夢か―15・斉藤仁―道・斉藤仁君の思い出

柔道・斉藤仁君の思い出。

斉藤仁君が、本年1月20日に死んだ。54歳の若さであった。
彼の思い出は、1984年ロサンゼルスオリンピックでの圧巻の勝利と、88年のソウルオリンピックでの満身創痍の中での金メダルを思い出す。

彼は大変実直であり、大変礼儀正しい人間であった。彼の死を聞いたときに、Twitterに下記のメッセージを記した。
彼についてはテレビで対談したような気分になったときがあるが、大変礼儀正しい人間といつも思った。特に、目上・年上の人に対しては礼儀正しい人間であった。柔道の基本である〝礼〟である。

 

彼との思い出は次の三点のみである。

(1)ソウルオリンピックのときの日本選手団の旗手は小谷実可子(シンクロ選手)であり、主将が斉藤君であった。私は斉藤君のようなタイプが好みであり、斉藤君と小谷氏が一緒になればよいのに(結婚すればよいのに)、とTVに向かい言ったが、誰も無反応であり、実現もしなかった。勿論(もちろん)、その頃(1988年頃)、TVとの双方会話など夢にも思っておらず違和感はなかった。

 

(2)次が斉藤君が北京オリンピック日本選手団男子柔道監督をしていたときの話である。私は選手が負けた後で叱っても意味はない。まして暴力は反対である。しかし、試合前(特に金メダルが絡んだ決勝戦では)選手が浮き足立っていることがある。恰(あたか)も夢遊病のごとくに。そうしたときにはビンタか何か気合いをいれた方がよいときもある。それにより、我に返るからである。これは暴力ではない。叱っているのでもない(何故ならば試合前なのだから)。すると実直な斉藤君は本当にそれをしたのであろうか?
石井選手か誰かの試合前に、「裏で何かへんな音がしていますね」とアナウンサーがいっていた。バシバシ、と。確か、このときの選手は金メダルをとったような記憶がある。試合前・気合いをいれるため・石井選手並みの百キロを超す体格かつ凄(すご)い腕力の持ち主の人間相手・またビンタの目的は金メダルを取らすため……では暴力ではないと思う。しかし、もう、私もこうした発言をすることはないであろう 。

 
(3)2011年末に、内柴正人氏が準強姦容疑で警視庁に逮捕された。サンデーモーニングという番組の中で、斉藤君の弟子である内柴正人逮捕で、斉藤君が「人として、あるまじき行為と思う」 と言った。まだ判決前のことである。そこで、私が、「万一、事実ならば許しがたい行為である。だが、馬鹿と言われてもよいので、今は私は内柴を信じたい……」と何故いわないのか、とTVに向かって言ったことがある。
というのも、私も高校時代に柔道部に在籍していたが、柔道部関係の人間は女性に対して大変おくてであり、女性をナンパするようなタイプの人間はほとんどいなかった。特に田舎の柔道部では。斉藤君、山下泰裕君などを見ていると、彼らは女性を誘うことなどは苦手としているとしか思えない。山下君などは、女性をデートに誘うなどは柔道の試合以上に緊張し、決死の覚悟なしでは無理と見た。
確かに、海外では柔道でセクハラ問題が起こってきていることは噂(うわさ)できいたことがある。しかし、日本では昔は女性が苦手という輩(やから)が多いのが柔道部員であった。
私は内柴君の事件のときには、「信じられない」が最初の一言であった。
しかし事実ならば許しがたい行為であり、被害者サイドに立つことは言うまでもないが、当初は私は信じられなかった。そこで、事件直後で判決前であったため、斉藤君に一言疑問を呈したのである。

 
最後に、1985年の山下君と斉藤君の試合をYouTubeで五度ほど見直してみた。最初に見たとき、これは「スリップ」と言った。今、見直しても、斉藤君の狙いは立派であったが、山下君が自分で技をかけて転んだスリップと思う。ボクシングでもスリップはダウンとは見なさない。その後、山下君の攻めが始まる。今の柔道界では、あの時点で斉藤君に指導が入っていたであろう。そこで山下君の勝ちとなる。勿論、山下君が後半攻めていなければ斉藤君の判定勝ちであったであろう。後半、斉藤君が何故攻められなかったのか。技術面も含めて、それ以外も含めて、そこに格闘技や柔道の奥深さがあるのではなかろうか。

だが、もし審判に見る目がなければ、斉藤君が技ありレベルを得て、斉藤君の勝ちであったかもしれない。ひどい審判となると一本さえコールしていたかもしれない。
柔道の選手ばかりではなく、立派は審判を養成する必要性を感じた。

 

ただ、どちらが幸せなのであろうか。山下打倒という目標を持ち、ボロボロになるまで戦えた斉藤君と、試合中は勿論、それ以外でも常に周囲の目を気にせねばならぬ神話化された山下君と。出来事・時代の最中ならば山下君の立場に憧れる。しかし、私も還暦をこえ、かなり年をとった。こうした年齢になると、燃える物があり続けた斉藤君の方が幸せだったかもしれないと思う。燃え続けられる目標があり続けたのであるから。燃えるような目標を持ち続けられる有り難さは、年を取って、振り返ってみて初めて分かるものかもしれない。そういう意味で斉藤君は幸せであったかもしれない。

ただ、残念なのは斉藤二世を育てられなかったことである。力量ではない。彼の弟子は鈴木君、石井君、内柴君……と何人も金メダルをとっている。私が言うのは、実直さ、礼儀正しさを備えた上での強さである。斉藤君のような性格をした柔道家のことである。

 

 
【斉藤君逝去に際してTwitterへの記載】(2015年1月20日掲載。Twitter番号14-012-1→15-012-1のミス)

Twitter14-012-1.追悼。斉藤仁、2015年1月20日死去(54歳) 1984年ロスオリンピックのときの君は圧巻であった。 1988年ソウルオリンピックのときの君は、満身創痍で怪我との戦いであったが、勝利した。でもオリンピックで二度金メダルの君は、全日本では一度しか優勝できなかった。

14-012-2。本来ならば、君は柔道界の英雄として長期君臨できたであろう。だが、山下君がいた。もし山下君がいなかったならば…。否、山下君がいたから、君があったのだ。それは君が一番よく知っている。 確か、君をテレビでみた最後のときに、私は君に言った。

14-012-3。「私(斉藤)は、それでも内柴を信じたい」と何故言わないのか、と。 いや、君の方が正しかったのだろう。最高裁のその後の決定をみれば。君は苦しかったであろう。  私よりも十年ほど若い君の死を前に、私もなすべきことをしなければならない。この世から戦争をなくすことを!

 

【資料】
①斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 – 2015年1月20日)は、日本の元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。

②山下君と斉藤君の伝説の一戦(1985年)
https://www.youtube.com/watch?v=zDYq71o7mgA