「思う」と「想う」の使い分けについて。

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「思う」と「想う」の使い分けについて。

 

拙著『旅に心を求めて・不条理編(上)』(安らぎ文庫・Kindle版)第1章第3節の注2より抜粋。

私は、「おもう」を、この原稿では原則として次の①と②で使い分けをしている。
①「想(おも)う」は、主に心にイメージを描く意味(例「幼少のころを想う」)で、
②「思(おも)う」は主として「考える」の意味(例「強く生きようと思う」)で使用している。 即ち、心の中で情操的に感慨深く〝おもう〟を、思慕の情などを強調するために、使い分けをして①を使用した次第である。ただし、判断に迷うときは「思う」で統一している。

他に、『明鏡国語辞典』によれば、「過ぎし日のことを憶(おも)う」(忘れないで思う)、「故郷を懐(おも)う」(懐かしく思い出す)、「人の世の無常を惟(おも)う」(心を傾注して考える)、「仏を念(おも)って仏道に帰依する」(念じる意)などがあるが、①と②で大半は代替している。それでも、英語のオモウ(think, hope, be afraid, feel, guess, suppose, doubt …)ほど多くはない、と思う。