《2015年8月22日追加記述》
私は、各競技の選手は選手間同士の争いの前に、他のスポーツと争っていることを忘れてはならない、ということを昔から何度も言い続けてきている。要するに、野球ならば野球選手個人の争いの前に、チーム同士が争っているのであり、その前に野球とサッカー、相撲、柔道……が争っているのである。そのことを何度も言い続けてきた。
2012年のロンドンオリンピックでも同様であった。
そのことは、昨年のFacebookにも記している。拙著「ロンドンオリンピック女子柔道での、私の言動の言い訳」(2014年4月14日)参照。{公式Blogでは「夢か16……」に収録している。}同Blogから必要箇所を引用すれば以下となる。
《……④柔道で幾ら勝っても、最後まで真剣に争っていないと、柔道そのものがオリンピックからなくなる。また、柔道全体のことを考えて試合しないならば同様のことになるであろう。勝ち負け以前の問題である。キックボクシングやプロボウリングを見るがよい。最近ではプロレスを。あるいは幾分、ボクシングもそうなりつつある。柔道も1968年のメキシコオリンピックでは五輪から外されていた。よって、②の意味を勘違いすると大変なことになるであろう。ソフトボウルの上野の一時の失望を思い出すがよい。……》
すると、オリンピックの翌年(2013年)に「ロシア・サンクトペテルブルクで5月29日に開かれた国際オリンピック(IOC)理事会で、2020年夏季五輪での採用候補8競技のうち、レスリング、野球・ソフトボール、スカッシュの三つを最終候補に残」すという、私が危惧した事件が起きた。そして2015年6月からは、「追加種目に野球・ソフト、空手、相撲など26団体が応募」し、熾烈(しれつ)な争いが行われている。
これらを参考にして、昨年記した書込No.14-022。『夢か誠か――女子レスリング』を読んでいただきたい。
書込No.14-022。『夢か誠か――女子レスリング』《2014年4月14日記述》
ロンドンオリンピックでは、私にとって不可思議なことが多かった。当初、室伏選手と女子レスリング以外は見ないとしていたが、この二つで不自然なことがあった。女子レスリングについては心当たりがないため、女子レスリングの思い出のみを記す。
(1)格闘技との出会い。
田舎のため、我が家のアンテナの関係で、日本プロレスは見られなかった。中学三年の頃(1967年)、我が家でも見られるチャンネルで国際プロレスという団体の放送が始まった。ここから、私の格闘技熱が高まる。柔道か空手をしたくなり、高校入学後柔道部に入る。
腕力は元来強く、全盛期の頃は家での自主トレも含めると、分割合計で、腕立千回、腹筋三百回、お寺の階段をウサギ跳びで二十回登り、他にスクワットなどをこなした。体は柔らかくブリッジは顎(あご)までついた。
ただ、社会科学系クラブとの掛け持ちや〝田舎の〟受験校のための勉強もあり、三頭は追えず、やむなく柔道部を退部した。
先の国際プロレスにアニマル浜口という選手がいた。時が過ぎ、1990年代前半頃、この浜口選手の娘(京子)がレスリングを始めた。その頃から彼女に注目をし、96年全日本選手権70kg級優勝、97年世界選手権優勝等は全て知っていた。
浜口親子などが、女子レスリングをオリンピックの正式種目にする運動を起こしてからは、陰ながら応援した。
(2)悲運の王者。
浜口京子は、1997年から2003年まで、2000年を除き、毎年世界チャンピオンであった。しかし、2004年女子レスリングがオリンピック正式種目となると同時に、チャンピオンから遠ざかる。オリンピックを勝ち取るや、金メダルとは無縁となる。これが人生かもしれない。
私は浜口京子を見るたびに、プロ野球の野茂投手と重なって見えることがある。日本のプロ野球の水準の高さをアメリカに認知させたのは野茂君であったと思う。日本で実績があったにも拘(かか)わらず、野茂君の一年目の年俸は980万円であり、まさに一からのスタートであった。その野茂君の活躍もあり、イチロー・松井・松坂・ダルビッシュ・田中等は、初年度から高収入を得る。野茂君はアメリカでブームを巻き起こしたが、彼には波乱万丈という語がついて回ったように思えた。私は野茂君をよく知らないが、彼を見ているといぶし銀という印象を受けた。
浜口京子は野茂君と異なり、いぶし銀という印象はなかったが、レスリング好き、特に女子レスリングがオリンピック正式種目となった時の彼女の笑顔を覚えている。
(3)その後のレスリング。
女子レスリングがオリンピック正式種目になるのを応援していたこともあり、オリンピックでの女子レスリングはかかさずに見た。こうして、吉田沙保里とか伊調姉妹なども知った。また、彼女らの共同練習を見て、すがすがしさを感じた。
女子レスリングの中で、特に浜口に興味を示したのは、アニマル浜口の時代からの腐れ縁であり、浜口京子の美貌のせいではない。美貌?云々(うんぬん)は福原愛で懲りている。
ただ、後に知ったが、吉田沙保里の父・栄勝氏はプロレスラー長州力の大学(専大レスリング部)一年後輩だそうである。長州力がプロレスに入りたての時も覚えている。新日本プロレスを見にいった時、試合前に山本小鉄氏から、受け身の取り方で相当厳しい指導を受けていたのをじっくり見たからである。彼は、その頃、吉田光雄と名乗っていた。
(4)今後。
私は諸事情で、今しばらく、全てのスポーツは見まいと考えている。女子レスリングも例外ではない。だが、長年の腐れ縁で一つだけ書かせてもらう。
女子レスリングは、もう金メダルだけを狙えば良いという時代ではなくなっている。女子レスリングの存亡(隆盛)と金メダルの両方を狙う段階になっている。
再度記すが、山下泰裕氏のモスクワオリンピック不参加時の涙を思い出すがよい。オリンピックもいずれリストラ時代か男女同一種目原則が崩れる時が来る。(新体操・シンクロ・バトミントンは女子だけである。よって、その逆が再度起こる時が来る)。
それどころか、女子レスリングがオリンピックに残れるかどうかではなく、その存亡自体が問われるかもしれない。キックボクシングやプロボウラーを思い出せばよい。
スポーツはそのスポーツの中で争っているだけではない。他のスポーツとも争っている。そういう意味でドーピングなどは最低である。競技に勝って、自分が打ち込んだスポーツが滅亡することさえあろう。
男子サッカーは優勝のみではなく、プロ野球とも争っていた時期があった。レスリングは柔道・空手・合気道・ボクシング・テコンドー・少林寺拳法等々との争いのみではなく、女子レスリングはソフトボール・野球・バスケットボール・バトミントン・卓球等々とも争っている。
試合に勝っても、その争いに負けた時、それは今、キックボクシング・プロボウラーの世界チャンピオンになるのと同様である。
なお、これは企業間の争いや経済にも適用される理論である(某テレビメーカーが販売競争に勝ってもPC等にTV自体が駆逐されれば意味がない。映画のように。カメラもカメラ業者争いで勝ってもスマホ等に負ければ全て終わりである)。
(5)全スポーツのメダリスト達へ。
メダル、それは汝(なんじ)の努力の賜(たまもの)である。
されど、君たちのコーチ・監督、それに家族や応援団もいた。
勿論(もちろん)、会場を整備するなどの裏方さんもいた。
その前に、君らが打ち込んだ競技を発明した人がいた。
それを血の出る思いで普及させた(いわば)伝道師達がいた。
そして、オリンピックの正式種目にするために汗水流した多くの人がいた。
君らが表彰台でメダルをかけるための努力は想像を絶するものであろう。
だが、彼らがいなかったならば、君らはメダルの前にオリンピックの場にさえいなかった。
最後に、もし造物主?が君らに次のように問うたならば、君らはどう答えるのだろうか。
「汝にメダルを授けよう。その代わりそのスポーツは滅亡させるが、それでもメダルが欲しいか」、と。