日本のフィクサーME・続編メモ:(三)―5・私の訪中の真相―菅直人・野田佳彦、温家宝ラインでは?

このエントリーをはてなブックマークに追加

日本のフィクサーME・続編メモ:(三)―5・私の訪中の真相―菅直人・野田佳彦、温家宝ラインでは?

《全箇所共通注意事項》

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している。
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。

※今回から、以下本文の青字はクリックすれば、ウィキペディア等にリンク。

(If you clicks a blue character,a blue character will link to Wikipedia etc.) 

日本のフィクサーME・続編メモ:(三)―5・私の訪中の真相―菅直人・野田佳彦、温家宝ラインでは?

ちなみに、この中国の旅(2013年5月)は安かった。
料金は六泊七日、蘇州、杭州、上海周遊で、飛行機代、宿代、現地移動費、世界遺産を含む施設入場料、現地での全食事付き、クルーズ三回で、基本料金二万九千円、燃料チャージ一約一万三千円、それに一人部屋追加料金や雑費を含めて合計で七万円台、保険代含めて約八万円であった。
しかし、本来は、料金はこれとほぼ同額で、日程も、一日目と最後の日が有効活用できるということで別のツアー会社となっていた。
安倍氏の忖度(そんたく)で安くなったのでは一切ない。
何故ならば、この旅は野田佳彦政権下で実施することになっていたからである。
母の死と重なり、ずれて安倍政権となったが、これから述べるように妨害だらけであった。
この旅に関する問題を二点記す。(詳細は『日本のフィクサーME・パート2』に掲載予定。)

 一つは、私のフィールドワーク類は何人かのCMになるせいか、1994年から今日まで一貫して安いのである。宿代もである。後日、具体的数値などを掲載する。ただし、2013年からコストパフォーマンスが大きく低下している。
例えば、水俣から長崎の旅では、1996年と2016年を比較すれば分かる。宿代と食事代合計はほぼ同一であるが、前者は五泊六日、後者は四泊五日のため、1996年の方がはるかに安い。更に、前者(1996年)は秒単位で早朝から深夜までフル活動できたが、後者(2016年)は様々なことで相当何もしない時間が増えていた(催眠型での朝や夜の独り言始め相当ロスしている。)
また、前者は、水俣ならば湯の児(こ)温泉が見渡せる大きな部屋に一人で泊めてもらい、部屋から三脚で撮影ができた。しかも、珍しい船が港には止まっていた。長崎でも、原爆資料館のすぐ前で、目的の長崎平和祈念像のあるところまで歩いていけるホテルであった。しかも、部屋は広く、部屋から長崎の夜景が見渡せ、部屋の中から撮影ができた。天草では豪華な料理三昧であった。(1996年は紅葉シーズンでの予約なし、当日訪問で、いずれも泊めてもらっている。ただし松江のみ予約。)
☆☆☆

(参考)浜田隆政写真物語・長崎原爆:アドレス
http://h-takamasa.com/tamashi/program7.html

☆☆☆

 他のフィールドワークも、次回から紹介するように、安倍政権以前の方がコストパフォーマンスが高かったのである。


もう一点は、中国の旅は本来2012年11月か12月に行くことになっていた。
温家宝首相(中国)、野田佳彦総理(日本)、旅行会社クラブツーリズム(だと思うが)を予定。
ところが、私の母の危篤(きとく)、11月中旬の死亡などで延期となり、安倍政権下になった。
この頃の安倍政権下では当然妨害だらけであった。
私の中国行きは阪急交通公社で結局5月8日からと変更になったが、当初予定していたクラブツーリズムではもう少し早かった。詳細な期日は忘れたが。
この直前の4月22日に、麻生太郎氏が靖国参拝をやり、中国は更に反日感情が高まった。
最悪の条件での訪中となる。
当初の予定通りに、クラブツーリズムで行っていた場合には、ひょっとすると麻生氏靖国参拝の数日後になっていたかもしれない。

旅行会社も後に述べる不可思議な形でクラブツーリズムから阪急交通公社に変更となる。
当時の、この旅に関しては、阪急よりクラブツーリズムの方が条件が良いということで、両社を比較し、クラブツーリズムとしていたのだが。(そのときの経緯は後日記す。)
もっとも、阪急交通公社などの幹部と私の接点が幾つもあるため、会社には問題ないと思うが?
たまたまこの旅に関しては、の話である。
総論として、安倍政権下では2014年初頭まで妨害があったとしか思えない。

この種の妨害を忖度(そんたく)とは言わず、損蓄(ソンタク)という。


中国の旅には三つの目的があったと思われる。
①私自身の目的は鑑真和上の足跡をおうこと。
②次に、日中接近への橋渡しである(これは『日本のフィクサーME・パート2』で公開予定)。
③野田政権の側からは、2012年9月に尖閣国有化により、中国で反日暴動などが起きており、それを和らげる目的があったのではなかろうか。当初は2012年11月か12月訪中予定だったのだから。
中国の現地観光会社も、尖閣騒動で観光客が激減して弱っており、その対策という狙いがあったのではなかろうか。

もっとも、2013年5月に延期後は②の日中接近ではなく、米中接近のこころみに変更した。
もう一度記すが、当初は2012年9月の尖閣国有化の二か月後の11月か12月訪中予定だったのだから、日中仲直りの橋渡しであったが。
オバマ前大統領との接近の契機となった旅でもあったそれ以前はアメリカよりも中国と親しかった。私の訪米が決まったのも事実上この旅であった。

ともかく、先の事情で伸びたものの、まだ反日感情が高いときに、麻生氏の念押しの靖国参拝であった。なお、2013年12月のソウル・安重根記念碑への旅ではその直後、安倍総理の靖国参拝があった。
ソウルの旅も妨害だらけであった。この旅の前にはカメラ機材の大半が故障や不調で、撮影に大変支障を来した。レンズ三本異常、メインカメラ不調では偶然とは思えない。帰国後にメーカーに持って行くとニコンもタムロンも異常を指摘し、タムロンでは故障といわれ修理に出した。そうした条件下でのソウル撮影である。また、私は従軍慰安婦完全支援者であるが、訪韓前にその逆のCMをやられてもいた。

さらに、訪中からの帰路では某店でトラブルを仕掛けられる。ちなみに、その店は岡田克也民進党前代表の親戚とも縁がゼロではない店である。
岡田氏と私の対立画策だったとまで言えるかどうかは不明であるが、偶然とも思えない。

何があったかは『日本のフィクサーME・パート2』で記述予定。
なお、そのトラブルの仕掛け人はその店の人間ではないとしか思えなかった。対象者は店の部外者としか思えず、対象者の名前をメモして残し、一部の人に見せている。こうした策略への対抗策の意味も兼ねてである。


ちなみに、『日本のフィクサーME』で既に記したように、菅直人政権下で、日中の橋渡しとしてテレビを通じてではあるが温家宝氏に紹介され、尖閣列島に関する提言をしている。この提言は2013年5月の訪中で一部変化し(ベターな形にし)たものの骨格は同一である。
さらに、温家宝首相からと思うが、当時国家副主席であった習近平氏を紹介され、彼をみてくれ、信用できるだろ」という感じで、テレビでずっと彼の姿を拝見したのを覚えている。習近平国家主席は当時(副主席としての来日時に)気づいていなかったかもしれないが。

当時の胡錦濤国家主席に関しても、今考えれば幾つかの線を強調されてもいた。芹洋子氏とか福原愛氏などをつかって。
芹さんと胡錦濤氏は面識がある。芹さんが歌手として訪中をした頃、当時若かった胡錦濤氏がその世話役だったそうである。
福原愛ちゃんについては次の談話がある。

☆☆☆ウィキペディアより引用☆☆☆
胡錦濤は福原に「あなたは私のことを知らないかもしれないが、私はあなたのことを知っている」と話しかけた
☆☆☆引用終了☆☆☆

こうして、胡錦濤・温家宝体制のときに、菅直人・野田佳彦政権下で私の訪中が進められつつあった。尖閣国有化後は特にそうであった。中国の人の反日感情の緩和というミッションがあったのかもしれない。
ところが政権が変わったため、さらに訪中直前の(麻生氏の)靖国参拝では、米中(オバマ・習近平)接近へとシフトするのは当然である。もっとも、オバマ前大統領、習近平国家主席が会えば言い争うため、私は頭をかかえ、その話をするとケリー米国前国務長官が大笑いをしていた。
私の目的は、国連に変わる(世界連邦を含む)新組織の樹立である。チャーチル、スターリン、ルーズベルト会談と同様に、オバマ大統領(米国)、習近平国家主席(中国)、プーチン大統領(ロシア)を同一テーブルにつかせる必要性があった。当時の訪中にはその目的もあった。これらは日本のフィクサーME・パート2で紹介予定でいる。
尚、菅直人内閣で、菅直人総理と温家宝首相の間に入った話や内容などは、すでに『日本のフィクサーME』(パート1該当版をKindleとkoboにて定価百円で販売中)で紹介している。



◎その後の安倍政権下での流れを要約すれば以下となる。
(1)2013年から開始したフィールドワークに対して妨害だらけであった。
(2)上記が治まったのが2014年春頃からである。
 萩や光市への伊藤博文の足跡に絡めたフィールドワークが効いたのか、2014年4月23日のオバマ大統領訪日が効いたのかは不明である。私は後者だと考えている。
(3)2016年初頭から突然、私への接近に変わる。
(4)ただし、同年5月頃から民進党と私との確執を狙った動きが一部に見えてくる。
(5)そして、2017年初頭前後から再度おかしな対応となる。(2017年1月20日オバマ大統領辞任)


そこで、民進党の蓮舫氏か誰かが、私が安倍氏の忖度(そんたく)の対象となったと勘違いされたように思える言動は無責任極まりない(これらの発言は私とは無関係の発言だったのかもしれない。その場合には特に問題はない)。さらに事実にも反する。
本来、民主党政権の尻拭いであり、同時、後に(続編メモ・二で)述べるが如く、1994年から今日までで、トータルし2013年以降はフィールドワーク条件が悪化した上に、ホテルで催眠類で喋らされ時間を潰されるのみか、こうした政経関連の裏話まで無料で大半徹夜でさせられ心外でしかない。フィールドワークは本来分単位、秒単位で行動せねば目的が果たせぬことが多いため、尚更妨害されたとしか言えない。(なお、この点については安倍氏が指揮したとは一言も言っていない。)
更に、時には、私の意思に反したことを強要されてもいる。その場合には賃金・出張旅費・手当の支給が不可欠となるが、それらもなく強要されることがあった。よって、私への忖度類とは事実に反している。


他にも言いたいことがあるため、国会で証言をさせてくれとなる。
国会の場で白黒をつけることが、私の希望である。
2016年今月の歌・日本の如く、半拷問強要は大変な犯罪のため、他の類似事例も含めて(全会一致というハードルがあるが)国政調査権発動を求める。これに国が絡んでいた場合には尚更である。証人喚問のレベルではない。次週から述べる如く、強制・奴隷労働と同一の、大変な損害を被っていることもある。

私自身は国会の場で白黒をつけたいが一貫した本音である。
本来ならば、旅費・出張手当・賃金支給の(大義ある)仕事である。それが、私の実費であり、後に述べるように、1994年以降からすれば、2013年以降はコストパフォーマンスが低下し、その上に諸挑発(トレイ故障、風呂故障…)をうけ、さらに徹夜で喋り続けさせられ、時間ロスと、最後は政治経済報告(私が何をしていたか)を拷問で強要され喋らされたとしか思えなかった。

なお、こうした問題は、先の如く2014年から2016年前半まで相当穏やかになった。しかし、2016年5月頃から別の形の挑発が開始する。


話を元に戻す。
閣僚人事や政党人事に私の影響が昔あった話(メモ―三・3で紹介)を聞いていて、布袋さんが尋ねた。

布袋(ほてい):共産党の小池晃氏が書記局長になったのもボンの助言かい。

ボン:僕は、原則として、相手が求めてこないとアドバイスや助言はしない。
だから公明党とか共産党などの人事には一度も口をだしたことがない。
何故ならば、両党ともそうしたことは嫌がるから。

ただし、「小池晃氏は頭が切れる」と言ったことは昔何度もある。
それはどの党でも類似の話をしている。
自民党時代の亀井静香氏とは芸術の問題で話し(馬)があった。
亀井静氏はすばらしい絵を描き、私はカメラ技術の研究をしているという関係である。
また、小泉政権下での谷垣禎一さんには自転車という趣味で興味をもっていた。
ただ、それだけのことでしかない。
全く、助言も、進言も一切していない。
また、助言しても無視されるだろう。

それとね、僕がHPを運営している関係で、HPの作り方の研究として、自民党の河野太郎氏のHPからコンセプトを、小泉進次郎君からFace bookの行(ぎょう)下げなどやAmebaの使い方、HP読者数の獲得分析…などを、民進党の菅直人氏のHPを見て、菅さんの「今日の一言」をもじり、気が向けば戯言(たわごと)を作成、共産党の小池氏のHPから、画像容量研究と新着Newsの作成の作り方を参考にしたことがある。
それだけだ。

ただ、菅直人政権下で一度だけ進言した方がよいことがあったけれど、し損ねたのが悔いが残っている。


明神:ボンちゃんサー、どういうこと。
人事に関するアドバイスは嫌なの。それとも興味があるのかい。

ボン:はっきり言えば、余り好きではないし、すべきでもないと思う。
菅直人総理のときの一例だけは、大義の問題で、すべきかどうか迷ったけれど結局しなかった。

この件は後日話すよ。
それ以外は人事に口を出すべきではないと思っている。

ともかく僕の立場から言ってよいことを明白にしておく。
本来、アドバイスをしても良いのは、民主主義の枠問題と政策関連だけだ。
例えば、交通事故を防ぐにはどうしたらよいか、などの諮問類だけだ。

政治・経済でも、今の年金制度では国民年金だけの人は確実に生活が不可能だ。
年60万円程度で生活ができるか。
しかも、そうした人からも消費税を取り、電気代も上がり、そうした人が絡むものほど物価もあがり、わずかな金を貯金していても利子もつかない。
現在、こうした人が不満の声をあげていないのが不思議だ。
いや、絶対にあげている。

マスコミ操作で取り上げていないだけだと思う。
僕の課題は、こういう問題にどう対応すべきかだ。
こうしたことは全政党に平等に諮問しても問題ない。
どの政党でも、どの政治家でも、彼らが動き、交通事故死者が減り、生涯一生懸命働いても老後生活ができなくなる人がいなくなるのだから。

特に、国民年金などは積立て方式か賦課方式かではなく、掛金方式自体をやめるべきだと言い続けている。


布袋:掛金方式をやめてどう徴収するのだ。

ボン:当然、累進課税を強化した上で、所得税の中に含めて徴収すべきだ。
そして、給付は資産や、収入が一定以下の人に限定して支給すべきだ。
当然、国民年金だけで生きていけるようにすべきだ。
その場合には生活保護は死滅に向かうと思う。
同時に、社会保険庁どころか、国民年金機構も不必要になる。
家で何度も言ったけれど、どの政党も相手にしない。

ついこの間まで、「我が党は最低保障年金は幾らにする」と言っていた政党がほとんどだったけれどね。
政治家、否(いな)、政治家という名誉職に憧れている人間にはもううんざりしている。
政争に明け暮れているだけだ。
その上で、僕にいちゃもんをつけてくるのだから。

「おまえら、自分のエゴに取り付かれすぎている」、と何度も怒ったよ。
「国民がどうだこうだと言いながら、実際は自分の出世や知名度や名誉欲の権化(ごんげ)じゃないか」とね。
「一度、職業としての政治を考えろ」となる。

ましてや、貧困者からも、政党助成金をとって。
松下政経塾が悪いとは言わないけれど、そうした学校以上に、(近代経済学者の)マーシャルが言ったのと類似するけれど、政治家になるならばまず貧民街に行けというよりも、貧民街へ住めと言いたい。
ろくでもな政治家が多くて、2017年1月21日以降は政治経済から手を引くと宣言していた。
しかし、降りかかる火の粉を払うためやむを得ず、今回『求め続けて』を休止して、この『日本のフィクサーME・続編メモ』を書いているのだ。

経済でも幾つも言いたいことがあるけれど、今回はやめておこう。ただ、今の経済政策と舵(かじ)取りでは、日本のお家芸の一つであったパソコンも含めての電器産業は危険だ。そのことだけを言っておこう。


布袋:確かに、シャープが典型だね。それに、東芝などの問題、富士通、NECも気になるね。
精密業でもニコンも厳しい。タムロンやキャノンも安全ではない。ソニーですらかつての勢いがない。
パソコンも、今や、ほとんど海外が中心になりつつある。
レノボ、アップル、デル、エーサス、ヒューレットパッカードと。
昔ならばノートは東芝が世界を席巻(せっけん)し、デスクトップでもNEC、富士通を中心に日本勢の群雄割拠だった。

ボン:どこに問題があったかは、いずれ論じるよ。


はかせ:今の政権の誰かさんは、どこかの首脳と一緒だよね。
疑心暗鬼。猜疑(さいぎ)心に凝り固まって。
どこかの首脳と仲が悪いのに、そっくりとなってきたね。
お互いにいがみあっているのに、そこだけ一緒だね。

ボン:僕は現政権とは無関係。
テレビもしばらくみない。
今回の一連の文書作成が終わったら、安倍総理の『あ』の字も言わない。
言いたくないけれど、今の政権は相手にすると疲れる。
掃除や洗濯の方がまだ良い。

ママさん:先生、ではどうして、今の政権の相手をされたの。

ボン:それは僕ではなく、相手に聞いてほしい。
分かることは、続編メモ2(多分来週掲載)で話すように、2013年は妨害だらけ、2014年(オバマ大統領の訪日の頃)から15年(私の訪米)は様子見か何かでやや静寂、2016年から相手が一方的に近づいてきた。
そして後半からは逆に一方的に火の粉を振りかけてきたので、火の粉を振り払っているだけだ。

ただ、2016年前半から併行して、僕と蓮舫さんか誰かと対立させる罠(わな)とか挑発をしてきたように感じた。
現在は、蓮舫さんとも、現政権とも、基本はいずれともノータッチで、関わり合いを持ちたくない。
何故(なぜ)ならば、私は2017年1月21日以降は、政治経済から手を引いて、芸術・HP作成・起業に没頭したいと宣言していたのだから。
それも2016年の中頃か後半から。
だから、その通りにしたい。
実際に、そうでないと僕は餓死する。
本年起こった話は次回としよう。
もう午前5時だ。
寝ないと体が持たないよ。



午前5時過ぎに居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)をでて、ホテルに戻ったのが午前6時である。
今から寝ると、チェックアウト期限時間に起きる自信がないため徹夜となった。
それでも、幾つかの原稿などに目を通していたため、チェックアウトしたのは午前九時頃となっていた。

ホテルをでて、大阪城にある世界連邦平和像撮影にいくことにした。この像の作者は北村西望氏である。
そう、長崎平和祈念像作者である。

森ノ宮駅についたのが10時頃であった。
方向音痴の私が、この日は余り迷うことなく、世界連邦平和像までたどり着けた。
平和像前にたどり着いたのが10時38分であった。
つくと、雨が激しくなった。
撮影が終了したのが11時30分頃である。
撮影は傘をさしての撮影となった。
再び森ノ宮駅に戻ってきたのが12時前である。

世界連邦平和像撮影すると、寄り道をせず、一直線で我が家に帰る予定でいた。徹夜の上に、雨である。晴天青空よりも雨の方が良い写真が撮れることが多いが、徹夜で雨ではうんざりである。

そこで、汽車の中で寝ながら帰ることにした。新快速では混み合って座れないため、快速としていた。

姫路までは新快速の方が早いが姫路からは三時間に一本程度の汽車のため、新幹線でも、新快速でも、快速でも、我が家着は同一時間となることが多い。
そこで、寝ながら帰るため快速電車とした。
電車の中で寝ていると、西明石付近で目が覚めた。
汽車から、窓を見ると、山側の一面を、見たことのない幻想的な雲が覆(おお)っていた。
2013年 2017年3月21日のことである。
明石、加古川界隈(かいわい)の人の一部もこの雲に驚いたのではなかろうか。

なんとも言えない、映画の一場面を思い起こすような雲であった。

もし、黒澤明氏が生きていてこの雲を見たならば、映画『夢』の中でこの場面を使用したいと思うような幻想的な雲であった。

この雲は恰(あたか)も、現在を暗示しているが如(ごと)しであった。
私は、本年・2017年は大変な年になると予言していた。
それも国内外で。
その予告をしてから間もなく、2017年2月13日にキムジョンナム(金正男)氏がマレーシアで暗殺される朴槿恵の逮捕が時間の問題となりつつあった。{実際に、3月30日深夜(31日未明)、朴槿恵(大統領任期:2013年2月25日 – 2017年3月10日)は逮捕される。}

日本国内でも、安倍一強といわれていたのが一変することになるかもしれない。{2017年6月から7月に、それは現実のものとなる}
本年のうちに総理が交代するかもしれない。
それどころか、全く新しい政権が誕生か、その兆しがでてくるかもしれない。
例えば、あくまで例えであるが、三層からなる政権である。
第一層が小泉純一郎・菅直人・細川護熙氏(反原発連合)、第二層が小池百合子野田聖子枝野幸男、第三層が小泉進次郎君などである。河野太郎君や公明党なども参加してくるかもしれない。そうした激震すら起こらないとは言えない状況になりつつある。
勿論、それが良いか・否かは不明である。
ありうるかどうかも不明である。

安倍政権が継続してすら、大きな変革が日本で起こり始めるかもしれない。
だが、私が予告した大変動とは、こうした次元ではない。
ベルリンの壁崩壊とかソ連崩壊に匹敵する事件である(これらの事件はいずれも精神疾患で記憶喪失に近いときのため、私はほとんど知らないのであるが)。

北朝鮮に絡む紛争・戦争が今現実のものに近づきつつある。
だが、北朝鮮関連の紛争・戦争以外にも、幾つもの事項が起こる可能性がある。
安倍内閣支持率が再度下がるか、逆に元に戻るか、そうした些細(ささい)な次元ではないことが、今、起こりつつある。

2017年1月20日のオバマ米国大統領の辞任と同時に政治経済から手を引き、芸術・随筆などの作品作りに没頭すると言っていた私が、再度、この「日本のフィクサーME」続編メモ(日本のフィクサーME・パート4に該当)を記す羽目となったのは、こうした世界の動きから、私を動かすよう誰かが仕組んだのかもしれない。
それが降りかかる火の粉の形態を取った導火線だったのかもしれない。
誰かが、朝鮮での戦争を防止させるため、私を駆り立てたのかもしれない。
ともかく、(私が意識を取り戻した)1994年以降、もっとも世界が流動する局面となりつつある。

この日(3月21日)の雲はそれを予言していたのかもしれない。
今のままいけば、1994年以降では、もっとも激しい変化が国内外で起ころうとしている。
もし、アメリカなどが、こうした状態を想像しているならば、稲田朋美大臣の罷免は時間の問題であろう。{実際、2017年7月に稲田大臣辞任となる。私は稲田氏の解任は本年・2017年2月頃から予測していた。だから、昨年の真珠湾訪問翌日の靖国参拝をしたことへの疑問を呈していたが、2月頃から稲田批判を一切やめたのである。私のせいと誤解されたならば困るため。この話は次回記す予定でいる。}



ところで、この雲を見るや、播州赤穂に突如寄ることになった。
切符は青春18のため、同一料金である。
姫路から山陽本線、次に赤穂線に乗り換え播州赤穂に着く。
赤穂についたのが14時48分、播州赤穂城(あこうじょう)界隈の大石神社に着いたのが15時10分頃である。
着いたときには幻想的な雲はほとんど消えうせていた。
しかし、本の少し、私が見た雲が残っていた。
そのときに撮影した写真を一枚のみ下記に掲載する。

風雲急を告げる{中国語「風雲告急」}の如く雲を見た。しかし、私は先の如く「風雲急を告げる」状態を望んではいない。すると、あの雲は「赤穂浪士の討ち入り」の如く形で何かが起こることを意味していたのであろうか。
私には何も分からない。
だが、何かが起ころうとしていることだけは、ヘレンケラーアンサリバンが登場する日に感じた予感と同様の予感として、感じている。
それは何なのか、私にも分からない。
ただ、それは安倍内閣云々(うんぬん)というような次元ではないであろう。

(一度クリックでパソコン画面大、二度クリックで巨大写真)

 

幻想的な雲が残る播州赤穂城付近

上記関連写真は「写真物語ブログ・直近の写真」の「播州赤穂:2017/3/21:直近の写真:怪奇な雲に魅せられて播州赤穂へ」

http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?product=1902


次回の予告など。

 2016年5月頃の蓮舫氏の件が事実ならば、彼女は罠にはまったのである。それらは次回記す。

ただし、蓮舫氏の国籍問題が話題になったが、それとは無関係に、私は多重国籍を合法化せよ論者である。
同時に、橋下徹君といっとき関係が余りよくない時期があったが、そのときですら、彼の出自を第三者がかってに記したことには憤った。議員の肖像権は制限されるが、プライバシー権は議員といえども保持している重要な権利である。しかも、出自問題は橋下君だけに限定されず、議員ではない彼の家族や親戚にまで及ぶため、橋下君の出自を勝手に書いたマスコミには憤りを感じていた。

対立は対立で、民主主義枠は別問題である。
それが私の立場である。


次回は、日本のフィクサーME・続編メモ・二に戻る。
時間設定は当初の予定を変更し、2017年5月1日から2日と7月14日の一部となる。
同時に、2017年8月11日頃までも、一部解説として付け加える予定でいる。