日本のフィクサーME・続編メモ:四・3・孝明天皇は病死か暗殺か。明治天皇替え玉説って?そして、歴史とは何か。

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日本のフィクサーME・続編メモ:四・3・孝明天皇は病死か暗殺か。明治天皇替え玉説って?そして、歴史とは何か。

《全箇所共通注意事項》

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している。
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を10パーセント程度いれている。どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。

《◇―3》孝明天皇は病死か暗殺か。明治天皇替え玉説って?そして、歴史とは何か。


☆☆☆(前回の最後の箇所)☆☆☆
布袋(ほてい):
それで安重根(アンジュングン)の言っていることは事実だったの。

はかせ:
もし、そうならば、歴史は逆になるよ。
伊藤博文が孝明天皇を暗殺し、それに憤った安重根が天皇の仇(あだ)を討った、と。
まさに赤穂浪士と同様だね。
大石内蔵助などを美化しているのならば、安重根に対しても同様にしなくっちゃね。
ボンさん、それで、それは事実なの。
☆☆☆(前回の最後の箇所終了)☆☆☆


明神(みょうじん):ボンちゃんサー、伊藤博文が孝明天皇を暗殺し、それで安重根が伊藤博文に天誅(てんちゅう)を加えたというのは本当なの。

ボン:先に言ったように、調査を開始したのが2017年6月18日だ。だから、まだ何にも言えないよ。
現時点で、見た資料には、孝明天皇は攘夷(じょうい)論者だったので、海外に門戸をひらこうとする人には邪魔に見えたとのことだ。
大久保利通(おおくぼとしみち・薩摩藩出身)の動機としてはそれらがあげられていた。
岩倉具視(いわくらともみ)も動機としてはその件もあげられていたけれど、それ以外もあるようだ。
明神君、攘夷(じょうい)ってどういう意味か知っている。

明神:ボンちゃんサー、僕を誰だと思っているの。
僕はサー、早大法学部出身だ。
だからサー、稲田防衛大臣の先輩だ。
稲田防衛大臣の先輩だから、凄(すご)いだろ。

布袋:それは凄(すご)い。
岸田外務大臣(早大法卒)と言わずに、稲田防衛大臣をだしてきたところが凄い。
それに、明神君も弁護士だからね。
早大大学院法学研究科もでてたね。

はかせ:いなだちゃん、かわいいね。

ママさん:何を言うとられるの。
相手は大臣よ。

布袋:だから凄(すご)いといっているのだから、その通りに取ればよいのでは。

明神:ともかくサー、幕末期に広まった考えで、夷人(外国人)を攘(はら)う、つまり西欧列強の外国人を実力行使で押しのけようという考えを攘夷というのだ。
それに孝明天皇は、公武合体運動推進で外国人を日本国に受け入れないという信念をもっていたね。
妹の和宮を十四代家茂に嫁がせて幕府の軍事力を頼みにしていたようだ。

ボン:そこで、開国論者や、尊皇派には邪魔になったそうだ。
岩倉具視とか大久保利通などがそれに該当するそうだ。
暗殺手段としては、岩倉具視が、妹の女官堀河紀子を操り、天皇に毒を盛らしたというのだ。

布袋:で、証拠は。

ボン:その資料が不十分で、僕は何も分からないのが実情だ。

明神:ボンちゃんサー、それで、伊藤博文はどうなったの。

ボン:僕もよく分からないのだ。

はかせ:ぼんさんね、それはこういうことですな。
伊藤博文は忍者でしてな、そして、堀河邸の中二階の厠(かわや)に忍び込み、手洗いに立った孝明天皇を床下から刀で刺したのですわ。
伊藤博文が忍び込むに際しては、あらかじめ岩倉具視が厠の番人を買収しておいたとのことですわ。
ようするに、岩倉具視が伊藤博文を手引きしたことになるのですな。

布袋:では僕が続きを教えてあげるよ。
いいかい、ボン、伊藤博文は孝明天皇を暗殺しただけではなく、明治天皇も暗殺し、替え玉をおいたのだ。
これが、俗に言う、明治天皇替え玉説だ。

ボン:それで、証拠は。
今、裁判をやっても、有罪にできるだけの証拠は。

布袋:そんなものが十分あれば、僕は、それを書いて本をだし、ベストセラー作家になっているよ。
弁護士なんかもう廃業している。
もっとも、その話が本当ならばだけどね

ボン:伊藤博文が忍者!
ぼくはね、本当に今ものすごく忙しいんだ。
忍者がでたから、言うのではないけれど、僕はもうこの問題は無視したいんだ。

通説では孝明天皇は単なる病死となっているそうだ。
この問題に決着をつけるには、孝明天皇の遺骨を調べ、毒物がでてくるかどうか調査するしかない。
明治天皇替え玉説の方は、明日香時代以前の天皇の遺骨も調べ、そして今日までの天皇の遺骨のDNA鑑定を連続してするしかないね。

布袋:当然、宮内庁が許可なんかする訳ないね。
僕は、それよりは、地酒の飲み比べの方に興味がある。

ボン:それだけではなく、調べても意味がないことは、前回言ったよね。
現行憲法や皇室典範では、憲法ができたときの天皇からの皇位継承しか書いていないので、それ以前を調べても意味がない。
前回、戦後、「我こそ天皇」と名乗りでて、訴訟をした熊沢寛道の話をしたよね。
当然、裁判所は門前払いだ。
僕にとって意味があるのは憲法一条と四条だけだ。


☆☆☆日本国憲法抜粋☆☆☆
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
……
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
☆☆☆抜粋終了☆☆☆

ようするに、国民統合の象徴としての機能が遂行できるようにシステムが組まれているかどうか。次に、天皇の行為が国事行為に限定されているかどうか。
その二点だけだ。
それ以上は、政治学が専門の僕には無関係だし、無理だ。
可能ならば、安重根がどういう意味で孝明天皇暗殺者として伊藤博文の名をだしたかどうかだけだ。それ以上は、この問題に関わる暇は僕にはない。
歴史学専門家の分野だよ。

布袋:ボン、でも、そういう話に興味を持たない。


ボン:僕はね、意味のないことには興味がないんだ。
あのね、僕には二人の姉がいるだろ。
正確には一人はもう死んでいるけどね。
僕が十八才の頃に、墓で、婆(ばあ)さんが、これが長姉(ちょうし)のお母さんの墓なので拝んであげなさいって言うのだ。
僕はね、何のことか分からず、家に帰ったら母親は生きているんだ。
では、どうして、母親が墓の中に入っているのだろうかな、と不思議に思ったことがあるのだ。
そこで、次姉(じし)に、『婆(ばあ)さんの言っていること、どういう意味』って聞いたら、嫌な顔をして無言だ。
そのときに思ったね。

明神:ボンちゃんサー、何を思ったの。

ボン:ひょっとすると、長姉と僕とは母親が違うのじゃないかと。

布袋:それは大変だ。それで役場かどこかで調べたの。

ボン:僕はね、無駄なことや意味のないことはしない方針なんだ。
だから、その後何も調べず、誰にも何も聞かず、数十年以上過ごした。

明神:ボンちゃんサー、意味のないことってどういう意味。

ボン:もし、僕と長姉とで母親が違った場合に、長姉や長姉の子(甥と姪)との接し方を変えるかどうか。
全く同じだろう。
では調べても時間の無駄だ。
それ以上に、昔も多忙で、そんなことに構っている暇なかった。
まあ、簡単に言えば、右の耳から左の耳に抜けていき、そんなことどうでもいいわ。
それが僕の性格だ。

ママさん:先生、いい性格されとるわね。
甥や姪の人喜んだでしょう。

ボン:いいや、逆。
甥とは十歳違い、姪とは十二歳違い。
だから甥や姪というよりも弟や妹のようなものだ。
そこで、姪など好きなことを言うよ。
少し、そういうことを意識してちょうだいって雰囲気だ。
何故かというと、多少意識して、いろいろちょうだいよという雰囲気だ。
意識してくれば、何かくれるだろうってね。


しかしね、僕は、1988年から30年ほど職業選択の自由を剥奪(はくだつ)され、自宅監禁だ。だから金はない。
でも、僕が作成した膨大な作品がある。
それらが売れ出したら、その資産は長姉の子や次姉の子に平等に行く。
正確には、平等と言っても実質的平等だけどね。
我が家への貢献度の係数をかけて計算しての平等だ。

それに我が家の墓掃除なども平等にいくよ。
相続はプラスの財産のみならず、マイナスの財産も相続するとなるからね。
相続放棄すれば別だけれど。
僕なんか自由の身があれば、とっくの昔に、相続放棄しているよ。
大きな墓の掃除、大きな家の手入れ、田畑、庭、そして村の人間構造とくる。

ようするに、何かを知っても行動などに変化が起こらないときは、特に知ることは意味を持たないということさ。
先の暗殺説も同様と思うよ。

明神:では、ボンちゃんはサー、歴史の謎に興味がないの。


ボン:少しはあるよ。
ペリーなどが浦賀にきたときのことだ。
僕は、そのときの状況に関する学校の授業は嘘(うそ)だと言ったことがある。
いいかい、日本は鎖国で、しかも英語などは英語学校もないし、教師もいない。さらには禁じられたときの方が長い。
するとペリーなどと交渉すると言っても、言葉が通じるかね。
もし、多少英語ができる人がごくわずかいたとしても、その人を現場に連れてくる交通手段がない。
遠方から新幹線や飛行機でとはいかない。

ママさん:先生、なしたらこと言われる。
そんなこと学校で言うたら、授業妨害とか、教師をからかったって怒られるでしょうがね。

ボン:だけど、僕が言っているのが常識だ。
実際に当時の状況を調べると、ジェスチャーで帰れ帰れ、と言ったという記録があった。
言葉ではなく、双方、ジェスチャーだ。
これがペリーが浦賀にきたときの真相だ。
詳細は、僕のHPの下記を見てよ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆浜田隆政公式ブログより抜粋☆☆☆
ペリーが日本に幾(いく)つかの事項を要求した?「ちょっとまって」、と。
日本人で誰か英語が分かる人がいたの?長い鎖国時代が続いていて。
オランダなどは例外国であったが、オランダ語で書かれた『解体新書』ですら翻訳するのにどのくらい大変であったか。
ましてや英語など誰もまともに理解できるはずはなかろう、となるのです。
しかも大急ぎての交渉のときに。英語が多少分かる人がいたとしても、新幹線も飛行機もない時代にどのようにして現地に連れてくるの、と。

実際、日本が鎖国政策を止め、幾つかの外国語が日本に入ってきました。その頃ですら、英語の辞書には「犬」は「Come」と書いてあったものがあったのです。

つまり、外国人が犬をよぶときに「Come、Come」と言いますので、犬はComeと勘違いしたのです。Comeとはカム(来い)であり、噛(か)むではありません。

後日調べますが、ペリーが日本に来たときには日本語の通訳は連れてきていないはずです。では、ペリーとどのように会話したのでしょうか。

一回目は「近藤良次、佐々倉桐太郎、中島三郎助の3名が黒船」に行き交渉したそうですが、「英語は話せないので、身振り手振りで帰れと言ったらしい」と某ホームページに書いてありました。

二回目の交渉では、外国語が一部分かる人が対応したとあります。
でも、その後の英日辞書ですら犬が「Come」なのですよ!そうしたときに、条約の交渉など本当にできるのでしょうか。(いつか誤訳が招いた日本の悲劇も紹介します。)
☆☆☆浜田隆政公式ブログより抜粋終了(引用元アドレスは下記)☆☆☆

Blog15-077:「私が司(つかさど)る・朝まで生テレビ・戦後70年の総括と明日の日本」―1


☆☆☆☆☆☆☆☆


ママさん:さすが先生やね。
先生、でも、多数の読者が期待しているのだから、先の岩倉さんとか、大久保さんのことで何か言われ。

ボン:ではね、岩倉具視と大久保利通を調べて分かったことを二つだけ記すよ。
2017年7月1日に分かったことが二つだけある。
岩倉具視の曾孫(ひまご)が小桜葉子さん(加山雄三さんの母)、玄孫(げんそん・やしゃご)が加山雄三さんであり、来孫(らいそん)北喜多嶋舞さん内藤洋子さんの娘)だそうな。
大久保利通の玄孫(げんそん・孫の孫)が麻生太郎さん(第92代内閣総理大臣)だそうな。
重ね重ね、世の中は狭いと感じたよ。

布袋:本当に世の中狭いよ。
ボンの『旅に心を求めて・不条理編(下)』などを読んでいるとつくづくそう思った。
で、ボンは歴史をどう思う。



ボン:僕はね、歴史に限らず、学問の究極の目的は現代の人間が生きる上でのアイデアだと思う。
だから、人物史や英雄史は余り意味がないと思っている。
戦前ならば、高橋是清のとった政策(ケインズ類似政策)と井上準之助のとった政策(金本位制・金融引き締め政策・緊縮財政路線)のときに経済がどうなり、人の暮らしがどうなったか。世界中の膨大な類似例を集め、それを現在の経済政策に生かせて始めて歴史を学ぶ意味があると思っている。

E・H・カーの言葉を待つまでもなく、歴史は現代との対話が成り立って始めて意味をもつ。
北条泰時(ほうじょうやすとき・鎌倉幕府第3代執権)という名を覚えるよりも、北条泰時は会議のときには、発言力のない人から順番に意見を述べさせ、最後に発言力のある人に喋らせた。
そうした意味で、現代の生活に役立つものを探すのが歴史の本来もつ意味だと思う。

極論すれば、多少の誤解やミス解釈をしても、それが現代の社会にいかせ、人々の暮らしがよくなればそれでよい。

モンテスキューの『法の精神』の例をだすまでもない。
彼は英国の統治機構を幾分ミス分析し、三権分立論にたどりつき、それが米国の統治機構をつくる上で役に立った。

男女の付き合い問題でも、歴史をたどれば、いろいろ考えることがあるよ。
平安時代の妻問婚(つまどいこん){妻問婚とは婚姻の一種で、夫が妻の下に通う婚姻の形態のことであるが、実際には様々な出来事があり…}も面白(おもしろ)いと思うよ。
ともかく、現代の社会に役立って始めて学問は意味をもつんだ。

勿論、兄弟姉妹が仲良く暮らすアイデアなんかは歴史には山積している。
それを学校では教えないんだ。
自分の子ども、兄弟姉妹が仲良く暮らす技法などは、本来歴史から学ぶものなんだ。
チャップリンが異父兄弟となぜ、仲が良かったかも、やはり歴史の中の法則性があるんだ。いつか記すけれど、一つヒントを言えば、「美は悲しみの中にあり(Beauty exists in sadness.)」なんかがそうだ。

学問はアクセサリ―ではないのだ。


同時に、最近、人工知能が発達したならば、人間は凌駕(りょうが)されるのではないか、という人がいる。
でも、当分は大丈夫だ。
人工知能と異なり、人間はミスをする
そのミスが重要なんだ。
ミス・失敗というものは、従来の理論になかったものの発見への道だ。

理論・議論の継続からは出てこない、全く新たな・未知の発想への道だ。


かびの研究をしていたペニシリン然(しか)り、イギリスの統治機構を研究していたモンテスキューの三権分立論然(しか)り、いずれもミスや失敗や偶然から、人間に役立つ有効なものがうまれた。

カメラでもそうだ。手ぶれは良くない。だが、あるとき、カメラのシャッターを開けたまま(シャッター速度を遅くしたまま)、人が転んだとしよう。そのときに面白い画像ができる。それを発展させれば、流し撮り(panning)という技法となる。
これは、失敗から生まれた技法だと思う。

歴史も同様で、現代社会が抱えている問題の解決に役立つものでなければならない。ときには偶然のミス研究が社会に有効な結果をもたらす理論を生み出すことがある。
ともかく、人間の生活が良くなることに貢献するものが学問なのだ。
極論すれば、研究ミスや失敗が原因で癌(がん)の特効薬がうまれればそれでよいのだ。
だから、意味のない歴史上の問題を研究するよりは、現代社会が抱えている問題への解決作を見いだすことにつながる学問が重要なんだ。


明神:ボンちゃんサー、最後の方の話は面白くないよ。
もっと面白い話を知っているのだろ。
だったら、それをしてよ。

ボン:本当は今日、日本の人が興味を持つ話をしようと思っていたけれど、昨日、おかしな形で一晩中、独り言を言わされ続け、頭が機能しないし、時間もなくなったので、その話は別の機会にするよ。
断っておくけれど、皇室問題ではないよ。
皇室関連は先の話で(原則として)打切りだ。
今日登場した人物の誰かの話だ。
前置きをしておくけれど、僕の話は人の対立ではなく、人の〝和〟を目的としていることを忘れないで



もう、午前三時頃となっていた。
本日午前6時9分大阪駅発の汽車で、私と布袋さん、明神君、はかせの四人でお嬢の寺へ行くことにしていた。しかも、大半鈍行での旅である。その旅の道中に、岩国訪問、長崎訪問裏話やオバマ大統領との私の秘密の暗号、更に※※問題に巻き込まれそうになった話などをすることにした。

彼らと別れ、居酒屋徒然草(つれづれぐさ)をでた。
ふと、徒然草に行く前にオジョウと会っていた、お初天神に寄ってみることにした。
お嬢とオジョウについての疑問を再度例えでかけば次の如(ごと)くとなる。私が前川清としよう。お嬢は藤圭子である。そしてオジョウは宇多田ヒカルではないかという疑惑である。そして背後には『源氏物語』(紫式部)、更にはモデルとなった源融(みなもとのとおる)がついて回る。


お初天神によると、当然、誰一人いなかった。
しかし、うっすらと灯(あか)りが灯(とも)っていた。
5月2日午前3時過ぎである。
時期が時期だけに、もう、桜とは無縁となっていた。
そう、桜という語も意味深い。
お嬢のシンボルは桜であった。

ところで、桜という花は面白い花である。満開の桜が良いと思っている人がいるが、お初天神では必ずしもそうではない。
お初と徳兵衛の像の上に桜の木がある。
散った後がよい。
桜は散ると、一面を桜絨毯(じゅうたん)でつつむ。
お初と徳兵衛の像の上には傘がある。
その傘の上を桜の花びらが覆(おおい)い尽くす。
桜雨から、お初と徳兵衛を守るが如く、桜の花びらで覆われた、相合い傘が哀愁を帯びる。

来世こそは、来世こそは。来世で、来世で、と。
桜という花は、散った直後に、哀愁を帯び、同時に人生に思いを馳(は)せさせる花である。

既に、書いた如く、お初天神には私とオジョウを模(も)したミニお初像と徳兵衛像が、数年前から設置されている。
そのミニチャ像の近くに、「おみくじを結んで」という立て看がたっていた。
何を意味するのか分からない。
分かっていることは、近くの宿で数時間寝た後、お嬢の寺へと、鈍行で旅立つことだけである。

こうしたことを考えていると、暗闇の中、猫(ねこ)がうずくまっていた。
「ニャーオン」と一声あげた。
近くにいた、もう一匹の猫が「ミャオ(meow)」と鳴いた気がした。
少し離れている所にもいた猫が「ミアウ(miau)」と競って鳴いた。
「meaw」とは英語での猫の鳴き声であり、「ミアウ(miau)」はドイツ語での猫の鳴き声である。猫の鳴き声を聞きながら、我ながら、つまらぬ妄想をすると苦笑した。

なお、苦笑にはもう一つの意味もあった。私はオジョウをときどき〝化(ば)け猫〟 ではないかと思うからでもある。はかせは「〝招き猫〟でしょう」と言うのであるが。

 《五へ続く》



※お断り:【構成】と順番変更について。
【構成】
一・今週の歌苦闘模様と君が代の国籍問題(曲はドイツ産か日本産か)→最初に掲載。
二・党派中立宣言と伊勢志摩サミット協賛の裏話→後回し
三・第一次安倍総理、麻生総理誕生に関する裏話→後回し

四・皇室問題に絡めた私への誹謗(ひぼう)中傷攻撃について→3回連載(今回が最終)
五・オバマ・アメリカ前大統領と私の秘密の暗号と長崎訪問裏話
六・世界の問題で△△問題の裏話(当日まで機密。誰も助かることはあっても困ることはない話であるが当日まで機密。)

一~三→いずれも、2017年3月20日深夜から、21日未明にかけて居酒屋徒然草(つれづれぐさ)での会話とする。
 ※3月21日早朝解散し、私だけは播州赤穂を経由して帰路に就く。

四~六→四→2017年5月1日・大阪・居酒屋徒然草(つれづれぐさ)。
五~六→同年5月2日お嬢の寺への道中とお嬢の寺での会話とする。

最初に、一を掲載したため、その後は二及び三なのであるが、7月2日に都議選があった関係で、それとの係わりあいを避ける目的で、ややこしいが、先に四に入った。

次回は五の予定であるが、二になるかもしれない。