先週、TVでふと王貞治さんを見た。王さんがWBC第一回開催前と同様のしかめ面をTVでしているので、当時を思い出し、面白かった。そこで、ついTVに向かい、笑いながら「王さんじゃない」と言うと王さんも横を向きながら笑っていた。本当に懐かしい。だが、王さんも然(さ)る者である。私がいつも、王さんを現役に戻す策略をしているのを多分承知なのか、防波堤をつくってきた。王さんが目配せをすると、時期WBC監督である小久保裕紀氏が登場してきた。 何しろ、かなり前、私は王さんに「王さん、死ぬときはグラウンドで死のうよ」などと非常識なことを言った人間なのだから。
王さんも私も超多忙なため、疲れやストレスその他でTVで会えば常にお互いににっこりは難しい。でも、時々、お互いににっこりと笑うときがある。このときもそうであった。王さんの笑顔を見ると心が安まる。そこで、今回は昨年Facebookに書いた、Facebook書込No.14-012. 『夢か現かー王さん、そして野球界』の再録となる。
ちなみに、野麦峠の旅の道中、松本市の食堂に入るとテレビをつけていた。そのテレビに星野仙一氏が登場していた。星野氏とも、最近はTVでも会話はしないが、お互いに顔をみるだけで、心が安らぐときがある。星野氏も、私もお互いににんまりと笑うときである。会話はなくても、会話を十分した気になる。この星野氏も、その後、TVで見たときには、私が星野氏の現役姿を見たいのを承知しているのか、TVの最後に「さあ、孫にもこのビデオを見せよう」と孫を強調してきた。だが、星野氏はまだ68才のためどうなるかは不明である。
お互いに、やや貧乏な家に生まれた関係で、余計に心が安まるときがある。そう言えば、大昔、私の母が生きていた頃(2012年に93才で死亡)に、星野氏の母親に感心したことがある。星野氏も母親を誇りに思っていたようであった。そこで、私が「母親をトレードしようか」とTVに向かって言うと、TVから身を乗り出して「何を言っているんだ」と言わんばかりに叱られたことがある。勿論、私の方は冗談で言ったのであり、星野氏もそれを承知で冗談で反応したのであるが。
こうした最近の思い出も含めて、昨年Facebookに収録した内容を私のBlogでデータベース化するため、再度、紹介する
書込No.14-012. 『夢か現実かー王さん、そして野球界』(2014年4月11日掲載)
「王さん、最近姿を余り見ないですが、元気ですか。第1回WBCの時は面白かったですね。王さん、あの時は光っていましたよ」と僕がこういうと、多分、王さんならこう返答するんじゃないでしょうか。
「僕が光っていたんじゃないんだ。僕は単なる鏡なんだ。選手が光っていたので、その光が僕という鏡で反射しただけなんだ」、と。
私は、スポーツでは格闘技系であり、玉(球)を扱うスポーツは苦手であり、また余り興味もない。ただし、野球は詳しい。■■さんよりも遥かに詳しい。■■さんについては最後に名前を記す。詳しいは冗談であり、野球も音痴である。最後に記す■■さんの名を明かせば分かるであろう。そんな私に、第一回WBC(World Baseball Classic)の前年頃(2005年頃)、王さんがTVから、私を覗(のぞ)きこむように、いろいろ話をしてこられた。残念ながら会話内容の大半は忘れた。少しだけ覚えているのは以下の内容である。
私と王さんには共通点がある。それは、自由が十分ないということである。小さい頃から聖人君子ならば良いが、小さい頃は悪戯(いたずら)好きな子供であったため、窮屈で仕方がない。また仙人と勘違いされるような生活を強いられることも多い。王さんも同様であろうと言うような話をTVに向かいしたのではないかと思う。確か、王さんはその時にこう言ったように思う。「僕も、そうした物欲はないよ。……」そして最後に「さあ、今日は、これからフェラーリで帰ろう」、と。そこで、私は王さんに言い返した。「フェラーリ、そんな物興味もない。僕は金閣寺(Gold Pavilion)にしか興味がないんだ」、と。王さんは苦笑した。それから、第1回WBCまでずっとおつきあいすることになった。
野球は音痴でも、TVを見ていると、つい口を出すことがある。第1回WBCの時には、王さんに向かって言った。確か、米国戦で、審判が誤審をして日本が不利になった時である。私は「王さん、ここは抗議は簡単にするにとどめ、審判に貸しをつくろう」、と。第一回の世界大会は魔物である。審判に貸しをつくっておくことが命運を左右する予感がしたのである。第一、審判に執拗に抗議しても判定は覆らない。まして第一回大会のため、ビデオ判定云々(うんぬん)は導入されていなかったはずである。勿論、私が言わなくても、王さんの性格から考えれば、当時の如く(必要な抗議はされても)紳士的対応をされたであろう。私にはその貸しも、後に帰ってきたように思われた。それが米国人の性格、否(いな)、人間というものであろう。
野球は音痴であるが、屋外では兎(と)も角、家でTVを見ているとアルコールの勢いなどでついいろいろ喋ってしまうことがある。北京オリンピックの星野監督の時も同様であった。予選か何かでダブルスチールか何か《多分、スクイズだったと思う》を言うと、実際に実行され、星野氏が天の声が聞こえたと言われていた。また、北京オリンピックにはメンバーの中に(当時絶不調であった)上原を入れてほしいと言った。すると上原がメンバーの中に入った。勿論、これは星野監督が事前に考えていたことと私の考えが一致しただけであろう。
第2回WBC監督については、私は王さんが当然良いと考えていた。何故ならば第一回の優勝監督であり、2008年迄現役監督であり、おまけにWBC第二回大会時(2009年)はソフトバンク監督を辞めた後でフリーなため選手全体に対して公平になれる。だが、体調問題で、私の夢は叶(かな)わなかった。
王さん以外の監督となると、私は沈黙とした。何故ならば、野球音痴でも野球界の人間とは誰とも友好関係にあったか、そう感じていたからである。星野氏は、同一県人の関係で星野氏・松岡氏(倉敷商業)、平松氏(岡山商業)と知っていた。野村さんはTVで何度も対話しており、原君は好青年としか思っていない。その他でも、衣笠さんにも愛着があり、村田兆治氏も引退後もすごいの一語である。また、古田君の如く〝野球界全体のため〟という姿勢には感心し、野茂君のチャレンジ精神にも感嘆し、(ワクチン普及貢献)和田君、(車椅子貢献)赤星君には敬意を表している。また金田さんも国民栄誉賞受賞しても良いのでは、などとも思っている。(国民栄誉賞については、受け取った人をさして適格でないと言ったことはない。ただ、現役選手などの選手生命を縮める関係で、受ける人間の立場から苦言を呈したことはある。それ以外では、大鵬・長島氏などは生前中にと言った程度でしかない。)イチロー君については、拙著『日本のフィクサー〝ME〟』(現時点では未出版)にふれているため省略する(王さんについても記していることは言うまでもない)。その他、関学後輩田口君が関学野球部で指導してくれたら(関学サッカー部は加茂さんが監督であり、関学バレー部は大松博文さんが出ており)、早大後輩桑田君が早大野球部の指導をしてくれたらなどと思うことがよくある。その他、工藤君、張本さん……書けばきりがない。
そこで第二回WBCで王さんが辞退した以上、沈黙を貫いた次第である。更に、いずれ記す柔道・その他のスポーツ関係でのTVを通じてのトラブル続きから、野球はこの頃から一切見なくなった。再度記すが、野球選手には、好感を持つ人間が多く、嫌いな選手は現在まではいない。
こういう事情でWBC第三回も見なかった。しかし、山本監督に人選で二つだけ言ってみたが、その声は届かなかったようである。「イチロー、ダルビッシュなどは言うまでもないが、上原君と松井君にも是非声を掛けて」、と。他の海外組に関しては、私が言わなくても、打診されよう。しかし、この二人には声をかけ忘れる気がしたからである。何故ならば、上原君はこの頃、不調であった。松井君は去就が注目される状況にあった。だからこそ、この二人に声を掛けてほしいと言ったのである。特に松井君は、その頃、去就が注目されていたため、WBCで大活躍すれば、大CMとなり、メジャーから膨大なオファーが出てくる可能性があった。日本球界も血眼となるであろう。それだけに、彼がWBCに参加すれば死にもの狂いで活躍すると思った。彼の選手生命はWBCにかかっていたと言っても過言ではなかった。万一、彼が十分活躍できなかったとしても、日本ファンへの贈り物になるであろう。彼はWBCに過去参加したことがなかったからである。しかし、死にものぐるいの人間の力は強く、彼がWBCに参加していたならば大活躍していたと、私は今でも思っている。
なお、松井君が巨人の臨時コーチになった時に、島岡吉郎元明治大学監督を思い出し、原監督に「松井君に球拾いをさせろ」と言った。星野監督が学生時代にペナルティで便所掃除を命じられたがさぼったことがあったそうである。その時に、島岡監督自身が便所掃除をしていたとのことである。それを見て星野氏は……となった。もし、臨時コーチ松井君が球拾いをすれば、選手は気合いが入ったであろう。同時に野球という原点に立ち戻ったであろう、と素人の私は思ったので言ってみた。ちなみに、私は小学校などの教育では「まず便所掃除から始めさせろ」を持論としている。松井君に球拾いなどと言うと、王さんに叱られそうである。しかし、私の野球知識は■■さんより少し上程度でしかない。松井君は、私の意図を見抜き、大変機嫌が良かったようであり、私の方も釣られて喜んだ。
最後に■■さんの名前を記す。黒柳徹子である。金田正一さんが、徹子の部屋に出た時の逸話がある。
金田さん、「国鉄(当時スワローズ)の金田です」。徹子さん、「ところで、どちらの駅にお勤めですか」。
古葉監督だったと思うが、徹子の部屋に出た時に、徹子さんが「ここはバンドのサインというのは分かるのですが、でも、どうしてこの場面でホームランのサインを出さないのかしら、と思うことがよくあるんですが」。古葉監督《ホームランのサインを出して、ホームランを打てるくらいならば監督は苦労しないよ》となるであろう。
追記。最近、TVのスポーツ関係でトラブル続きのため、原則としてテレビでスポーツを見るのは中止・休止中である。なお、ロンドンオリンピックの女子柔道の際の、私の言動は私の言動ではない。信じられないかもしれないが催眠?である。その証拠としてはTwitter 14-15-2と14-16-1~5番台参照。では、何故催眠を掛けられたかの分析、催眠なき時の私の見解などを、後日記す予定でいる。ただし、膨大な仕事・雑務があり、Facebookだけでも相当書かねばならないことがあり、できる限り早い内にとは思っているが、いつ書けるかは不明である。
スポーツ関連では、①私が何かを言ったと勘違いさせ、選手・監督を私に対して怒らせ、その勢いで活躍させる手口、②催眠型で何か言わされ、そのため、そのスポーツを最後まで見させられる手口、③私を挑発すると大成するというジンクスからの挑発などの被害に遭って弱っている。これらも追々(おいおい)、各スポーツなどとの関連で取り上げていく。更に、④意味不明な形で選手と私との軋轢(あつれき)をもたらす策動被害にも遭(あ)っている。