水俣病資料館及び市役所への御礼の言葉
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★今回の文書は、御礼ブログと同時に、公式ブログに水俣市役所宛御礼ブログと同時に掲載している。
公式ブログ→
御礼ブログ→http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?real_estate=%E5%BE%A1%E7%A4%BC16-06%E2%80%95%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E6%A7%98
水俣病資料館への御礼文書はFacebook、Google+、Ameba、Twitter、Mixiなどにも全文掲載している。ただし、市役所宛御礼の言葉は、字数の関係で、私のHPのみに掲載。
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御礼16-05―水俣病資料館様
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水俣病資料館内では、特別に許可をいただき撮影させていただきありがとうございました。また犠牲者慰霊碑や乙女塚などの場所をお教えいただきお手数をおかけしました。厚く御礼申し上げます。
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館内で拝見した、水俣病関連ビデオは館内でも申しましたように大変よくできていました。
私もカメラをやっている関係で、映画・写真・絵画などにも精通していますが、場面構成、映像技術、編集の仕方などすばらしいものでした。
勿論、水俣病の問題解決、また世界で水俣病の悲劇を繰り返すまいという本質内容もよくわかりました。
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私は、水俣病の全面解決は「疑わしきは全て水俣病」とするしかないと考え、その趣旨の発言を常時しております。ましてや、最高裁判決をさらに広く解釈して、行政などが対応することは不可欠と考えています。
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そうした方向に、政治・行政を動かすには、世界が水俣病に再度大きく注目する必要があると思います。
それは世界のためにもなります。
水俣病型での住民被害を防ぐことができるからです。もし、水俣病型の被害が世界で起こった場合に、経済問題ですら大変なことです。世界は、それを水俣から学ぶことにより、「外部不経済」と名のつく被害から救われるでしょう。
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それ以上に、水俣病問題には人間問題の不条理が凝縮しており、多くの人々がそうした苦悩から逃れることができるでしょう。水俣病を巡る不条理の問題は拙著『旅に心を求めて―不条理編(下巻)』(Kindle版・Kobo版)などで書いた通りです。(島田社長・西田工場長のその後、苦悩した官僚の一部、被害者の苦しみ、細川博士の苦悩、原田正純医師の生涯、ユージンスミスの見た世界……水俣市民の……)
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また、大昔の習慣に従い、海の魚を食べ、排水された有機水銀のため、水俣病になり、生涯に亘り苦しんだ多くの人、今も苦しんでいる多くの人に対する賠償は国会威信、民主主義国家たりうるための必須条件でもあります。
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水俣病になり、世間の偏見と差別のみか、詐欺呼ばわりされ、被害者が加害者的に扱われる悲劇もあったと聞きます。
水俣病問題の解決なくして、人権を唱(とな)えることはできません。同時に、全面解決なくして、「日本は民主主義国家」などと称することも不可能です。
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今度こそ、水俣病の全面解決を願っています。そして、そのためには世界が再度水俣に注目する必要があります。
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世界に水俣病を注目させ、今度こそ、水俣病の全面解決を祈願しています。
(私は「疑わしきは全て水俣病」とする以外に全面解決はないと思っています)
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そのために、微力ながら、水俣病に世界が関心をもつよう努力させていただきます。同時に水俣病資料館に多くの人が訪れるよう、微力ながら努力させていただきます。
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最後に、水俣病犠牲者慰霊碑の写真を掲載しております。
長崎・水俣での撮影枚数が2500枚であり、まだ整理ができていません。また写真一枚が100メガバイト(16ビット現像ならば200メガバイト超過)あり、圧縮では無理で、縮小し圧縮せねばならぬため、今回は本格的なセレクト抜きで一応写っているものを掲載させていただきました。
ただし、次年度中には水俣関連の特設・常設サイトを作る予定でいます。
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水俣再訪の目的の一つであった、乙女塚には残念ながら行けませんでした。翌日も無理だった理由などは「御礼:水俣市役所・観光課様」などを御覧ください。
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微々たる力ですが、水俣病資料館に多くの人が行くように、世界が水俣に再度注目・注視させるように努力(全面的に支援)することで、私の御礼とさせていただきます。
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浜田隆政(Takamasa Hamada)
2016年12月2日
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追伸。水俣病犠牲者慰霊碑のある場所は、その周辺に案内図に書き込んだり、標識をつくったりすることをお勧めします。相当、探すのに苦労しました(方向音痴のせいもあり、資料館をでてから、たどり着くのに約一時間かかりました)。
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写真№16-044-91(2016/11/25 17:47)と写真№16-044-119(2016/11/25 17:57)
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備考:三脚なし、手持ち撮影。シャッタースピードは後者は1/10。本当なら文字のルビまで写さなければならないのだが、手ぶれ対策で必死のため、通常の文字が見える範囲でしかうつっていない。
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(付録―1)
16-04・水俣市役所総合案内所、総務課様―自転車などお世話になりました
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水俣再訪のフィールドワークでは、水俣市役所総合案内所、総務課、環光課の皆様、水俣資料館の受け付けの方、さらにはビジネスホテル・サンライトの皆様には御協力を頂きまして厚く御礼申し上げます。
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また、某コンビニ店で、どこに行ったらよいかを教えていただいた、受け付けの女性の方にも感謝申し上げます。
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お世話になりました、お礼の項目が違うため、同一内容の項目ごとに感謝の言葉を書かせていただきます。
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本日は、水俣市役所総務課及び総合案内所の方へのお礼の言葉を書かせていただきます。
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水俣市役所にて、自転車を無料でお貸しいただいたことは、フィールドワークの成果を上げる上で大変助かりました。
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今回の、水俣フィールドワークでは、水俣の青い海、チッソ工場、水俣病犠牲者慰霊碑、乙女塚、及び幾つかの場所を検討していました。自転車をお借りしたおかげで、大半の目的地にはいくことができました。
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また、自転車の無料貸出制度は、野麦峠へのフィールドワークで松本市に行ったときに、松本市でも実施していると聞きました。ただ、松本市では、自転車をお借りする時間もなく、私の地元の市行政への参考にはなりませんでした。今回、自転車をお借りしましたことは、水俣でのフィールドワークのみならず、市行政での観光対策・市民の足対策などの参考にもなりました。
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来年度には、水俣関連独自のサイトを立ち上げ、水俣が如何にきれいなところかなどを全国・全世界に向け発信させていただくことでお礼にかえさせて頂きます。
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水俣市役所総務課・総合案内所、水俣市役所全員の皆様にお礼を申し上げます。
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浜田隆政
2016年11月30日記述。
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追伸。
水俣市役所観光課様、水俣資料館の受け付けの方、サンライト様には、明日から順次、別の視角からお礼を書かせて頂きます。写真などは膨大に撮影しているため、写真掲載はさらに後日となります。
2016年11月30日
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御礼ブログ↓
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?real_estate=16-04%E3%83%BB%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E5%B8%82%E5%BD%B9%E6%89%80%E7%B7%8F%E5%90%88%E6%A1%88%E5%86%85%E6%89%80%E3%80%81%E7%B7%8F%E5%8B%99%E8%AA%B2%E6%A7%98%E2%80%95%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E3%81%AA
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御礼 水俣市産業建設部 経済観光課 商工観光振興室
KK様及び一同様
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今回の旅の目的の一つが、犠牲者慰霊碑へのお参りと水俣の限りない青い海を撮ることでした。後者につきましては、1983年夏に水俣を訪問した際に、限りなくきれいな青さに驚きました。
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私の著作の書き出しが、「水俣の海は限りなく、青く美しかった」です。
1983年の訪問の際には、カメラはまだやっておらず、壊れかかったカメラで写しただけでした。そこで、教材や著書には、水俣の青い海は他人が撮影した写真を使用していました。これでは、出版に当たり、著作権侵害となるため、1996年に再度水俣の撮影に行きました。ところが、残念ながら、激しい雨で目的は果たせませんでした。
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こういう次第で、水俣の限りなく、青く美しい海を撮る必要がありました。コンビニの親切な女性店員の方が、湯の児をお勧めになられました。しかし、地図はないし、また他の場所も撮影する必要があり、水俣市役所観光課に問合せした次第です。
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観光課の方も、湯の児をお勧めになり、同時に水俣病資料館も紹介していただきました。ただ、「山があり急勾配で、自転車では大変なので、バスを勧める」とのことでした。確かに、山があり、押して登り、大変でした。
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しかし、徒歩半分、自転車半分で、水俣の美しい自然を堪能できました。とりわけ、大きな収穫は明水園を撮影できたことでした。
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思えば、今から33年前(1983年)に、教員の研究会で熊本に泊まり、その後、希望者で水俣を訪問させていただきました。そのときに、明水園で、水俣病患者の方のお話を伺った懐かしい思い出の地です。
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明水園を訪問させていただきたいのは山々でしたが、前回はアポイントメントをとり、集団で行かせていただきましたが、今回は一人でおまけにアポイントメントもとっていない以上、迷惑を考え、遠方から撮影させていただきました。撮影枚数は約35枚です。それも明水園かどうか半信半疑のため、一部セーブしての撮影です。万一、明水園だったならば……という思いでの撮影でこの枚数です。そのくらいに、私にとっては思い出の地の一つです。(水俣病資料館に行って、やはり、明水園で間違いないことが分かりました。)
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本題に戻ります。
水俣の地は、限りなく美しかったです。徒歩と自転車となれば、その美しさが、肌を伝わってしみこんできました。フィールドワークの原則は、その地を肌に馴染(なじ)ませるです。自転車や徒歩は大変です。しかし、その地の声、歴史の声、地の叫びを聞くためには、徒歩と自転車は最適です。再度痛感した次第です。
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ただ、政経の専門家である以上、その視点から多少余分なことを書かせていただきます。湯の児島公園はすばらしかったです。この美しい水俣の自然は石油と一緒です。石油は大昔から知られていました。しかし、その活用方法が分かるまでは、「汚い飲めない、ときには燃える、やっかいな水」として扱われていました。活用方法が分かると一転したことは御承知の通りです。水俣のこのすばらしい自然も、観光資源、健康用資源として生かされれば石油同様に大変な価値をもつでしょう。だが、そうでなければ、維持・管理で、大昔の石油同様やっかいなものとなるかもしれません。
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車の観光もすばらしいでしょう。バスも、タクシーも便利です。しかし、徒歩とか自転車はときには何にも替え難いものを与えてくれます。
高齢化社会で健康が重視されているためなおさらでしょう。岡山県の吉備路風土記の丘には自転車専用道路があります。自転車・徒歩での観光紹介なども検討されたならばいかがでしょうか。
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同時に、バス、タクシー、自転車、徒歩は競合するものではありません。実際は共存共栄するものなのです。ときには運命共同体のことすらあります。そこで、バス、タクシー、自転車、徒歩をうまく連結すれば、パイ(観光客・訪問客)自体の増加に繋がるため、すべての業界が潤うことが多々あります。その逆も然(しか)りです。自転車や徒歩の客が増えれば、実はタクシーやバス業界は儲かるのです。専門的になりますため、この話は私のHP・ブログでいつか政経専門家の見地から記します。
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湯の児から、水俣病資料館まで、水俣の地を十分味わえました。ただ、時間切れで、乙女塚、百間川などは無理でした。また、福田農場も無理でした。翌日は、朝水俣を出ましても、我が家着が18時20分であり、これに乗り遅れると我が家着は(終電で)22時頃となりますが、万一汽車がおくれれば、昨年の広島の如(ごと)く駅で1夜を過ごす羽目となるため、残念ながら、翌26日は水俣を見て回ることはできませんでした。(私の住まいは、鳥取と岡山の中間であり、過疎のため、一番面倒なのが岡山市から我が家までの道中なのです。)
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本来ならば、写真つきで紹介したいのですが、長崎・水俣での撮影枚数が2500枚であり、整理できていません。また写真一枚が100メガバイト(16ビット現像ならば200メガバイト超過)あり、圧縮では無理で、縮小し圧縮せねばならぬため、今回は間に合いませんでした。
明日、水俣病資料館宛への御礼(おんれい)を記すときには1~2枚でも掲載できればと考えています。ただし、次年度中には水俣関連の特設・常設サイトを作る予定でいます。詳細は明日の水俣病資料館宛の文書を参考ください。
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最後に蛇足を記します。観光課KKさんは私に言いました。
「湯の児に行き、水俣病資料館に行けばちょうど、そこから夕日が見えます」、と。本当に夕日が見えました。そこで、KK様は観光課ではなく、水俣市役所天気予報課へ配置がえしたらいかがでしょうか。(*^▽^*)。勿論冗談です。
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水俣観光課及び市役所の皆様には大変丁寧に対応していただき厚く御礼申し上げます。また、自転車で走行中、出会う車がほぼすべて人に優しい運転をされていたことも、旅の良い思い出となりました。
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2016年12月1日
浜田隆政
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御礼ブログ↓
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?real_estate=16-05%E3%83%BB%E5%BE%A1%E7%A4%BC%E3%80%80%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E5%B8%82%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E9%83%A8%E3%80%80%E7%B5%8C%E6%B8%88%E8%A6%B3%E5%85%89%E8%AA%B2%E3%80%80%E5%95%86%E5%B7%A5