Blog16-006・夢か現(うつつ)か33回・最終回「親愛なる室伏広治君へ届けの手紙からスポーツ選手への手紙」

 

夢か現(うつつ)か33回・最終回「親愛なる室伏広治君へ届けの手紙からスポーツ選手への手紙」

(Ⅰ)今回の文章掲載のいきさつ。
2014年5月9日に、Facebookに、先の『親愛なる室伏広治君へ届けの手紙』を書いた後で、もし室伏君が誤解をしていたならば、その誤解は解けたようである。なお、夢か現(うつつ)かシリーズを私の公式Blogに再録するに当たり、『親愛なる室伏広治君へ届けの手紙』の再録は柔道関連か体操の内村君の後でする予定でいた。
しかし、室伏君が再度IOC理事選に出馬するとの噂(うわさ)を昨年9月頃に聞いた。そこで、私が書いた文書が良い・悪いに関係なく、その選挙に影響を与えぬように、私の公式Blogへの収録は見合わせていた。また、この「夢か現か」シリーズの最後に室伏君をもってこようかとも思い、尚更(なおさら)後回しにしていた。
しかし、もう半年程度保留していてもIOC理事選のことは未(いま)だに聞かないし、またこのシリーズを打ち切り、次の「徒然(つれづれ)なるがままに」シリーズに入るため、本日掲載することにした。

 

 

(Ⅱ)スポーツなどに絡めた謀略について。
スポーツ関係に絡め、誰かがスポーツ選手と私をいがみ合わせる策動をしているとしか思えないことが多々あったため、室伏君の件抜きでも、昨年・(2015年)7月27日に次のコメントを公式Blogに出していた。そして、テレビでは一切に近くスポーツ関連は見ないことにしていた。だが、それにもかかわらず、幾つかの汚い手を使われた疑惑がある。その点に触れる前に、スポーツを見なくなった訳に関する公式Blogの内容の一部を再度掲載する。

 

公式Blog№66→私がスポーツなどを見なくなった訳
 {詳細は2015年7月27日の該当、公式Blog参照。}
 (A型)
スポーツ選手を勘違いさせ、私に対して怒らせ、その怒りをバネに活躍させる。私の方はこれで疲れる。……(中略)……

 

 (B型)

私に選手に対して何かを言わせ、その結果、そのスポーツを最後まで見なければならなくさせるやり方。
これにはα型とβ型がある。
β型は催眠誘導で、私が喋(しゃべ)らされる{檄(げき)を飛ばせられる}タイプである。例としては、先に述べた女子柔道の件などである。
α型は、テレビを見ていると、番組が仕掛けて、ホィッと選手を出さされ、釣られて何かを言うという形である。これが今回《2011年のロンドンオリンピック時》の内村君の件である。

 

(C型)
誰かが策動で、選手と私との関係をこじらせるタイプである。
これも二つある。a型とb型としよう。
a型は誰かが裏で何らかのデマを選手に伝えた疑惑がある場合。
b型は以下の例の通りである。
b型は、計算ずくで私の方への攻撃を利用する場合。例えば、私が政治問題で怒っていた。そして、それへの持論をぶちながら、激怒していた。そこにホィッと全く無関係なスポーツ選手を登場させ、私がその選手に怒っていると誤解を与える手口などである。これは、報道特集という番組中でのダルビッシュ投手のときにあった。ただし、未遂となっていたかどうかは不明である。

b型類似例が室伏君のときである。後者は「夢か現か」シリーズでの室伏君の項目で記す予定でいる。もし、違っていればa型であり、誰かが嘘(うそ)を彼に言ったのであろう。

 

室伏君の件は、(C)のa型かb型の疑いが強い。特に、B型βを悪用された疑惑がある。即ち、女子柔道などで、催眠型で私が激しい言葉を発しているのを、全部ではなく一部のみ、一部のスポーツ選手に見せ誤解をさせたのかもしれない。

 

2016年に(D)もう一つ付け加える。各種諮問を挑発でしてくるパターンがあった。今ならば「日本での外国人選手の活躍をどう理解するか」などである。

 

 

(Ⅲ)再度の攻撃について。
上記を書いて一段落したかと思っていた。その上、世界連邦への足がかりをつけることや、私の再就職準備、作品づくりで超多忙のため、スポーツ界とは無縁となっていた。しかし、新聞購読をやめた今、日本の情報源として重要なのがNHK午後7時のニュースである。しかも、この番組でも、できる限りスポーツは避け、ニュース欄だけを心がけていた。それにも拘(かか)わらず、NHK自体が何を考えてか、スポーツ選手に絡めたトリック・策略をしかけてきた。(全体の流れから分析すれば、こう表現して間違いないであろう)。
ニュースとニュースの合間や前半にスポーツを故意に持ってきて、同時にそのときに限り各種策略をしかけてきた。そこで、今は、NHK午後7時のニュースですら、録画とし、策略の臭いのする箇所は飛ばさざるを得なくなっている。特に土日祝日は。籾井会長に受信料を返せと、書留で送付したいと本気で思っているところである。

しかし、無視できぬ幾つかの挑発について記しておく。

 

 

(Ⅳ)相撲でのモンゴル力士の活躍について―白鵬関のことなど。
特に、重要なのがモンゴル力士の件である。また、この件では最近の相撲で日本力士が久々に優勝したと話題になっているため、関心を持つ人も多いと思われるためなお更記しておく。
まず、第一に、私はコズモポリタン(cosmopolitan・世界市民)と自称している。よってどの国の選手であれ、良いものはよい。逆に日本であろうが、地元であろうが、良くないものは良くないという立場である。これで解説はもはや不必要と思われる。だが、念のため、朝青龍氏についてふれておく

 

第二にモンゴル力士・朝青龍氏について、私の立場を明白に記す。彼は彼で頑張ればよい。私は私で頑張る。それだけである。私は超多忙のため、彼については誰かが話題を振るまで、その存在すら忘却していた。好き・嫌いの前に彼には関心がない世界人口63億人、すべての人に関心が持てる訳(わけ)がない。更に各種オファーの数は天皇とどちらが多いかという数であり、すべてに対応できる訳がない。
なお、彼についてテレビで言動をしたのは一回だけである。2003年名古屋場所での髷(まげ)をつかんだように見えたときである。(真偽は再度録画を見ないと不明)。「まげをつかむのはよくない」と言った。それは道徳から言ったのではない。文化の問題でしかない。髷は侍の命から始まる日本文化にすぎない。要するに、日本の畳に土足であがるのはよくない。しかし、海外では土足が当たり前である。では、土足で上がったのがよいのか悪いのか。文化の問題である。しかし、相撲規則にそれが規則として明記されているならば、相撲をやる以上その規則を守るか、みんなで話し合い、逆に規則を変えるしかない。

 

相撲協会が、髷(まげ)は手が入れば抜けないので、髷の件での反則はなしとしようと決めればそれでよい。部外者の私が口をだすことではない。女性が土俵にあがってはいけないというルールもあるそうである。よって、すべてのルールが正しいとか、その逆を言ってはいない。ただ、ルールが有り、日本文化では髷(まげ)をつかむのはまずい、と言っただけである。テレビを見 て言ったのはその一言だけである。なお、相撲規則では故意でない場合は問題ないそうである。詳細は専門外のため、ここまでとしたい。

 

その他について家で言ったのは、「朝青龍関は、相撲よりも、格闘技向きの性格ではないのか」程度である。家ですら言っていないが、内館牧子氏にハグをしたのは愛敬(あいきょう)があり、大変すがすがしかった。朝青龍の別の一面を見た思いがした。この件を持ち、彼の話は打ち切りたい。私は仮想敵(人)は持たない方針である。その前に、彼についてのコメントは特にしていない。よって、彼は彼の道を進めばよい。私も超多忙で自分の道を行く。お互いに63億人の1人でしかない。このコメントをもち、原則として、朝青龍氏に関するコメントは文書でも 口頭でも永久にすることはないであろう。怒りなどは最初から全くない。ただ人口63億人について個々に論ずることは不可能というだけのことである。

第三に、私は差別というものと戦ってきた人間である。よって、モンゴル系の人に対しての偏見を持つ人間と見なされることは耐え難い。再度言う。国籍を問わず、良いものは良い。そうでないものは良くない。これがすべてである。

 

モンゴル系も含めて外国人力士について誰かがテレビで言っていたことがあるが、私は同調は一切していない。言っていた人とは違う考えである。超多忙な中で17時のニュースを5分見るため、テレビをつけるとニュースではなく相撲をやっており、そこでニュースを数分待つ間に、即そうしたことを聞いてもテレビに向かって反応はできない。物理的に不可能である。
私自身は、世界市民でありたいと願い、国籍を問わず、「良い物はよい、そうでないものはそうでない」、という主義であることを再度強調しておく。

 

具体的に少し触れる。王貞治氏(※1)には敬愛の念を抱き、高見山関にはいつみても心を和まされ、ラモスをみると楽しくなる(ただし、ラモスの奥さんが亡くなられたときだけは例外である)。大木金太郎(韓国名キム・イル)さんとは、私が高校一年(1968)年に一緒に並び写真に写っている。その思い出は『旅に心を求めて・不条理編(下)』の後書きに記している。プロレスラーのカールゴッチやルーテーズにはあこがれの念を持っていた。日本人レスラー以上に彼らを応援していた。まだまだあるがここまでとする。私よりもスポーツ選手の方がそう思うであろう。同国籍のいやなタイプの人間と、国籍が違っても一緒に合宿をして仲良くなった選手ではどちらを大切にするか、の一言で回答はでているであろう。

 

白鵬関は日本で大変人気があり、彼は今後、こうした面での障害はすくないと想像している。だが、彼が本当にこうした面で行き詰まったときには、可能な範囲で支援をするであろう。私は、日本人である前にコズモポリタン(世界市民)であり、何よりも人間である。

 

 

(Ⅴ)錦織君と澤氏について。
あとの挑発かどうか不明な件は、さほど重要ではないため、簡単に記述する。
錦織君については、彼が本当に精神的に参れば、昔、内村君への一言と同様にホイとコメントをするかもしれない。勿論、今度は違う内容であろうが。ただ、錦織君はまだまだ参っているようには見えない。なお、内村君も2011年頃とは比較にならぬ貫禄(かんろく)がでてきており、もはや私などが何かを言える雰囲気ではなくなってきている。錦織君の名をだしたが、彼については何も問題的なことはなかったと思う。ただ、参考までに記しただけである

女子サッカーの澤氏については、拙著『日本のフィクサーME・下巻』第5章の「八・報道ステーションでの対話人物」の項目で国民栄誉賞についてふれた通りである。それ以上のことは一言も言っていない。

 

2014年、マララ・ユスフザイ(英語: Malala Yousafzai、1997年7月12日 – )にノーベル平和賞が授与されたとき、私は言った。「こんなことをしたならば、彼女が将来困ることになる。ノーベル賞選考委員には教育的視点がないのか」、と。ノーベル賞を受け取ったマララ氏に問題があるのではない。与える側に問題がある。17才の女性にノーベル賞を与えたならば、彼女は高校などで友達関係がどうなるであろうか。昔、ノバート・ウィナーという天才がいた。{ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894年11月26日 – 1964年3月18日)はアメリカの数学者でサイバネティックスの創設者。}彼は幼少の頃から天才すぎて、それが災いして一定の年代まで友達をつくるのが困難となった。ジョン・スチャワート・ミルも然(しか)りである。{(John Stuart Mill、1806年5月20日 – 1873年5月8日)はイギリスの哲学者。功利主義論、自由論で有名である}。彼の自叙伝を読むと、そのときの苦悩が書いてあった。
           

受け取る側(がわ)の問題ではなく、与える側の問題である。同様の理由で、私は現役選手への国民栄誉賞授与は三つの理由で選手寿命を縮めるため問題が多いと指摘したことがある。もし、『同上書』が読めない場合にはその箇所を抜粋しよう。国民栄誉賞自体を批判した訳ではない。森光子氏などのときは祝福し、大鵬関には早く同賞をと言い続けたが死後となった。現役の選手、特に若い選手には彼ら・彼女らの夢を砕くことが多いと指摘しただけである。

他の選手でも、国民栄誉賞に絡み私を挑発する場合には、まず、『同上書』を読んでからにしていただきたい。再度、記す。澤氏については、国民栄誉賞に絡む一般論以外には、一言も言っていない。それがすべてである。同時に、現在も何も言う気はない。

ポーツ選手ばかりではなく、近所などでAさんが私の前でBと言う。私は原稿・作品などで頭がいっぱいであり、更に急いでいるときがある。当然、一言も言わないばかりか相づちすら打っていない。ところが、私がBを言ったという風評被害や、Bに関連するCさんなどが私に怒りを爆発させてくる。しかし、詳細に弁解をすれば、AさんとCさんがいがみ合うことになる。その前に馬鹿馬鹿しくてつきあっていられない。こうした被害を過去十度以上、近所・親戚で受けている。テレビまで同様な被害を受けている。ときにはNHKなども絡み被害を受けたことがある。これでは受信料を返せだけではなく、慰謝料を私に支払えとNHKなどのテレビ局には言いたい。

 

 

(Ⅵ)スポーツ選手へ。
こうした被害から逃れるために、スポーツはテレビで見ない方針を立てていたが、「隙(すき)あらばで…」、こうした始末である。だが、私は友は大切にする。室伏君は限りなくそれに近かった。そこで、テレビ局も絡めたこうした挑発が減れば、また楽しく語り合えるときがくるであろう
何かの縁であった白鵬関について言えば、彼は大変日本で人気がある。そのファンが何かあれば彼を守るであろう。錦織君は、今はまだ日の出の勢いであり、私の一言などは不必要でしかない。両者ともに本当に参ったときには何かコメントを記すこともあろう。だが今は全く必要ないとしか、私には思えない
ただ、私が気にするのは、相撲ならば十両になっていない外国出身の力士であり、相撲以外ならば、日本に出稼ぎのような形できている外国人労働者である。特に、研修という名で日本に来ている外国人労働者の問題である。これらについては、いつか、今回のコメントとは比較にならない形でコメントしたいと考えている。

 

スポーツはしばらく見ないが、それでも、ブラジルオリンピックの成功に一役買えるものならば、わずかでも協力したいと考えている。私のHPでも、「今月の歌」では、可能な限り、オリンピックまでにブラジルの歌を特集予定でいるし、また別の形でもブラジル特集をしたいと考えている。オリンピックに一番効果的な形で。
スポーツ選手への手紙。
自らの没頭するスポーツに専念し、スポーツマンシップという手本を見せていただきたい。結果よりも、生き方で。それに没頭しているとき、私などに構う暇はないであろう。スポーツの記録は、本人が思うほど、歴史の目でみればたいしたことはない。だが、生き方の見本や崇高な域のスポーツマンシップは、文字が発明された以上、永久に記録されるであろう。その対象が全人類ではなく、一部の人に限られていたとしても。特に、あなた方の子供や子孫には永久に語り継がれるであろう。自らの子供や子孫に影響を与えるもの、それは記録ではなく、記録を目指して苦闘した、あなた方の生き方そのものである。もし、あなたが子供の立場で考えれば一目瞭然(りょうぜん)であろう。

 

(※1)もっとも、王さんは国籍にかかわらず、日本人である。だが、その前に、クリステル滝川さんは日本籍も、フランス国籍も両方とももてるべきであるし、本人が望めば日本人でもあり、フランス人の両方のでなければならない。私の場合は、可能ならば、世界市民籍をとりたいと願っている。世界連邦のもとで!
(※2)私は、スポーツ関連では次のことにも注目をしている。車椅子を送り続けた元野球選手の赤星憲広君、ワクチン活動に貢献した和田毅君などなど…、と。
        

【2016年1月27日記述】。夢か現(うつつ)かシリーズは、本日をもち打切りとする。これでは、テレビを通じてのトラブルBlogと同一でしかない。私が記したい物は純粋な作品でしかない。今後の公式Blogでは、しばらく、「徒然(つれづれ)なるがままにシリーズ」を掲載予定でいる。それ以上に、電子書籍を含む作品づくりに没頭したいと考えている。