追悼―与謝野馨様(冠婚葬祭ブログ重複文)

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冠婚葬祭ブログ重複文・追悼与謝野馨様

 

冠婚葬祭(追悼文・祝い文など)は、現在、総合案内所の冠婚葬祭ブログで行っている。

最近、長い文章が多いため、簡単に冠婚葬祭を掲載できない状態になっている。

そこで、冠婚葬祭ブログは、今後は短いコメントにとどめる。
長い場合には、原則、公式ブログに掲載する。
ただし、その場合のみは冠婚葬祭ブログにも同様な文書か抜粋文章を掲載する。

この原則は、御礼ブログなどにも適用する。
実際例として、5月29日に掲載した、追悼―与謝野馨様を掲載する。
以上、2017年6月3日

追悼―与謝野馨様

本日・5月29日、与謝野晶子の命日である。その命日に追悼―与謝野馨様を記す。


与謝野馨氏については二度の思い出がある。
一つは中川昭一氏が不祥事を起こしたときである。
そのときの与謝野馨氏の言動に、大変、ユーモアのある人という印象を受けた。
冗談好きの私は、この頃から与謝野氏に好感を持ち始めた。
理由は面白い人、同時に、頭の切れる人ということであり、具体的政策の云々(うんぬん)とは無関係である。
ただ、そのときのジョーク内容はうかつにも忘れてしまった。


もう一つは菅直人内閣で入閣したときである。
上記の如(ごと)く好感を持っている与謝野さんが、同じく好感を持っていた菅直人さんが率いる閣僚になるということで、……。

なお、家で言った独り言は、与謝野さんの入閣は面白いかもしれない。ただ、必ず、選挙の問題でもめる。昔の如く中選挙区制や参議院全国区ではなく、比例代表制だったため。…そこで、議員自体を辞職して、議員でなく、民間の閣僚となれば、自民党も含めて誰も文句はつけられない。(アメリカでは閣僚は議員ではない)。…先手を打った方が良い……(閣僚として成功すれば議員には簡単に復帰できる。だが、選挙問題でもめれば菅内閣自体……)。

それと消費税に関する質問である。

これは、私の単なる独り言である。
しかし、リアクションがあったかもしれない。
勿論、気のせいかもしれない。


これ以上の話は拙著『日本のフィクサーMEパート2』か『同書・パート3』で扱うこととする。
この書物は、故意に嘘(うそ)を十パーセント程度いれたフィクションのため、そこでこの原稿の中で記した方が、誰にとっても良いと思う。

こうして、与謝野さんとは二度ほど印象に残る出来事があった。

与謝野さんの死去に当たり、二つの詩歌を思い出す。
一つは「春望」であり、もう一つは「君死に給うことなかれ」である。

前者は「方丈記」と同じく、人の世のはかなさである。
私の父、母が死亡しても、我が家は変わらずある。
我が家の庭もある。
母亡き後も同じ姿である。

知っている人、昔見た人が死ぬに当たり、つくづく思う。
書斎の窓から外を見ながらも、思う。


もう一つは「君、死に給うことなかれ」をきくにあたり、人の流れについて思うことがある。

(具体的な与謝野家ではなく、「君死に給うことなかれ」から、社会の流れ全体を感じての感想である。)
祖父から孫まで、一貫して、人は流れはしない。
「蛙(かえる)の子は蛙」ではない。
「兄弟は他人の始まり」の方がこの世にふさわしいかもしれない。
祖父から父へ、父から子へ、子から孫へ…、同様に見えるかもしれない。
だが、思想以上に性格において、同様性はない。
それはときには、むなしくもあり、好ましくもある。


後者は、年をとるにつれて、知人・親戚類をみてしばしば思うことであり、前者はいつも見ている風景を見るたびに、逝去した人に思いを馳(は)す。
これらは、見た人、知っている人が死ぬに当たり、常に思うことである。

最後に、故・森繁久弥氏の朗読で「君、死に給うことなかれ」のコンテンツを掲載し、
与謝野馨さんへの追悼文とする。

謹んで、与謝野馨さんの御冥福をお祈りします。

与謝野晶子命日の5月29日に記す。



追記:YouTubeで与謝野さんが、蓮舫さんを論じたもの?があった気がしたが、内容は見ていない。理由は、私は政争に巻き込まれたくないからである。少なくとも現時点では。
政争離脱論については、『日本のフィクサーME・パート3』(メモ)として、近々HPに掲載予定でいる。
オバマ大統領の辞任の2017年1月21日以降は、生々しい政争から離れ、芸術関連に没頭したいからでもある。ただし、政経が専門のため、(私は消費税反対論の立場であるが)与謝野さんの「消費税必要論」などのコンテンツがあれば真剣にきく予定でいる。学術的部門は熱心に拝聴する予定でいる。


君死にたまふこと勿れ 朗読:森繁久彌 与謝野晶子wmv
□https://www.youtube.com/watch?v=bz7XeJ7BIIU


※資料
①与謝野馨
與謝野 馨(よさの かおる、1938年8月22日 – 2017年5月24日)は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。学校法人文化学院院長・理事。報道や政治活動においては新字体で与謝野 馨(よさの かおる)と表記されることが比較的多い。

衆議院議員(10期)、衆議院議院運営委員長(第50代)、文部大臣(第117代)、内閣官房副長官、通商産業大臣(第63代)、自由民主党政務調査会長(第46代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策、規制改革、男女共同参画、少子化対策)、内閣官房長官(第74代)、拉致問題担当大臣、財務大臣(第11代)などを歴任した。
父・秀(しげる)は歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男で外交官


②中川昭一
中川 昭一(なかがわ しょういち、1953年7月19日 ‐ 2009年10月3日[1])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。

北海道5区、小選挙区比例代表並立制導入後は北海道11区から選出され、2009年(平成21年)に落選するまで連続8期、衆議院議員を務めた。
その間、農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任したほか、党三役では自民党政務調査会長を務めた。
超党派の北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会長、日本会議相談役を務めた。
戦後昭和期に衆議院議員・閣僚を務めた中川一郎は父、中川の跡を引き継いで2012年(平成24年)に衆議院議員になった中川郁子は妻。

☆☆☆ウィキペディアから抜粋☆☆☆
2009年(平成21年)2月14日、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議が、イタリア・ローマで開催された。同会議終了後、日本銀行総裁・白川方明と財務官・篠原尚之との共同記者会見に臨んだ中川だったが、その発言は呂律が回っておらず、あくびをし、表情は目が虚ろという状態であった。さらに中川は、言い間違いをする、質問した記者が見つけられずに「どこだ!」と叫ぶ、「共同宣言みたいなものが出ました」などと不明瞭な発言をするなどの異状を呈したことから、健康不安や酩酊などが疑われることになった。マスメディアはこれを、「深酒居眠り会見」などと報じた。
☆☆☆ウィキペディアから抜粋終了☆☆☆

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2017年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA