公式Blog№69→夢か-21:内村君への私のアドバイス?で私もマスコミに言いたいことがある(2015年記述)

 

公式Blog№69→夢か-21:内村君への私のアドバイス?で私もマスコミに言いたいことがある(2015年記述)

 

内村君のケースはB型に近い。以下、一部を引用する。
「……これにはα型とβ型がある。β型は催眠誘導で、私が喋(しゃべ)らされ{檄(げき)を飛ばせられ}るタイプである。例としては、先に述べた女子柔道の件や福原愛の件などがある。
 

α型は、テレビを見ていると、番組が仕掛けて、ホィッと選手を出さされ、釣られて何かを言うという形である。これが今回の内村君の件である。
 

β型は、さほど問題ない場合もあるし、そうでない場合もある。女子卓球(福原愛など)のケースはさほど問題はない。α型の内村君の件はβ型以上に問題がないはずであったが、昨年Facebookに書いてからややこしくなった。」
モーニングバードという番組を寝転がって見ていると、テレビ局が内村君をホィとだしてきた。当時、内村君は自分でも意識しない不調の中にいた。私の方は彼にアドバイスする何の準備もしていなかった。
だが、だされれば、条件反射で彼を応援するコメントを何か言おうと考えた。それが前回の公式Blog№67である。
このときの件が効を奏したかどうかは不明であるが、内村君は立ち直り金メダルをとった。これがすべてであり、もはや何の弁解もいらぬと考えるのである。

 

ところが、Blog№67をFacebookに掲載して昨年もめたようである。ならば、テレビ局がきっちりと解説をしておけ、となる。人(私)を適当に利用しておいて、都合が悪くなると傍観者とは卑劣ではないか。私の方が何の準備もしていないときにだしておいて。
再度記す。私は家でリラックスをしていたときであり、まさか選手にアドバイスをさせられるとは夢にも思っていなかった。そして、突然、内村君が……、私は見かねて、彼が立ち直れるようにと思い、№67の助言を行った。そして、内村君は金メダルである。ならば問題はないはずである。同時に、何らかの問題があれば局が始末しておけ、となる。私はテレビ朝日から一円も貰(もら)っていないのである。一円も支払わずに、人をこき使い、都合が悪いと知らぬ顔は卑劣ではないか。
では、私のアドバイスで内村君が立ち直ったのか。私に分かるはずがない。それでも、選手によればおみくじやお守(も)りを持参し、勝ったときにお守りのお陰という人もいる。だが、お守りは有料、私は無料。ならば、そのお守り程度くらいには思ってもらってもバチは当たらぬであろう。

 

これらは内村君に対しての言動ではない。TV局や視聴者の一部に向かって言っているだけである。
ついでに、次の疑問もしるしておく。テレビ局などの一部が偏見を持っているのでは。それは次の疑問である。
内村君の場合にはアドバイスをしただけである。それに対して小野アナウンサーとクリスタル滝川には大変失礼なことを言ったが、一切問題にならなかった。それは偏差値なるものなどのイドラにとらわれているのではなかろうか。

詳細は安らぎ文庫Blogの中の「毒饅頭(まんじゅう)教育批判・偏差値のイドラを斬る」を参照していただきたい。
では、最後に小野アナウンサーとクリスタルに言った内容を記す。

 

小野文惠アナウンサーを「試してガッテン」の中で久々に見たときである。
私のセリフ「しばらく見ない間に、えらい美人になったじゃないか」
実際、少し痩せて、綺麗(きれい)になっていた。
ところが、例によって彼女がだじゃれを連発したため、私は言った。
「頭の方は相変わらずか」
すると、彼女は大笑いをした。
内村君の件が問題になるならば、何故(なぜ)、こちらが問題にならなかったのか。
小野文恵の最終学歴が東京大学文学部卒業のせいであろうか。
ちなみに、私の偏差値批判を読めば分かる。同時に、私は駿台予備学校の講師時代に東大・京大進学者は山ほどみてる。同僚も大半が東大・京大出身者であった。だから、(東大・京大出身者が)どうした。何の意味もない。今の実力がすべてである。同時に偏差値では何も分からない。
川クリステルの場合には、かなり問題な発言を、条件反射でしてしまいよくなかった。
『ニュースJAPAN』という番組の中で、催眠か何かで、政経関連の事項で興奮していたときに、つい問題発言をしてしまった。
彼女に対して、私は言った。
α「どうして、そんなに頭の回転の遅いんだ」の類の言葉である。
ひょっとするとβ「だから、頭の回転の遅い女性は嫌なんだ」かもしれないが、後者ならば事実に反しており、催眠か何かで言わされたのであろう。私の父の遺言で、結婚するときは「少し、頭が抜けた感じのするのをもらえ」であったからである。
父の遺言ぬきでも、私もおっとりしたのがよい。その私が本来ならば後者を言うはずがない。せいぜい、前者までである。

 

このときの滝川クリステルの反応は、クールな笑みを浮かべて、恰(あたか)も「まあ、面白い冗談を言って。あなたに言われたくないわよ。あなたとはレベルが違うわよ。私の方が上よ」というが如(ごと)しであった。ちなみに、私の専門は政治経済なのであるが、私の方こそが軽く扱われていた。もう、十年ほど前であろうか。

 

彼女の反応抜きに、βの発言はよくない。通常の私がいうことはない。言動は違うが、中国オリンピックのときに福原愛の件で催眠誘導で言わされたときと同一であった。

だが、彼女(滝川クリステル)はあの頃は、私よりも彼女の方が政経に詳しく、学問的にも私よりも相当深く勉学をしているというが如しで、鼻で笑い、冷ややかな笑みを浮かべていた。彼女がフランス語はできるだろう。だが、彼女がフランス語で喋(しゃべ)ったときに、彼女に釘(くぎ)をさしたのであるが。「フランス語など大したことはない。私は大阪弁も喋れるし、岡山弁・広島弁も喋れる」、と。

 

ともかく、これらの言動が問題とならずに、どうして内村君のときが問題になるのであろうか。大卒の有無などうでもよいが内村君も滝川クリステルも小野文恵も共に大卒である。よって、TVやマスコミの一部の方が偏見を持っているのではなかろうか

 

ちなみに、滝川氏が私よりも造詣(ぞうけい)が深いかどうかは別にして、あの発言はよくなかった。後日、丁寧に詫(わ)び文でも書く。他方、小野文恵とか内村君に関しての、私の発言は問題なかった。特に、内村君に関しては、突然、対面させられ、大慌てで彼をリラックスさせ、彼本来の力を出さそうと思っての発言であり、結果も(私の言動の効果の有無は不明も)金メダルを取っているのだから、尚更(なおさら)、問題はなかった。

 

 

 

【2015年7月28日14時頃追記】
Ⅰ:内村君の件は状況から言っても、目的から言っても、効果から言っても問題ないと考えている。もし責任があるとすれば、突然、話題提供のために事前に相談もなく振り当てる行為をしたテレビ局の方である。しかも、私に出演料など一円も支払わずに。

 

Ⅱ:内村君について一言記せば、もはや、立場は逆転している。今度は、私が苦境のときに君が私にアドバイスや、助け船の発言をする段階である万一、将来そうした(私が苦境に陥った)ときがきたら、助けてよ。だから、もっと、もっと活躍してほしい。そうすれば私は鬼に金棒となる。君も金(きん)の棒(塊・メダル)には興味があるだろう。

 

Ⅲ:昨年Facebookに書いた後での「内村君の件・騒動」は誰かが計画的に仕掛けたとしか分析できない。話題提供その他の目的で。本来、当時の私の行為は、置かれていた立場、助言の目的・効果から言って問題はなかったはずである。

 

Ⅳ:総論として、①テレビ局などと出演契約を結んでおらず、しかも、一番ポイントの報酬がしはらわれていないときは、私が自宅でTVに向かい何を喋(しゃべ)ろうと私の自由である。力道山全盛時代に、みんながブラッシーなどに向かって、テレビに叫んだ言葉を思い出せばよい。
②他方、テレビに出演している人が特定の個人(公人ではない人)に狙いをつけて、個人攻撃をすれば刑事事件である。
そして、私は②の被害に何度か遭(あ)っている。だが、それを誰も問題としない。放送倫理協定に違反していても、刑事犯罪に該当していても。それこそ卑劣ではなかろうか。問題のない①の方に攻撃がむく。ややこしいというならばお門違いである。それは私の言う台詞である。

だから、2015年は表と裏の顔を一致させるべく努力を開始すると宣言している。実際にどちらかに一致させてくれとなる。有名人税は全盛時のビートルズ同様に取られ(自宅監禁、一部の地域ではホテル幽閉、天皇陛下の如くOfferの連続、…なによりも「ここだけの話(Between yon and me)が、私は剥奪されている=プラバシー権侵害・人身の自由侵害」)、他方ビートルズやチャップリンが得た報酬は全くない。これではやっておられない

 

Ⅴ:クリステル滝川さんの件では、私がよくなかった。しかし、私には催眠誘導としか思えないのであるが。ともかく一言記しておく。
滝川さんはもう覚えていないであろうが、先の発言については、深くお詫(わび)びします。同時に、滝川さんに世の注目がなくなり、彼女がテレビにでても人が余りみなくなった頃、できる限り、私は滝川さんの番組を見ます。それで相殺してください。
今はまだ「お・も・て・な・し」で存在感があるため、私が見る必要もあるまい。
とはいっても、私は鼻であしらわれたとしか思えなかったのであるが。
しかし、問題発言は問題発言のため責任は取る。本来ならば、嫁にして責任を取るといいたいが、またもめるためそれは言わないし・思っていない。第一、私は少しのほほんとした女性がよく、滝川さんがそうではあるまい。だから、滝川さんの件での先の発言は催眠誘導としか思えない。ともかく、彼女も、一定キャリアを重ねたため、人生で一番活躍できる時期に入ったため、自分の思う番組を選び、自分の存在感をだすことを願っている。そのときに、人がみなかったときには応援をする。それで相殺としたい。

 

Ⅵ:私の教育・学歴に関する見解は、安らぎ文庫Blogに連載中の「毒饅頭(どくまんじゅう)教育批判」を読んでもらえば分かる。もっと詳しくは、拙著『旅に心を求めて』シリーズ{特に『旅に心を求めて―不条理編・上』(美は悲しみの中にあり)}、学校関係では『旅に心を求めて―不条理編・下』に収録の「学校」、いずれ世に問う『求め続けて』や間もなく発売の『親方日の丸』(の中の一部)等々を読んでもらえば誤解されることはないであろう