夢か―1。TVとの対話?―№1。マザーテレサ。

【このコーナーの前書き】
今回から月に二度のペースで、TVの中で対話したように思えた人との会話を掲載する。当初、「夢の中で」としようと思ったが、ありのままに「TVの中で」、とした。当面は昨年Facebookに掲載したものを記す。
その後は拙著『日本のフィクサーME』の中からごくわずかを紹介する。
さらに、その後はこれらの原稿の後に出会った人の紹介をする。
記載理由は、忘却せぬように記録に残しておくためである。ただし、現時点で公表すると問題が大きすぎると判断した人物については原則として掲載しない。たとえ、夢の中でも、否(いな)、TVの中でも。

誤字・脱字は今回一部修正。

TVの中での対話?―第一話。マザーテレサ。

Facebook書込No.14-003 : 『The Snowmanの世界ー夢か現実か』(2014年3月20日 · 編集済み )

市川房枝氏に1970年代後半にお目にかかり、二人で話をしたのは事実である。
マザーテレサ(Mother Teresa)が1996年か97年に、TVの画面から、私に話しかけたことがある。私に何かを託すというが如(ごと)くに。あれは、夢だったのだろうか。
残念ながら、そのときの会話内容は覚えていない。しかし、あのときのテレサの真剣な顔は脳裏に焼き付いている。そして暫(しばら)くして、97年9月5日、彼女は召された。

昨日、私のpageへの、テレサの言葉の貼付けを見て、記す。

Facebook書込No.14-005 : 『夢か現実か ― マザーテレサからの遺言』(2014年3月21日 · 編集済み )

教材研究に疲れ、ふとTVをつけると、マザーテレサがでていた。
この日のテレサは、口調はいつもの穏やかな口調であったが、目が鋭かった。凄(すご)い迫力であった。いつもと違っていた。残念ながら、話の内容をよく覚えていない。それは疲れのみか、TVの中から人が話し掛けてくるなどとは思いもしなかったからである。さらに、英語で喋(しゃべ)られ、TVの字幕のため、よく見えなかったこともある。

それから間もなく、彼女は旅だった。あれは私への遺言だったのかもしれない。

ともかく、重要なことのため、本日必死で思い出す努力をしてみた。その内容は次のようだったと思う。
この世に苦悶(くもん)している多くの人がいます。衣食住のみではなく、自己の居場所がない人(自分が必要とされていると思えなくなった人)、そして戦争の悲惨さ…。途中でテレサが、亡き祖母に見えた。老いは恐ろしいものかもしれない。だが、彼女は自らの死や老いよりも、彼女亡き後のことだけを気にしていた。

彼女は、何故(なぜ)、私に遺言を託したのであろうか。「死を待つ家」等の運営は、彼女の後継者がいる。すると、私に「世直しを」依頼したのだろうか。
それならば、私には荷が重すぎる。そこで、この話を記して、このページを読んだ人と彼女の遺言の共有を願いたい。

現在は競争社会であり、競争は重要なときが多い。トムクルーズが、徹子の部屋で、私に競争意識を持っているように思えたときがある。トムクルーズには、私などを相手とせずに、テレサと競争をすることを勧める。


私はテレサとの競争などをする気力がない。無条件降伏である。無の心(Void mind)での競争なき競争についてもどこかで触れる。そうした心情を、私もほんの少しだけ持ちたいとも思う。

だけど、本当にほんの少しだけ。