スマホ・タブレットが普及した関係で、パソコン用メモリなどが長期に亘り品薄となり、メモリの飛躍的進化が停まり、最先端を行く人は困っていよう。更に、BD-Rももう別の媒体(CD-R[600MB]→DVD-R[4GB]→BD-R[25GB~]→別の媒体[100GB~400GB]が必要)にとって変わらねばならないのに未だに進化が遅い。私も困っている。


③染料印刷(PM930C)。
デジタルでやる場合はまだ顔料プリンターは購入していないが、自分でできるかどうかのチェックと色合わせのため、染料プリンターで必要なものをプリントしてみる。
各種組み合わせで数百枚プリント(サイズはLやキングやA4で行う)。
ただし、全体のレイアウトなどは単価を抑えるため、PM3300Cで印刷。
インクと用紙代合計。

④顔料プリンター購入代金約43000円(PX-G920の安値)~約78000(PX-G5000の安値)。
(万一貸与とかリースならば価格は無関係。自分で購入しろと言われれば、私は当時のエプソン顔料プリンターPX-G920かPX-G5000は肌色がでないという情報を得ているため購入したくない。私が必要なのは、その後継か更に、後継の後継の機種で、私の目にかなうプリンターまでは購入せずに待ちたい。
だが、当時の染料プリンターでは画質は③でみるとかなり合格に近いが、様々な耐久性実験を行うと、色あせ問題があった。壁にPM3200 PM3300Cで印刷したのをはると、大体半年で色あせた。後の顔料では一番変色しやすい部屋の壁に十年はっても、それも額縁抜きではっても色あせは起こっていない。
すると、私が必要ないプリンターをいとこの結婚式用に備えねばならないのでその単価を計算にいれざるを得ない。例外は、私の目にかなうプリンターが印刷までに発売されれば単価には含めない。私個人の耐久消費財として処理する。だが、出ない場合には、PX-G920かPXG5000を誰かがリースするか、私が印刷後に同一額で買い取って貰わぬ限り、私は困る。
これは請求額ではない。実際にはもし誰か出すと言っても自腹で泣きとなろうが、独り言問答で自分でやる場合には幾ら費用がいるかと言われればこの額も含める。

だがあってもよかろうは違う。その関係で2008年までプリント購入代金がなく、2008年までの印刷は写真関連はオートファインEXでなく、手動設定印刷である。だから、色の変化はパソコンモニターには一切反映されないという大変な状態になった。

⑤同上の印刷費用。
試し印刷と準清書印刷と清書印刷費用。
印刷は、どうやっても自分のほしい肌色がでないため、すべてマニュアル印刷である。
清書印刷の写真該当が約100枚である。
試し印刷はA3用紙の入る段ボールが溢れた覚えがある。
ちなみに、昨年、日本海側の某寺の撮影をした。そのときの清書一枚をつくるために、試し印刷の枚数が30枚を超えたので、そのときの試し印刷の一部を撮影し、後で資料として掲載する。(試し印刷は、元画像の枚数×フィルムスキャナー入力時にスキャナードライバで迷ったものを入れた数×レタッチで迷ったものを入れた枚数×プリンタドライバ出迷った物を印刷した枚数などからなる。

例:被写体Aを、段階露出5枚で撮る。その内3枚で迷う。、
画像一枚で、元画像3枚×スキャナー時に三種別入力×レタッチ時迷う三種×プリンタ時はマニュアル仕上げでモニターには一切映らないので5種とすれば、一画像をつくるには135枚となる。実際にはこれよりも少ないであろうが悪まで理論値である。そして画像は相手に約70画像を贈呈している。)

何故、そこまでやったかは、全力投球主義のみならず、勘違いである。親が子のためのそのような大金を準備するならば、こちらも腹をくくり半年程度の月日を犠牲にしようか、でしかない。後に勘違いと分かったがもう遅い。それと、最善を尽くす主義者の性(さが)である。もう一度頼まれたら、即座に断る。一秒以内で。


尚、PXG920(PX-G5000)は実際に裏技をやっても肌色が出ず(プリタドライバで用紙設定を実際の用紙ではない用紙に設定し誤魔化す等々もやったが)、特殊な高級用紙(今は安くなったが当時は高かったファインアートベルベット用紙なども検討した。当時は一番安いセット売りで確かA3かA3ノビが十枚で1万円くらいしていた記憶がある。)

エプソンのプリンターもっていればプリンター設定画面でユーザー設定をクリックしてほしい。

ユーザー設定画面で「設定」→「ユーザー設定」→「手動設定」とクリックしてほしい。
そしてでてきた画面で「明るさ」「コントラスト」「彩度」「(スライドバーをクリックし)CMY」等々の数値を個別入力し出力をする。ところが、オートファインEXと異なり、マニュアル設定(手動設定)ではモニターには一切何も反映されず、プリントしなければ不明という厳しい状況となる。一度実験をすれば分かるであろう。


⑥私は当時のスペックで上記サイズの印刷をすれば各種器具の故障が予想されたため、それも念のための費用と想像していいれる。(万一、母などが写真代金を出すと言えば、故障しなければ請求しないし、故障すれば実費請求となる。)
●実際にはパソコンは二度故障でエプソンダイレクトに修理で送付。(保険入っていたため費用は幸いにいらず)。
●パソコンが何度もフリーズしたため、そのうち外付けHDDが機能しなくなる。画像が重いので、一部外付けHDDから立ち上げ作業中にフリーズどころか電源落ちしたためと思う。そのHDDの値段が約二万八千円である。


理論値では、当時のパソコンで写真一枚48MBで動くというかもしれないが、常駐ソフトが多いこと、ウィルスソフトでメモリを食われること、エクスプローラでも食われる、作業中にソフトによれば大量にメモリを食われること、ビデオメモリを装着していないためその分メインメモリを消費していること…より、私の想像通り、まともには動かず、作業を数回するとソフトを全て閉じて、パソコンのメモリを完全解放するため再起動の繰り返しであった。
理屈抜きでフリーズを繰り返し、そして、パソコン二度故障、一部写真を外付けHDD直に立ち上げた際に電源落ちだったと思うがHDDがお陀仏となる。

請求額ではなく、幾らかかるかと言われれば、十万円とメモしているが、十五万円と言っておいた方が後でトラブルはないように思う。例えば、雇用能力開発機構などが背後に隠れており、彼らに請求できるときには、実費請求をすれば良いとなる。そのときには、最初に言った単価を上回らず、下回った方が良いと思う。
なお、従兄弟類が眼鏡代と言ってだしたとの誤解を最後までしていれば、領収書・納品書・レシートの該当箇所に印をうち、同時に使用の履歴ノートを作成し、照合できる形で完璧に使用費用計算と証拠を残せていたであろう。
途中で勘違いと分かり、一切、費用を分からぬようにしたため、実際の金額を完璧に計算するのは難しい。同時に、一円も請求せず、もらっていない以上、何のために実費計算をする必要があろうか。事実上の相手へ請求の意味しないことになる。よって次回の話では費用は一切分からない用に記す。同時に次回はもう故障リスク⑥や、プリンター本体代金は無関係となっている。

何故ならば、次回の2009年にはパソコンのRAMは4GB(実際に認識は32bit版のため3.5GB)、Vram256MB、CPUインテル(R) Core(TM)2 Duo プロセッサー E6700(2.66GHz)がであり、プリンターは肌色が出る(私の目にかなう)PXG5300となっていた。試し印刷も、マニュアルでなくてよいようになっていた{オートファインEXでも問題がほとんどなくなっていた。これならば数値を入れれば画像がモニターに反映されるため、相当楽になっていた}。しかし、デジタルでは対応できると思っていたならば、今度はアナログの方を集中的に攻撃を受けるのである。その話は次回しよう。

なお、プリンターで目にかなうのがないので何年まつか。既に、染料プリンターは二台あったので、私の目にかなうプリンターがでるまでまつ。途中で故障すれば安いプリンターで目にかなうのがでるまでつなぐ予定でいた。
デジカメに移行したいと思い、まつこと12年であった。ニコンで私の目にかなう最初のデジカメはD3Xであった。だが事実上の定価が90万円である。
D700は高感度対応で、事実上ISO400からカラーバランスが気になったので待ちと見送った。そして、完璧に私の目にかなった最初のカメラがD800であった。それまで何度もニコンに要望を送り続けた。購入は母死亡年の2012年である。ときには具体的スペックまで書いて。


【資料―1・ストレス】
このストレスを契機に無用文書書きが年末から開始する。同時に体重も男性ホルモンのバランスが崩れたのか一気に増え始める。食事量は同一にも拘わらず。
2005年8月16日体重は62キロ
2006年1月1日65キロ
2006年5月3日67~68キロ…と。

【資料―2・眼鏡】
2001年9月10日眼鏡のMKで眼鏡作成(近視用):作成前に津山市の眼科で処方箋作成。
眼鏡が全く合わず頭痛が激しい。その内慣れると思ったが慣れない。
9月26日眼鏡のMKで相談。度数は合っているだけ返答。
1月22日&23日、全く眼鏡が合わず、目医者を変え、地元美作市の眼科へ。喪中につき休診とあり。
《その後、眼鏡をかけると頭痛がする症状は一年ほど納まらず、そこで外出時のみ新眼鏡、後は1989年作成の、ガラスが一部かけた眼鏡をかけることにする。相当長期間この状態が続く。相当年数が立ち眼鏡をかけても頭痛は余りしなくなる。2~3時間以上かけると必ず頭痛がしていたのが収まりかけたのが、定かではないが、2010年頃かもしれない。
ただし、2013年頃眼鏡屋で新眼鏡を勧められ、それを契機に頭痛原因となった左目が珍しい原因不明の病気は左目のストレスかとも思い、2014年3月25日に新眼鏡を作成、。同時に強い近眼のため、長期フィールドワークの場合には外出先で眼鏡が壊れたときのため、もう一つ眼鏡が不可欠のため尚更購入を決定した。》

【資料―3・当時持っていたフィルム】(カメラなどは撮影の有無に拘わらず、1994年から外出時には何が起こるか不明のため、常時持参の習慣があった。)

《(従兄弟の子)M結婚式当日、持っていたフィルムはPN400N一本とカメラ中に一部使用中の同フィルム、RAPF1本のみと言ってよい。後は状況次第で検討するRDPⅢであるが、これは常時持参も結婚式にむくあるいは人物用フィルムとはかならずしもいえず。後は使用できぬRDP 100の24枚撮り(人物大写しには使用できず)、消費期限大きく切れた粒状性粗く使用せぬことを前提に万一これが必要となる場合(テレコン×2使用の手持ちとか、暗い中での事故・泥棒撮影など・・・まともには使用できぬフィルム)に備えて保険目的で購入したISO800である。

RVP Fの24枚もあったかもしれぬがこれも人物撮影用フィルムに非ず。尚、前日RAPを1本購入したのはRAPかREALAの一本は万一の人物撮影用(▽先生・・)として1本位もっていても良かろうである。

……

結婚式撮影ならばRAP2本とPB400Nは念のため2~3本は持参している(詳細は06年前半のM写真関係文書参照)。ちなみに、この日早めにつき、港の船に乗ろうかとふと思う。乗っていれば持参フィルムは大半空となり結婚式撮影は出来なかったであろう。
あと一歩であったが催眠型中止か天気のためか不明も、スピーチ催眠予告とスピーチ内容まで相当前から催眠で指示されていた事と合わせれば結婚式催眠撮影100%と断定できる。
ちなみに(従兄弟の子)Mの結婚式で私が通常スピーチなど当日依頼される訳がないし、事前に頼まれてもおらず。催眠暗示通りになった以上全て催眠による仕業と断定してよい。



2018/08/23 20:03



なお、結婚式での撮影機材は、カメラはフィルム式カメラでF5とF90Xである。ストロボはSB-28であるが原則ストロボ抜きで撮影。暗い所は暗く撮る主義者のため。
レンズは手ぶれ防止はなし。広角がED AF 18-35 (f3.5-4.5)、標準がAF 28-75 (f3.5-4.5)、望遠がAF ED 70-300 (F4-5.6)である。明るいレンズの範疇に入るのはSP 90 (F2.8 マクロ)のみであった。結局使用したフィルムはRDPⅢ(プロビア100F)、Astia 100F、プロ400Nが2本であった。

三脚は使用せず、ポジはISO100を主体に、ネガはISO400である。これで、極度の露出アンダーがなければ不思議というものではない。だが、このときはまだ次回よりは宴会場も相当明るかった。

結果は、通常のレタッチでは補正できないアンダー写真が何枚もあった。やむなく、画質の若干の劣化を覚悟で、大昔のフィルム(例えば五十年前のフィルム等)の復元機能を使用した。具体的には、ニコンのフィルムスキャナーであったが、Digital Gem, Digital Roc、更に自動ゴミ取り機能Digital iceを使用し、そして(今は使用していないため忘れたが)多分トーンカーブやなLCHなどの調整をしたと思う。

当然パソコンのメモリーは大変くう。しかも一度ではうまくいかず何度ものやり直しをした。更に、それをレタッチソフトで調整し、まだ画質が今一つのときには細い線類を入れて人間の目を誤魔化す工夫をした。
そのときの格闘の模様は文書で残しているが、今回は割愛する。

ちなみに、費用については眼鏡代金を充当し、その該当眼鏡は母死亡後の遺産で購入している。よって、撮影費用は請求していない(数式論理では、年後は前後するが遺産で写真作成したとなる。その期間は不便であった)。また、その後、母から渡された金も通院費とか下着代とかであり、写真費用は一切なかった。同時に、従兄弟からと言って渡された金はなかった。勿論、勘違いに気づいた時点で、費用は一切受け取らない方針を出した。幾つもの手記に次の記録がある。
「M氏の子のため費用は絶対に請求できないし、出すといっても受け取らないか拒否する。Policyの問題であり、これは1996年かそれ以前から明白に多数の人に明言している。」

だが、何か負担をしたような顔をしているので不思議で仕方がない。母は、写真代金か、M氏からの金とかどちらかは言うはずであるが、そうした金は受け取っては一切いない。

何なのかは私には一切分からない。
数年前には、「M氏が出した金を母がプールし、M氏関連の何かでブーメランでM氏一家に返して遊んでいただけ、と。だからお前には一円もいっていない」と、寝ている間に暗示があったが、寝ている時の暗示のため定かではない。

私は貰わない方針をたて、該当に類似する金は母からもうけとっていないことだけが事実である。
では、そうした関係は良いか。良いはずはない。貰っても・貰わなくても良い訳がない。ただし、代価が必要な場合には法律上、事前に相手に金額とその趣旨を通告しなければならない(消費者保護関連法、)。同時に相手が応じた場合には、必ず、相手は直接本人に渡さなければならない(労基法6条、中間搾取排除の原則など)
だから私は金欠の時でも家で塾類すらひらかなかったのである。近所・親戚とのトラブル防止のために。そして、写真も含めて、そうした関係は問題があると言い続けたのが私である。1994年頃から言っている。そして、いかようにも問題があることを、私が更に実証し続けている。
仕事道具はプライベートでは使用してはならない。

尚、この写真関連挑発で、独り言や文書・手紙書きで失った時間を駿台時代の時給で言えば、億を超えるかもしれない。それ以上に、人生の残りが少なくなり、私の人生をかけるべく課題に取り組む方に時間を回したいと考えている。

最後に一言。
この一連の過程を見ながら、母は薄ら笑いをし続け、姉は上機嫌であった。息子(弟)の窮地にこの反応は何なのだろうか。母と姉は喜んでいたようにすら見えた。否、その通りであろう。未だに不思議な話である。
最後は冗談めいて書いたが、私の方は本当にホルモンの分泌に異常を来すほどのストレスであった。もう、絶対に仕事以外では仕事器具は使用しないことを明白にするため、冗談めいた箇所の後で再度方針を掲載しておく。



次回は手ぶれ防止レンズ無しと明るいレンズなしの、ポジISO100撮影を徹底して狙われることになる。ストロボ誤作動(故障?)のおまけ付きでもある。次回はアナログ面を徹底して狙われたのである。

次々回は、次回と同じ暗い披露宴会場であるが、デジタル・デジタルであり、カメラは高感度対応していたD800で主としてISO800での撮影であるが、主軸標準レンズ抜き及び器財面で幾つか支障を抱えさせれていた。


最後に一言。
もす、徒然なるままにシリーズでは面白い話・愉快な話を書きたい。今回の写真残酷物語をトラブルブログや誹謗中傷ブログではなく、公式ブログに掲載したのは、トラブル類ではなく、科学の歴史や面白い話を書きたかったからである。



2018/08/24 11:36
2005年当時のパソコンのスペックをみると、画像48MBならば簡単に動くのでは。動きませんでした。三ヶ月以上格闘しました。
ちなみに、今のパソコン(CPUi7 4.4GH Ram32GB Vram2Gb)ですら、ニコンD800の画像(8bit入力 120MB)をニコンのNikon Viewで見ると大変重く、拡大が難しいときがあります。D90の画像(8bit入力 32MB)ならばかなり拡大が簡単いできます。
またサムネイル表示チェックでも、D800(3600万画素)の画像(8bit入力120MB)は1フォルダに50以下でないと動きが止まるときがあります。D5500(2400万画素)の画像(8bit入力70MB)ですら、1フォルダに100枚以上となると、厳しいときがあります。
D90 (1200万画素のカメラ)の画像(8bit入力30MB)ならばかなり簡単なときがあります。
再度かきます。当時のパソコンは32MBとか64MB、かなりの人でも128MBや256MB時代に、準オーダーメイドで購入しても756MBです。しかしビデオメモリがないので、500MB程度です。さらに、常駐ソフト、ウィルスソフトでメモリは食われています。
今、32GB(別に2GB程度のビデオメモリ)のメモリで、70MBの写真でも簡単ではないソフトがありますが、当時、48MBなどの複雑なレタッチもしたのですから。少し、しすぎればフリーズ、フリーズの連続となるのは当然でしょう。

次に顔料プリンターが写真画質印刷できるまでの壁の話をヒューレットパッカートやエプソンなどを例に後で書きましょう。そして、その壁にもろに付き合わされたのが2005年から2006年です。今の科学で昔をみることは非科学的です。

ただ思うのです。無料で撮影して、どうして多大な時間をかえて、独り言講演させられたり、原稿料抜きで文章を書かされたりしなければならないのでしょうか。畑の草取りをした方がはるかにましです。(時には江戸時代の人にカメラの講義を無料でさせられている如くで…大変ストレスと時間ロスをしているのです。それも十年以上も。それも講演どころか、撮影も無料ですよ。)





エプソン、キャノン等日本のプリンターメーカーが戦った写真印刷顔料の壁

後日記述。

2005年から2006年はこの壁のまきぞいに私もなる。

2018/08/29 15:32

アナログからデジタルへ(プリンタメーカーの挑戦)

私が小学校の頃、印刷は、ガリ版で書き、版画同様の形で一枚一枚印刷していた。
やがて、輪転機が登場し、高校時代のクラブ活動などで使用していた。
さらに、大学に進学すると(1971年)、ファックス(電話のファックスではなく、用紙に書いたものをガリ版の如(ごと)く形で、輪転機にかける用紙に刻む器械)が登場した。
ガリ版から解放された。
だが、自分で写真を印刷するなどは夢の夢どころか、活字印刷ですら、一般の人には夢物語であった。

1980年代、ワープロ専用器が登場。
1985年セイコーエプソンのワープロ専用器を購入。
自分で活字が打てるようになる。
駿台での教材などの活字化を開始する。
だが、当時のモニターは一行の三分の一以下であった。
写真どころか、イラストも不可能であった。
表すら大変な作業である。
リボン式(熱転写式)のため、ランニングコストは大変高くついた。
表枠組みを入れると、失敗が数枚以上あれば、A4一枚で千円のときもある。

この頃のワープロ専用器は日進月歩であった。
翌1986年には、やはりエプソンのワープロ専用器を購入。
今度は小さいモニターであるがモニターがあった。
そこでイラストは可能となった。
デジタル・イラスト技術はこの頃から修得開始となる。
だが、容量問題があった。
外付けでも1.2ギガバイトのフロッピーディスクは当初1枚千円を超えていた。最初はこの半分の容量のフロッピーを使用していた。
徐々に安くなるが。
ここで、イラストまで可能となった。
なお、1988年にパソコンも購入したが、パソコンの方がこうした作業は(超高いソフトを購入すれば別も)無理であった。パソコンはデータベース専用器とした。ちなみに、このとき購入のデータベースソフトが十万円近くした。
MS-DOSの御対面も1988年である。同年にビルゲイツのMS-DOSと出会ったことになる。事実上の、ビルゲイツとの縁がここから始まる。

長い休眠期を経て、1994年から再度デジタルへ入る。
ちなみに、同年から一眼レフカメラの使用開始である。
ここでニコンと出会う。 訳あり、翌年から岡山のニコンSSに頻繁に行き出す。
ただし、当時から現在まででニコンからもらったものはアウトレットのカレンダー一枚のみである。(ニコンようかんすらもらったことがない。(笑´∀`)。冗談ですが、事実です。)

カメラはド素人であるが、研究熱心なだけではなく、先のようにデジタルの素地(そじ)は鍛えられていた。
なお、1994年にエプソンのMJ-720V2cというプリンターを購入。これを研究すると、写真印刷が自分で可能になる可能性を見いだした。このプリンターは一つの革命とも言えるプリンターで、当時ブームを引き起こした。勿論、品不足も続いたヒットプリンターであった。
そして、様々な実験をしたがネックが三つあった。
第一に、容量問題でパソコンのCPUとメモリがついてこない。
第二に、外付けが1.2ギガフロッピーでは無理。後にMO購入するが、まだ写真関連では容量制限となる。
第三に、染料のため、インクの耐光性・耐久性、耐水性問題があった。さらに、エプソンのプリンターは当時は紙との相性問題が大変難しかった。私は、純正以外で、紙問題の相当な研究を強いられた。紙の奥の深さを嫌というほど味わった。

やがて、MJ-900Cを購入。文書印刷では、大変、ランニングコストが抑えられ、A4一枚のインク代金は約1円と思われた(更に凄いのがMJ8000Cであった)。
だが、写真印刷ではやはり耐光性・耐久性、耐水性、対オゾン性が問題となっていた。
簡単に言えば、外におけばすぐ色あせが起こる問題である。ときには一か月持たないこともあった。


1999年頃に浮気をして、ヒューレットパッカートのプリンターを購入してみた。
ここで顔料インクと出会う。1999年2月10日ヒューレットパッカートのHP895を購入。
メーガーの如(ごと)く様々な実験をした。
耐光性、屋内、部屋の当たる部屋、…屋外の庭に石を置き日に直(じか)に当てる実験、バケツの水に長期(数日以上)つける実験。
顔料はすごかった。
過酷な実験でも色あせしない。

ただし、写真印刷に関しては、パソコンのCPU、メモリ、更に外付け記録媒体の問題がまだ残っていた。

否、ヒューレットパッカートのプリンターでは文字は顔料、写真は染料だったのである。上記の実験はいずれも、文字類のみである。写真の方が我が家の作業場(換気・日当たりより過酷な場の一部)に掲載したが、案の定、数か月も持たず色あせした。
ヒューレットパッカートは顔料の壁にぶつかり、写真印刷での顔料は諦めたそうである。顔料の壁はそのくらいに高かった。

こうして、自分での印刷は相当高い壁があった。
同時に2000年前後はアナログ全盛時代の一部である。

アナログからデジタル変換の動きも活発になりつつあった。ただし、CD-RへのJpeg書込は私はしない。
(幾つも理由があるが二つだけ記そう。アナログは劣化、デジタルは劣化しない。だが、圧縮では劣化が起こる。Jpegは劣化する。すると、劣化をしないようにとデジタル転換する意味がない。サムネイルで見るならば別であるが。私はこの頃BMPの拡張子としていた。後にTiff及びTifとした。Tiff入力はものすごく高い。
もう一つの理由はjpegは情報を諸略している。デジタルのため1と0で情報を保存するが一部の情報が保存されていない。実際面では、写真によればモアレ的なものが最初から発生することもある。入れた直後で。その後は経年劣化の道である。コピーのたびに劣化をする。)
もう一つ付け加えれば、写真画質問題があった。


やがて、2000年にPM3300Cを、2003年にはPM930CとフィルムスキャナーGT-9800Fを購入する。(大変よく出来たスキャナーであるが、フィルムからの入力では私の目からみると限界があり、後にフィルム専用スキャナーを別に購入する。写真プリントからのスキャニングは大変すばらしかった。)
PM930Cを見て、画質面では一応写真になると判断した。通常の人では全く問題のない、素晴らしい画質に見えるであろう。勿論、プロ的目でみると、グラデーション問題、シャドー部の再現性などの諸問題はのこっているが、それは銀塩(写真屋さんの写真プリント)でも、覆い焼きでもせぬ限り無理であった。
だが、まだ壁があった。色あせ問題である。可能ならば当時はった写真の一部を撮影し、公開するが、日の当たる所に飾ると色あせが起こった。

この問題は私のみならず、メーカーをも悩ましていた。
エプソンとキャノンの挑戦が始まる。
大きく言えば二つの流れで起こっていく。
一つは染料プリンターの印刷物を長持ちさせるための用紙・改良インクなどなどで。
もう一つは真っ正面から、顔料プリンターの開発である。
顔料プリンター自体を作るのは難しくはない。だが、光沢感、カラーバランス、色の再現性の微妙な部分で高い壁があった。少なくとも、染料インクよりは相当画質が落ちた。
私は都合でエプソンプリンターしかしらないので、エプソンの話だけを記そう。

最初のエプソンの顔料プリンターはPM-4000PXであった。
私も、このプリンターの研究はした。だが、私は購入はノーであった。
光沢感はない。ときにはマット紙推奨である。PM写真用紙でも絹目の方を推奨していたくらいである。またカラー印刷はまだ苦手としており、モノクロ写真を強調していた。

この頃、私の想像では、エプソンの社員に三つの流れがあった。
一つ目は、どうせ、いずれレーザーが主流となる。だからもうインクジェットはそこそこでという思考。
二つ目は顔料の壁は高すぎるので、染料インクの耐久性・耐光性・耐水性を用紙と絡めて開発したらという思考。
三つ目は正面から顔料で。
だが、三つ目の壁は厚すぎた。そこで、三つ目は二つの流れに分化し、未(いま)だに結論がでず、エプソンのプロ用プリンターは二系列(PX-Gインク、PX-PK3インク)となっている。

二つの流れとは、一つは光沢重視派はPX-Gインクへ。
1)2003年PX-G900(A4対応)が発売、2004年PX-G5000(A3ノビ対応)発売、2004年PX-G920(A4)発売。この路線の方は光沢感はグロスを使用して出したが、シャドー部のグラデーション問題と、肌色がでないに近い致命的な難問を抱えていた。それを一番知っているのは当時のエプソンの開発担当者達である。インクはPX-G系インクと言う。

もう一つの流れはPX-PK3インクである。
PX-5500(A3ノビ系)が2005年5月頃でた用である。こちらは、グラデーションにはPX-Gインクより強いが、光沢感がない。当初は推奨用紙はPMマット紙かPM写真用紙の絹目だったと思うが記憶間違いがあればお許しを。
また、解像度ではなく、カラーの色再現性も、エプソンの染料プリンターのトップ機種よりも落ちる部分があった。モノクロ印刷では結構活躍できると思われたプリンターである。


2005年の従兄弟の結婚式撮影では、パソコンのCPU・メモリ問題を万一クリアしたところで(実際にはクリアしておらず、何度か修理にだした話は既に記した)、プリンターが前者は肌色問題、後者は光沢とカラー写真を苦手としていた。

そこで、エプソン開発者としても、プロ用と言う以上、エプソンの染料プリンター画質を上回らなければならない。必死であったろう。人によれば不休不眠となったであろう。
彼ら技術者が苦闘している次期に、従兄弟の子の結婚式撮影をさせられたのである。


そして、私のつかんでいた情報では、この結婚式から暫(しばら)くして、PX-G920などの後継機種がでるとのことであった。特に肌色対策をしてくるという情報をつかんでいた。
私はこの頃、エプソン、ニコンの産業スパイではないかというくらいに、情報はつかんでいた。後者ニコンについてはデジタル・デジタル変換の箇所で記そう。

ともかく、待つしか方法はなかった。
だが、周囲の圧力から、アナログ印刷(業者依頼)プリントをした。しかし、一部がアンダーすぎこれでは無理なのが何枚もあった。業者対応での明るさ補正では無理な域が一部あった。
次に、自分で本当にできるかどうかの実験で、染料PM-930Cで相当数かほぼ全部印刷をしてみた。いける感じがしたが、確信はない。ただし、レタッチのやり直しなどは相当した。
後は待つだけ。だが、様々な挑発や圧力から2006年1月3日(従兄弟の子の年賀状)を見るや催眠状態で、先のPX-G920を購入してしまった。

その結果の苦闘は、既述通りである。更なる苦闘模様は従兄弟に送付した写真印刷格闘に関する日記風の手記をみれば分かる。
私のみか、エプソンの技術担当者が苦闘していたことなどを母や姉などにいっても、チンプンカンプンな用であった。


エプソンから、私が言ったプリンターが2006年に相次いで発売される。まず、PX-G930(A4対応)とPX-G5100(A3ノビ対応)が2006年2月23日である。その発表は2006年2月14日、動きを察した大型店は同年2月1日頃からPX-G920とPX-G5000の約2万円の値引き・在庫一掃に入っていた。
私は情報をつかんでおり、待ちに待ったが、結局PX-G920を2006年1月3日注文(年賀状を見るや催眠状態で注文)、来たのが2006年1月9日であった。
泣くにも泣けぬとはこのことであった。情報問題についてはデジタルデジタル「母への贈物」でニコンを例に記そう。ここではニコンを中心に語ることになる)。
それ以上に、肌色がでるプリンターPX-G930やPX-G5500はもう買う気力も予算もなくなっていた。

もっとも、この二機種はインク構成はそのままにして、プリンタードライバの側(がわ)で肌色対策を採ったようである。どの程度かは、上記の悔しさと、外野のうるささから、アレルギー反応を起こして、見たり・分析したりは一切できなかった。この原稿の最後にそのことを記そう。


結局、私が分かっていることは、上記の後継(PX-G5100の後継、PX-G5000の後継の後継)PX-G5300(発売が2008年1月末)からは肌色対策その他の改善が見られ、十分使用可能となっていたということである。
私は2007年終わりに注文したが、リコール問題が起き、購入は2008年1月末となった。
オレンジをいれてインク構成を変えてきた。その分だけ青色が弱くなったと感じるのはきのせいだろうか。やはり、気のせいではなかろう。
もっとも、シャドー部やグラデーションはPX-PK3インク系の方が良い。今所有している機種ではSC-pX5VⅡの方がよい。ただし、光沢感はPX-G5300の方が良い。
前者はPX-G系のインクでグロスもいれて作っている。


こうして、エプソンの開発技術者が染料との戦いで、PX-G920の肌色その他問題で、不休不眠で改善をしていたが、私も従兄弟の子結婚式写真プリントで、その限界のプリンターと格闘を余儀なくされたのである。
キャノンも相当良いプリンターをだしている。ただ、私は上記の関係で自分が使用し続けているプリンターしかしらないので、エプソンのプリンターを例に当時の苦境は、科学技術の限界からくる苦闘に、私も巻き込まれた経緯を語っただけである。


ところで、この話を私の母などに解説して通じると思われるか。姉などはもっとひどい。このプリンターの話をカメラ屋さんで聞き、弟の言っていることは嘘(うそ)ではないかと当時思っていた節がある。私にすれば縄文時代の人間(母)と弥生時代の人間(姉夫妻)に解説を余儀なくさせられ更に疲れた。従兄弟類への解説のつかれはここでは略そう。

この話が事実かどうかは、大型店のカメラ担当者にきいても、パソコン担当者に聞いても無理、それどころか、まずエプソンの受付担当者にきいても無理(大型店のプリンター担当者にきいても当時のことは知らないと思う)。2005年頃のエプソンの顔料プリンターに携わっていた技術者に聞いてほしい。

私は総合格闘技家に近い。
フィルム知識、レンズ知識、カメラ知識、パソコン知識、ソフト知識、写真哲学、カメラ技術、プリンター知識、インク知識、用紙の知識…の総合からなる。作品にはこれとは別に主人公の文書やイラストが入ってくる。
私の作品作製知識を全て分かる上記の担当者はいない。別個に聞くことがのぞましい。プリンターならばプリンターの制作担当者に直にきくこと。カメラならばカメラの開発者関連に。ただし、一番難しいのが用紙である。これは奥が深い。プリンター関連の用紙問題はもの凄(すご)い難問である。それ以外は各担当の技術者自身に聞くことが望ましい。
エプソンが回答しやすいように、この箇所は独立して、私のブログのどこかに掲載しておこう。
なお、こうした総合格闘技に詳しい人は滅多にいないが、少しはいる。その中の一人が私である。私よりも、くわしくない人に聞いて、私に不信をもった気配を感じた。諺(ことわざ)とビジネス関連の鉄則を二つ書こう。
諺=灯台下暗し(とうだいもとくらし)。
(We are apt to overlook important things that lie near at hand. : It is often difficult to see what’s right in front of your eyes. )
私がもっとも詳しい人物の一人なのです。相撲取りの横綱の相撲の取り方を不審に思い、小学生・中学生の相撲クラブの人にきいて判断し続け、疑惑の目でみられた被害は甚大であった。各業者を小学生・中学生とは言っていない。総合となると、各業者ではチンプンカンプンなのである。カメラ屋さんが、市販プリンターのインクなどは詳しくない。彼らは自分のラボでつかっているリースした器財(業務用)の機種しかしらない。プリンター発売店はカメラレンズ知識などない。彼らの能力が劣っているのではなく、異種格闘技である。

簡単に言えば、総合格闘技ならば、その分野で一番詳しい人間の一人が私である。岡山県でもそうした人間はいてもごくわずか数人程度であろう。どうしても聞きたいときはバラバラで、しかも、メーカーの開発担当者や制作技術者に直に聞くことが望ましい。

作品づくり以外にこうした解説を独り言などで言わされ、書かされて十年以上、一年に千時間とられていれば、数万時間以上。最低賃金法の価格でも数千万円の損失になる(最低賃金法ではなく、駿台時代の単価ならば損失額は数億円になる)。
最後に一言。
「プロレスでは、リンクにあがれば親でも殺せ」
部外者が、私の仕事場に入ってくるな、である。邪魔どころではない。
今回以上に難解な解説もあるが、無料で、解説を何のために強いられるのであろうか。しかも、写真なども無料で提供していて。営業妨害以外の何物でもない。

それ以外の諸問題もあり、仕事道具であるカメラ器財などは、一切プライベートでは使用しない。何度も言ったが、今度はHPなどにも掲載し、実行中である。


(参考)使用器財
カメラ=ニコン、レンズ=ほぼ全レンズメーカーとニコン
プリンターはエプソン
オーディオ器機=ソニー(出井さんが社長を特に意識:早大政経卒)
テレビ・ビデオ・白物家電は=パナソニック(故森下洋一元社長を意識:関学卒)

金があれば全メーカーを。キャノン(御手洗社長)は一部持っているが主要商品をいずれ購入したい。



2018/09/23 20:36

●https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1043830531555713024

〈上記Twitterとほぼ同一文章〉



α近視用眼鏡2001年9月10日購入→合わず頭痛。1989年眼鏡等代替。強度近眼用新眼鏡必要
β老眼進行=強度近眼で老眼対策用眼鏡必要

2005年頃αとβの二つ必要
2005年9月22日母から代金→αかβかで迷うが、写真代金と勘違い→①

①2005/9/22母から眼鏡代金10万(15万?)→(本来α優先の)👓代金が→2005年結婚式写真代金に全額回す。

②2006年頃母から眼鏡代→βの👓(2006/10/21購入)→壊れ中間用👓+近く用👓追加購入=(強度近眼で)老眼対策用は合計計三つ購入

③母死亡後の遺産でαの👓購入(2014/3/25)
※①がなく1989👓で代替や長期頭痛、眼痛で悩む

αの👓とβの👓
αの👓=2005年購入ミス(勘違いで結婚式写真)で、母死亡による遺産で2014年で購入
βの👓=2006年購入

①2005年の写真代金は上記より、私の眼鏡代金となる

これで写真残酷物語は完全終了。器財など減価償却費自腹、消耗品自腹、労力無料でお礼どころか…では。しかし、これ以上の人生のロスを回避するため、もう何も書かない



(上記の眼鏡問題以上に悪質なのが、上記以上のトリックの下記事件)
A・駿台予備学校の女性(指一本触れていないが)に絡むドタバタ劇で駿台を放逐される。
B・岡山短大専任確約で赤字労働、更に駿台(助)専任阻止。それを目くらましをし、同時に雇用促進事業団・雇用能力開発機構の責任を軽減するため、岡山中学・高校専任割り込みと結論デマも上記同様の罠(わな)。

A=『閉じた窓にも日は昇る〈付録編〉』に下書き済み(出版・公開順番待ち)

B=刑事犯罪に特殊法人・独立行政法人が絡む事件。
Bは暇時に解説予定。結婚詐欺以上に悪質で、あれでは誰でも頭が混乱する。一部相談した人には迷惑をかけたが、その後の成り行きと結末を知ればびっくりするであろう。あれでは誰でも大混乱する罠とトリック、そして事件。

 



2018/09/24 14:38追記 2018/09/25 0:01Twitter番号修正

●https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1044235601438892032

【上記と同一文書を下記に】

18-264-1【私事】気が向けば一言で訪韓関連記述予定が本日不可思議な催眠で妨害。
263-4に絡めて眼鏡代金は?と。
前提=交通費支給原則→横浜市に住み、霞ヶ関に勤務。交通費は公共乗り物で計算が筋。
その間を自転車通勤や徒歩通勤でも支給が常識で、海外では逆に割増し支給。
常識確認後に下記↓


β老人用=①~③を購入。
①A店=眼鏡費用?円+交通費(A店ならば交通費支給原則より下記の如く五千円)×A店やA店姉妹店への回数(注文・引取り・修理の回数)+②通販B激安眼鏡?円+③通販C安い方も①と②の間程度の代金?円(送料不明)+②③の目医者代金(処方箋等)。
※①故障が故障し、③独書用と②パソコンやTV用など眼鏡三つ購入。度近眼の上に老眼となると、目の焦点距離問題からこうなる。

α近視用(2014年)=①A店購入費用?円(費用は当面秘密)+交通費(A店ならば交通費支給原則より下記の如く五千円)×A店やA店姉妹店への回数(注文・引取り・修理の回数)

なお、A店はチェーン店・系列店が膨大にあり、修理は津山のみか、滋賀県、大阪などでも行っている。何かのついでは津山は原則なく、修理が目的。修理回数は店に記録があると思われる。
不思議な話であるが、A店に修理に行く回数は当初、通常では信じられない回数であった。明らかに私の問題と思われるのは十年以上で二~三回。後はA店とは無関係であろうが不思議な話。回数は同店及び系列店(津山のみか、滋賀県、大阪等々)で。

津山A店は我が家~インタチェンジ迄往復十六キロ(事実上交通機関なし、通常はタクシー換算往復四千円)+高速バス往復八百円+津山駅からA店まで往復三キロ(店のHPの数値。バスあり。バス・タクシー代金は不明)である。よって支給必要額は約五千円と算定。
※徒歩や自転車かに無関係に通費支給原則参照。生活保護の医療扶助関連の交通費は公共乗り物がない場合には距離によればタクシー額支給となっていることも参照。これは★印の時用に参考記述。

単価秘密理由はA店への配慮等。A店が高いとか安いとかそうした営業上問題への配慮から。

★ただし、2005年従兄弟の子結婚式で、私に無断で、万一本当に某集団か機関が従兄弟などから写真代金を徴収していた場合などには、従兄弟などへの返還を条件に詳細明示を行う。(過去の領収書等問題や訪問回数問題を調べるのに時間がかかるため、正式要請以外は応じられない。常識である。逆に正式要請には誠意を持ち対応をする)

上記の場合等には立会人・新免昌和氏を通じて正式に文書で申し出を願う。

眼鏡残酷物語は非生産的なため、昨日でうち切り宣言をし、本日は訪韓に絡む情報公開予定が、一方的催眠問答で妨害される。
物事は正々堂々としていただきたい。新免氏を通じて、正式に文書で必要時には申し出を行うこと。
筋が通った話には誠意をもち誠実に対応を行う。正々堂々を願う



2018/09/24 15:35 2018/09/25 0:02Twitter番号修正

●https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1044235707487707137

【上記と同一文書を下記に】

18-264-2【私事】264-1の下に 「2005年従兄弟の子結婚式で、私に無断で、万一本当に某集団か機関が従兄弟などから写真代金を徴収していた場合などには」と書いたが、勿論、私はこの件で写真代金等一円も誰からも貰っていない。母親が支給したインフルエンザの注射代金…等が写真代金と言われるのと同様

 

 

 

《◇―2・引き受けた経緯》

→上記に下書き済み



《◇―3・デジタルの壁・パソコン問題》

→上記に下書き済み


《◇―4・プリンターの壁》

→上記に下書き済み


《◇―5・

《◇―6・更なる問題へ》

→上記若しくは次回及び次々回に下書き済み