拙著原稿で「命を懸ける」と「命を賭ける」を使い分けた理由について。
拙著『旅に心を求めて・不条理編(上)』(安らぎ文庫・Kindle版)第3章第2節の注6より抜粋。
私は、この原稿では、〝懸(か)ける〟〝賭(か)ける〟を使い分けしている。判断に迷った場合には〝かける〟と平仮名で記している。辞書によれば命を〝かける〟は賭けるが良いとしている物もあったが、その辞書でも〝を〟がなければ〝命懸け〟としており、終始一貫性はなかった。使い分け方は私の文章を読んで考えていただきたい。
今簡単に記せば、懸けるは金や命を失うのを覚悟で行うことであり、「命を懸けて守る」などで使用する。
他方、賭けるは、勝者が金品などを得るきまりで勝負をすることであり、「賭け事に熱を上げる」のような形で使用する。
つまり、命を賭けるは殴りあいの死闘で運良く勝てば我々・民主主義の勝利、負ければ民主主義の破滅で終わり、という博(ばく)打(ち)的発想である。他方、命懸けは自らを犠牲にして、物事を成(じょう)就(じゅ)するまで(時には死ぬまで)努力をするという意味となる。