Facebook書込No.14-024。『夢か現実かーロスオリンピック山下選手』。
【問題・格闘技の常識】。怪我(けが)をした対戦相手への美徳とは。
相手が怪我をしていれば、そこを徹底して攻めるべきである。
相手の怪我箇所は攻めてはならない。
怪我のことは忘れ、普通にすべきである。
どれが正解か。
昔、『日本のフィクサー〝ME(ミィ)〟』という原稿の中で次の記述をした。
「……柔道などでは怪我をしても隠して出場したり、相手も怪我(けが)に気づけばそこを攻撃したりしないことが美徳とされる。相撲では怪我をして出ると相手の力士に失礼に当たるため、できる限り欠場することが望ましい、となる。プロレスでは相手のレスラーが怪我をしていれば、その怪我の箇所を徹底的に攻めるのが相手へのエチケットとされる。どれが正しいか。いずれも正しい、と私は思う。スポーツの性格やその選手の年齢その他により解答はマチマチである。……」
この原稿を某出版社に送付して、暫(しばら)くして、ロスオリンピック時の柔道の山下泰裕氏のことが話題となったことがある。
(1)ロスオリンピック柔道決勝戦の結論から記す。
①一時、格闘技に狂っていた私が、当時の試合をインタネットで最近何度も見たが、当時の山下選手の状況では右足を痛めていても、右足を攻められても勝っていた。
②しかし、ラシュワンの言っていること(「自分の誇りを捨てたくないため右足を攻めなかった」)(※注1参照)も嘘(うそ)ではないと思う。
③文化と時代。昔、アラブ諸国の一部の文化として、次の話を聞いたことがある。日本人記者が現地で車を他人の車にぶつけた。すると、車に乗っていた相手は車から飛び出し、自分の車を見た。そして日本人記者に手を出してきた。何なのか。握手であった。彼は「神のお陰で事故はこの程度で済んだ。感謝をしよう」、と言い、やがて立ち去ったそうである。
もちろん、グローバル化した今日ではアラブ諸国の多くの人が、世界平均の考え方に近づいてきているかもしれない。しかしラシュワンが生まれた頃は当時の文化は健在であり、彼はその中で育ったのであろう。文化が違うため、日本人の発想で考えることは間違いだと思う。
柔道は国際化する中で、日本人型発想や欧米型発想では誤解が生じることもあったと思う。
これが、私の結論である。
(2)山下選手の〝やるせぬ思い〟
山下選手は、後に、ラシュワンが右足を攻めてくれていたら、と思ったかもしれない。相手が遠慮して、自分が勝ったということは耐えられないという思いが後にしたであろう。だが、山下選手(全日本柔道連盟理事)に敢(あ)えて言う。柔道は国際化した以上、自分の思いで相手を見てはならない。文化が違うのだから。まして、山下選手やラシュワンは私より約5歳年下ではあるが、間もなく還暦に入る年代である。よって、その年代の頃は、今以上に、文化に規制された思考様式があったと思う。その上、性格もある。そこで、最初に書いたように、【問題】については、どれが正しいかについての解答はない。
試合の結果だけが全てである。
否(いな)、2014年現在の山下君と現在のラシュワンの姿が全てでもある。それが柔道の〝道〟ではなかろうか。山下君が今の自分に誇りが持てるならば、ラシュワンが今の自分に誇りが持てるならば、「柔道はまさに道を追求するスポーツである」と誇りを持って言えるのではなかろうか。
(3)格闘技狂いだった私が当時の試合を見ての感想。
2014年5月6日にインタネットで、ロスオリンピック柔道を繰り返して見た。
準決勝・コロンボ戦では、二回戦シュナベール戦で痛めた右足を、徹底して狙われた。だが、このときの山下選手の重心の位置、精神面などから寸分の隙(すき)もなかった。焦りも見られず、浮き足だってもおらず、動き方も適格な動きをしていた。
当時の山下選手の場合には、何度見ても、怪我をしていても寝技に持ち込めば百パーセント勝つという状況であった。
決勝・ラシュワン戦では、ラシュワンの「左払い腰」が外れ(若しくは山下選手がスカし)、即寝技に入り、危なげなく横四方で勝った。万全の柔道に見えた。試合前の礼も試合後の礼も良かった。
物事に〝もし〟はないが、敢(あ)えて〝もし〟を言えば、右足を攻められていても、山下選手の当時の心理状況では、何が何でも、寝技に持ち込み勝っていたとしか思えない。何故(なぜ)ならば、寝技に持ち込めば、当時の状況では百パーセント勝っていたからである。もし、右足を攻められ、極論すれば骨が足から出ても、彼の当時の精神状態では寝技に持ち込めたであろう。山下君もそのつもりでいたであろう!善し悪(あ)しは別として、足の骨が折れてもやる、と。
同時に精神状態のみではなく、足を痛めていても、重心はよく、また相手をよくみており、更に全体的な機敏性も残っており、やはり勝っていたと思う。例外があるとすれば、山下選手に戦う意思があってもドクターストップを、審判か医師から告げられたときだけであろう。要するに、足の骨がはみ出したときなどに。
他方、(もちろん、)ラシュワン及び彼の監督・コーチの側は右払い腰を狙えば勝ったと思っていたであろう。試合である以上、勝つことしか考えていないからである。
しかし、格闘技に狂ったことのある私が見れば、この(3)が全てである。もし右足を攻められても勝っていたと思うし、実際に結果として勝ったということである。
(※注1)某インタネットから以下抜粋。
日本人監督、山本信明は得意技、つまり右払い腰で攻めろ、と命じ……
ラシュワンはその理由を十二年たった今、私たちがインタビューに訪れた大阪・枚方市の妻の実家の事務所で懸命になって説明しようとした。……
では、なぜ山下に対して、まず右から攻めようとしたのか。
「あれは左払い腰で勝負するためでした」と、ラシュワンは言った。「右で勝負していたら、もしかしたら勝っていたかもしれない。でも、私は…」あえて王者山下の傷ついた右足を狙わなかった、というのである。
試合はその通りに展開した。ラシュワンは山下の右へフェイントを飛ばしたあと、しばらくして左払い腰に出た。……
http://nonbe.way-nifty.com/blog/2007/10/post_6430.html より抜粋。
(※注2)当時の試合をインターネットで見るには。
http://www.youtube.com/watch?v=jYDB013oGXo
今回のFacebookをもち、スポーツ関連の過去の情報公開はひとまず、打ち切る。後はスポーツ以外か、スポーツでも今後起こった事項に限定する予定である。
【2014年追記】
Facebook・Twitter、いずれ作成する私のHP、ペーパーの原稿で記したいことは、スポーツ以外で山ほどある。そこで、他のスポーツでも書きたいことが相当あるが、スポーツ関係の「夢か誠か」(おかしな情報公開)は今回でひとまず打ち切る。
他のスポーツ関連と言えば、北京ソフトボール、ロンドンでのボクシング・男子レスリング、ロンドンで私に怒っていた競泳人、北京オリンピック予選等での野球等々……とあるが、これらは割愛する。それに真央ちゃんのことも当分書く時間はない。私の方は気づかなかったが、これ以外に相撲(ひょっとして放駒親方が理事長のとき?)や女子サッカーも?何かあったのかもしれないし・なかったのかもしれな い。また、ロンドン女子バレーボールも書きたいことはあるが残念ながら書く時間がない。
なお、ロンドン競泳人については、私への怒りの理由は全く不明、かつ身の覚えもない。多分、誰かがデマを飛ばし、彼らをむきにさせ、彼らの力を競技で出し尽くさそうとした謀略であろう。プロ野球の原監督に対してもWBCのときにこれをやられた疑惑があった。これをスポーツ関連ではよくやられた。私にすれば、他人が私に怒っている顔を見るのは大変不快、それ以上に疲れる。それもあり、当分スポーツは一切見ないことにした。
以上、2014年5月30日記述
【2015年6月5日追記】
(A)山下泰裕(やました やすひろ:1957年6月1日~)氏に関する資料。
①日本の柔道家(八段)。
1977年10月の日ソ親善試合から1985年4月の全日本選手権優勝を最後に現役を引退するまで約7年6箇月の間に203連勝を記録。1985年6月17日引退。
②熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)出身。
③東海大学卒業。同大学大学院体育研究科修了。東海大学副学長(2011年10月 - )。
④日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟理事・副会長・強化委員長、日本オリンピアンズ協会理事。
⑤(第五回)国民栄誉賞を受賞(1984年)。
(B)当初の引用箇所は『日本のフィクサーME』第1章お初天神様、第1節故郷の冬は寒い、より。この本も電子書籍か何かで出版したいのであるが、出版待ちの原稿が山積しており、来年に出版の可能性が高い。場合によれば、出版順番を変えて本年・2015年後半ということもありうる。
(C)作品用メモ
山下泰裕氏が皇居の園遊会に招かれた際の逸話。
昭和天皇から「柔道は、骨が折れますか(柔道は、大変ですかの意)」と尋ねられ、「はい、昨年骨折しました」と答えて周囲の爆笑を誘ったエピソードがある→これについて2015年6月4日確認した。事実である。
昭和天皇と山下氏が上記の受け答えをしている場面で、山下氏の横に黒柳徹子氏がいた。本来ならば山下氏でなく、黒柳氏が上記の受け答えをしたと思ったのであるが、YouTubeで確認すると山下氏であった。
関連資料→