7/15の日程→記述急ぐもも19時前から独り言やまず苦戦中(2017年7月15日23:41):ミスしブログに書いたため2:47こちらに掲載 | |
誰か独り言止めてくれ。 | |
2017/7/15(土曜) | 様々なことを中に記入 |
(1)掲載物 | |
(2)私事 | ★私事予定の一部記入(予定→中止類は翌日修正) |
予定Ⅰ型・仕事関連予定 | 写真物語館作成準備 |
予定Ⅱ型・生活関連 | |
①起床と食事 | ●7/13 5:30 就寝 起床;9:10頃か=朝昼晩全て抜き。0円。 |
播磨新宮で汽車待ち、3時間余り。姫路発12:22にのり、播磨新宮で津山方面連絡の佐用行きが15:30までなし。播磨新宮で西山公園などで時間を潰す。 | |
②生活関連予定 | |
予定Ⅲ型・運動目標 | |
駅着16時50分頃か。自転車で我が家。帰宅し50分ほど休み芋掘り。この期間中にどこかで何かを契機に催眠状態で独り言やまず。なお、帰りの汽車で仮眠したときに何か吹き込まれたか。帰宅後、芋掘り、日程表、今週の歌、写真物語館などをあげるよていが独り言ですべてつぶされる。更に、朝食、昼食抜きのため、帰宅後食事予定が、独り言が激しく、やまず、食事準備や夕食もとれない。まさに拷問である。結局、この日は食事抜き。健康に悪い。再度記す。催眠は拷問の一種である。 | |
予定→ | 7/16午前0:30頃から漸く日程表・この文書だけ記述中。食事はまだ。 |
(3)メモ | |
催眠契機は特定は難しい。意思のリモートコントロールだけが事実。芋掘り中のZ1氏の回覧版の挨拶か、Z2家の物音か、回覧版の中を見てか。回覧版の中は前回と同じく警察関連の文書。 | |
Memo-1・ | |
Memo-2・ | 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏が13日午後5時35分(日本時間同6時35分)、多臓器不全のため、遼寧省瀋陽の病院で死去した。 |
Memo-3・ | 上記関連で挑発多し。私は上記人物の名前もしらぬ。噂は数日前から聞き、名前は本日始めて掲載し知る。どういう人物かも詳細しらない。それが全てである。理由は1989年頃から私のうつ病を激しくした状態にあり、様々な文書では休眠期と掲載。この期間中に起こった出来事は一切しらない。ソビエト崩壊も、東ドイツの壁の事件も頭が機能しておらず、何も知らないのである。ソビエト崩壊などは1994年以降に知ったに等しい。ベルリンの壁も同様。未だにこれらすら詳細はしらず。完璧な意識不明状態に等しい時期である。よって、中国の上記氏も一切名前も本日上記を記すまでしらず。まだ名前も覚えていない。私に問題あると言うのはおかしい。私の脳を4年以上休止させた人間とその間の私への拷問に問題がある。 |
上記氏に関しては、一定の時期から情報集めするかもしれないし、しないかは不明である。現時点では全くわからない。NHKの報道は昨日15分みたが、NHKの言うことのみで判断は不可能である。情報厚めする場合にはCNNやBBCばかりではなく、中国本のコメント、更に第三国・南アフリカ共和国や北欧などの情報も不可欠である。現時点では名前を本日始めて知ったという時点である。さらにNHKのニュースで15分程度の情報jだけでは全くわからないのが事実である。(嘘・でっちあげの)トンキンワン事件やNHKラジオの戦前放送の前科もあり、現時点では情報なしに等しい。名前のみは本日しる。噂は数日前始めてしる。事実関係は、人権抑圧され続け、被害を受けたのは私であることだけが私に分かる事実である。人権侵害を30年、私が受け続けていることだけが、私に分かる唯一の事実である。同時に、その私の脳が一番激しく攻撃されていた時期にソ連崩壊やドイツの壁崩壊が起こったそうであるが、当時は全くに近く何もみていない。この中国の人物も同様である。そのくらい激しい人権侵害に私が遭っていたということだけが唯一の事実である。 | |
私自身が1987-88年は激しい刑事犯罪被害の真っ最中。88年から労基法違反嵐で参り、なにがあったか知らない。再起をかけた(一年あまりの)16時間勉学期、更に労基法違反あらしで大吐血連続、90年からは意識不明に近い時期。94年から回復するが96年から精神疲弊が激しくなり、辞職へ。詳細は閉じた窓にも日は昇る参照。逆に言えば。私が閉じた窓にも日は昇るなどで嘘を書いていないコトの証明でもある。 | |
まだ、上記氏の名前は暗記できていない。そのくらい、激しい被害に私が遭っていた時期がることだけが事実である。 | |
(追記)フィリピンのアキノ政権誕生(女性大統領)の頃(1987年前半)までは知っている。その後は1994年以降。途中は閉じた窓にも日は昇るなどに書い理由で空白。恩師がソ連崩壊やドイツの壁崩壊もほとんど知らないのと驚かれた。そのくらいひどい人権蹂躙を私自身がされていた。 |